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嫁が女子高生になりました。  作者: 日吉 舞
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嫁のメモ

★嫁のメモ(五月×日分)★

 何かの役に立つこともあるかも知れないし書いとけって言われたから、とりあえず書いとく。

 あたしの外見は変わっちゃっても、キーボードの配列は変わってないみたいで、これを書くのにも支障がない。だから、ちょっとだけほっとした。まだ、震えは治まってないけどさ……

 あたしがこの状況になってからの出来事を書いておくのは、まぁ悪くない。今は気持ちが動転してても、後から冷静に見直すことだってできると思うから。

 けど、これって使いやすくっていいな。

 あたしの知ってるパソコンって、真っ黒な画面に白い英文だけが打てるもんで、プログラミングかゲームくらいしにしか使えないもんだったから。それが、二十年でここまで進歩するもんなんだなぁ。

 そもそも、このパソコンが個人用だってのもびっくり。

 二〇一〇年代って、一人一台の時代なんだ。

 時間があるときに、もうちょっと使い方を調べてみようかな……って、今はそんな悠長なこと言ってる場合じゃないんだった。

 あたしは確かに、昨日の晩に寝るときまで高校生だったのに。

 なのに朝目が覚めてみたら全く違うベッドにいて、おまけに隣には知らない野郎……もといオッサンが寝てた。

 しかもあたしが三八?

 オッサンが夫??

 今が西暦二〇一×年???

 昨日よりも、今日が二十年以上も先の未来ってこと?

 冗談は顔だけにしろ!って、本気で思ったよ。

 でも……確かに何だか身体が重くて目もよく見えないし、髪もこんなに長くなんてなかった。

 寝てる間にあたしの身体に何かあったってことだけは、確かみたい。と言っても、オッサンに変なことされたとか、そういうんじゃないっぽい。

 もっと人智を超えた何事かがあった、って言うのかな。

 あたしの意識だけが二十年以上先の時間に行った、っていうのが一番しっくりくるような気がする。自分で書いといて、我ながら……とは思うんだけど、とにかくそうなんだとしか思えない。

 たまに事故や病気で意識を失ったまま何年も過ごして、目が覚めたら……っていうのは漫画とかで見るけど、そんなのとも違うんだよね。

 事実、あたしは事故に遭ったりとかしたんじゃなかったんだし。

 もうちょっと、細かく思い出してみることにする。

 ……確かオッサンから色々説明されて、いきなり未来に放り出されたことを実感した途端、あたしは意識が遠のいた。

 で、次に気がついたときは目が覚めたのと同じベッドの中にいた。覚えてないけど、あのオッサンが連れてきて、寝かせてくれたのかな?

 最初は悪い夢でも見てたんじゃないかって、そればっか。

 リビングに行ったらお父さんとお母さんとお兄ちゃんがいて、休みだからっていつまで寝てるんだって、また怒られるなぁとかぼんやり思ったけど。

 ……けど、あたしが寝てた部屋はやっぱりあたしの部屋じゃなくて。

 気に入ってたカントリー風の勉強机も、制服も、漫画がぎっしり詰まった本棚も、MDの再生ができるラジカセも、あたしが知ってるものはなーんにもなかった。

 辛うじてあたしが使ってたチェストだけはあったけど、中を見てみても見覚えがない服しかなかった。ボーイッシュを気取ってるあたしは絶対に着ない、リボンとかフリルがあっちこっちについてるのばっか……まぁ、それでもやりすぎじゃないデザインで、意外と可愛いなって思っちゃったんだよね……不覚にも。

 だけど自分の趣味も変わったことがわかって、またはっきり思い知らされてた。

 あ、あたし、本当に知らない場所に来ちゃったんだ、って。

 そう思うといてもたってもいられなくなって、ベッドから飛び起きたっけ。

 ただ、起きたはいいけれど、何をすればいいのかが咄嗟にはわからなかったんだよね。

 それでも一人でいるのが嫌で、オッサンがいたリビングに向かってみた。周りがぼんやりとしか見えなくて、壁伝いにそろそろと行くしかなかったけど。

 輪郭が滲んで見える家の壁は綺麗で、作りの感じからしてまだ新しいマンション?って感じ。

 フローリングは白木。

 天井は高くて、身長一七〇センチ弱のあたしが背伸びして手を伸ばしても触れなかった。

 壁紙は白で、目立つ汚れもなかったと思う……っつか、リビングのパソコン使ってるんだから、今廊下に行って現物見てこいよ!ってか。

 その壁にはカラフルな絵の小さな額も幾つかかかってて、センス良くまとまってた。

 廊下をまっすぐ行くと、突き当たりの広いリビングに続いてて。恐る恐るドアの内側を覗くと、小さい音量のポップスが聞こえてきた。そっちには倒れる前にパソコンを見てた机があって、オッサンが画面に向かってるみたいだった。

 あたしが起きてきた気配がしたのかな。オッサンが顔を上げて、先に声をかけてきた。

「あ、起きた?大丈夫?」

「……はい」

 答えないわけにはいかないから、あたしは低ーいテンションで返しといた。

 オッサンは椅子をこっちに向けてるけど、立ち上がって近寄って来ようとはしなくて。おかげで顔がよく見えなかった。

 で、オッサンはあたしが顔をしかめてるのがわかったらしく、こっちを怪訝そうに見てきてるみたいで。

「眼鏡は?」

「あ」

 指摘されて、あたしはやっとそこで気がついた。

 だってさ、眼鏡かける習慣なんてなかったし。視力は両目とも一・〇で、一番後ろの席にいても黒板の字ぐらい見えるし、不便してるわけじゃなかったんだから。

「ちょっと待ってて……はい」

 オッサンがわざわざ立ち上がって何か取ると、腕を伸ばして渡してきた。

 渡されたのは、三十代のあたしがいつもかけてるらしい眼鏡。そう言えば、気絶する前にもかけたっけ。

 これがないと数メートル先のオッサンの顔もわからないんだから、相当視力が悪いってことだよね。

 裸眼じゃ文字通り何も見えないみたいだったし、あたしもこれは素直に受けて、眼鏡をかけることにした。

「……どうも」

 んで、ぼそりとお礼を一言。

 厚いレンズ越しの視界がクリアになって、ようやく自分の周りがはっきり像を結んでくれた。多少の違和感はあるけど、やっと辺りが見えるようになってちょっと安心。

 そうなるとこの家の中のことも気になってきて、改めて周囲を見回してみた。

 傍のカウンターキッチンは綺麗に片付けられてるし、廊下と同じフローリング敷きのリビングには、大きくて平たいテレビとお洒落な感じのソファーがあった。間接照明が色んなところに取りつけられてるけど、壁のほぼ一面がサッシになってる窓からは、自然光が射し込んでて明るい雰囲気。

 やっぱりあたしがいた家とは、雰囲気が全然違ってて。けど、これはこれで居心地が良さそうな家だって、素直に思うことができたのも事実だった。

 そしてーーオッサンは、もう一度見直してみてもやっぱオッサンだった。

「あのさ……」

 その時あたしの夫だというオッサンが、恐る恐る言ってきた。

 こっちの顔色を窺う姿には、迫力とか男らしさはなかったな。パソコン机の前で小さくなって座ってるその姿は、身体はでかいくせにしょぼくれてたし。

 あたしが無言でじろりと睨むと、オッサンはビビりながら先を続けてきたっけ。

「気を悪くしないで欲しいんだけど、病院に行ってみないか?」

「は?病院……何で?」

「いや……だってさ、突然自分が女子高生だなんて変なこと言い出」

「変って何?あたしの言うことが嘘だって言うわけ?」

 心に浮かんだことをそのままを、あたしは口に出してた。

 全然、変なんかじゃない。

 だって、事実なんだから!

 あたしだってさっぱりこの状況がわからないのに、どうして変って一方的に決めつけてんの?マジ、ムカつくんだけど!

 って、今だったら言いたかったことをすらすら書けるのに、何であの時に言えなかったんだろ。あー。

 パニくると、人間って言葉が出なくなるもんなんだね……

 とにかくバカにした言い種にカチンと来たあたしの怒鳴り声を浴びてたオッサンは、たじろぎながらも呟き声で返してきた。

「本気でそう信じ込んでるのが問題なんだって……」

「問題なんかじゃないもん!あたし、本当にまだ高校生なんだから!」

 あくまでこっちの頭がおかしいと思ってるオッサンにまたしてもムカついて、あたしはさっきよりも大きい声を出しちゃったんだよね。ホント、頭ん中が熱くなっちゃって。

 で、向こうが口を挟む暇を与えずに、一気に畳み掛けてた。

「気がついたらいきなり知らない場所にいてさ、ここはあたしが知ってる私の家じゃないし。オッサンが誰かもわからないし、あたし自身だって、いきなりなんか違う身体になってるし!ホントにもう、何なの?あたしだって、わかんないよ。何もわかんない!」

 ちなみに実際はつっかえまくって、こんなにキレイに言えてなかったと思う。要約するとこんなこと言ったかな、って何となく覚えてるだけで。

 けど夢中で言ってるうちに、何だか目も熱くなってきちゃってて。

 最後はもう、自分でも何が言いたいんだかわからなくなって。気持ちばっかりが先走って、うまく言葉に繋がらなかった。

 それが悔しいし、情けなくて。子供じゃあるまいし、感情を爆発させてどうするんだっての!……と、今ならそう思えるんだけど。

 で、視界が涙でぼやけてきたから手の甲で目をこすろうとすると、眼鏡が顔にぶつかった。

 あーもう、何から何まで全部ムカつく!って感じ。

 とにかく全てが気に障って、こんな些細なことでも、あたしの頭を沸騰させるには十分だったんだよね。

「わかったわかった、わかったから!」

 あたしがいまいましげに眼鏡を外してから涙を拭うのを見たオッサンが、どうどうと宥めてきた。

 でも、取り敢えずこの場を収めるために「わかった」って言ってんのがバレバレで。

 ……そんなんで、あたしのことをわかったって言って欲しくなんかなかったのにさ。

「何それ?全然、わかってなんかないじゃない!」

 だからもう、あたしは泣きながら怒りをぶちまけることしかできなくなってた。

 女が泣いて怒鳴る姿を初めて見たのか、オッサンがびくっと手を引いて身をすくませて。

 その態度自体があたしを認めてなくて、理解するのを拒んでる証拠だ!って反射的に思っちゃったんだよね。結局このオッサンはあたしのことをわかろうなんて思ってないんだ、だったらあたしも頼ろうとは思わない!とも。

「信じてくれないならいい。もう知らない!」

 込み上げてくる涙を堪えるのも限界になったあたしは、吐き捨てると同時に走り出してた。

「あ!ちょ、ちょっと待てよ!」

 慌てたオッサンが立ち上がって追って来るけど、振り切った。

 あたしが寝室に戻って乱暴にドアを閉めて鍵をかけたところで、やっとオッサンは追いついたみたい。結構激しいノックが繰り返されて、そこに途方に暮れた声が混ざってた。

「おーい、開けてくれよ……」

「知らない。話しかけないで!」

 あたしは白木のドアに背を向け、振り向かずにまた怒鳴った。

 怒鳴ったって言っても、相当な震え声だったと思うけど。

 ……オッサンはまたそれを真に受けたみたいで、すぐにドアの外側から人の気配がなくなったみたいだった。

 けど、何であたしがこんな目見なきゃならないんだとか、一体何やってるんだろうとか、色々頭の中がぐるぐるして、落ち着くまでちょっとかかったっけ。

 何分かしてちょっと冷静になってみると、自分一人しかいない寝室はがらんとして広いことに気づいた。荒い呼吸がやけに耳について、今度はこの部屋のゆったりした空間が逆に気になり出したんだよね。

 シングルベッドが並べてくっつけてある寝室にはチェストが二つと、あとはサイドテーブルの上の間接照明くらいしかない。けれど枕側の壁には風景画のタペストリーがかかってて、家具は少なくても殺風景な感じじゃなかった。

 毎晩休む部屋だから居心地の良さを最優先にした、けれども洗練された印象がある部屋。夫婦で色々と吟味してインテリアも工夫してるんだろうな、ってことが伝わってくる。同じ部屋でくっついたベッドに寝てるんだから、きっと仲もいいってことなんだよね。

 ただ、あたしにとってはマンションのモデルルームみたいに、わざとらしくて嫌味にしか見えなかったんだ。

 だって、あたしは知らないんだから。

 あのオッサンと過ごした毎日なんて、全然知らないんだよ。

 そう、知らないんだよね。何もかも。 

 あたしは足から力が抜けて、気がつくとベッドに身を投げ出す格好になってた。

 今までの時間を「知らない」という事実、あたしがこの時間の住人ではなかったという現実が、今更ながらにのしかかってきちゃって。

 高校をちゃんと卒業できたのか、わからない。

 仕事だって、何をやってたのかわからない。

 一緒に暮らしてるオッサンつまり夫のことも、何も頭の中に残ってない。

 毎日毎日何を食べて、何を着て、どんなテレビを見てたのかも知らない。

 自分の、大人になってからの過去が何一つわからないこの世界で、一体どうしろってわけ?

 神様なんて信じたことないけど、今日ばっかりは恨んで、祈りたい気分だった。何でここまで理不尽なんだろうって思う。

 世界全体から、自分だけが仲間外れにされた気さえしてたんだ。

 涙が流れてきても拭う気力すら湧かないくらい、身体も重たくて。

 ……そうして、ベッドに倒れ込んでからどれぐらい時間が過ぎたかわからなかったけど、パニクってる頭にあのオッサンの声が紛れてきた。

「おーい、起きてる?」

 寝室のドアを軽くノックしながら、遠慮がちにかけられてくる言葉だった。

 こっちに気を使ってるのがもろバレ。

 勿論あたしには、立ち上がって言い返す元気はなかった。だから無視してたんだけど、オッサンは閉ざされたドアの前でまだごにょごにょ言ってきて。

「あのさ、俺、ちょっと出掛けてくるから。もしお腹が空いたら、台所にカップめん置いといたよ。お湯もポットにあるから、遠慮しないで食べてな」

 だけどあたしは、やっぱり何も答えなかったと思う。そうしたら玄関が開く音に、鍵がかかる音が続いたのがわかった。

 オッサン、本当に出掛けちゃったんだ。

 ……それにしても、何なんだろ。あのお父さんかお母さんみたいな言い種は。

 まるで、あたしが何もできない子供みたいな扱いじゃん!

 自分の扱いに対する怒りが、いきなり無気力をも凌駕して。あたしは勢いよく飛び起きると、ベッドの上に背筋を伸ばして座り直した。

 だけど威勢が良かったのも、サイドテーブルの上にある鏡が視界に入るまでだったんだよね。

 小さな鏡に映る、眼鏡をかけたあたしの上半身。

 ちょっと茶色っぽいロングの髪に包まれた顔は、三十代後半にしては若々しいし、綺麗だと言えるかも知れなかった……かな。

 でもそれは、あたしの知ってるあたしじゃない。

 黒髪のショートカットで、無謀なまでの自信に溢れてる高校生のあたしの顔じゃなかった。

 面影こそ残ってはいるけど、歳を重ねた顔には愛着も何もなくて、まるで自分が幽霊になって誰かの身体に入り込んだような、違和感しか感じなくて。

 それが自分なんだって、いい加減に認識しなきゃいけなかったんだけど。

 そんなの無理だった。

 一瞬でおばさんになっちゃうって、まるで浦島太郎だし。

 そんなの、信じたくなかったから。

「……もう、何なのよぉ……」

 呟いた一言は、一瞬で涙声に戻っていた。

 人の気配が完全に消えた「自宅」で、あたしは声を上げて泣いた……

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