表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

my lady, my sweet.

作者: 卯月 朔


(あんたはねえ、辛抱が足りないのよ)

 育ててくれたあの人は、親の仇で、命の恩人。

 名うての狙撃手でもあって、冗談かと笑い飛ばしたくなるほどの額でおおっぴらには口にできないお大尽に雇われる。要するに、まっとうな稼業の人ではなかった。

 それがどうして、殺した標的の子どもなど拾う気になったのか。結局、その理由は最後まで訊かなかった――否。

 訊けなかった、というのが正しい。

(気は短いし。我が強い。そのくせ、ひ弱で非力でてんでなってないんだから)

(そんなんじゃねえ、あんた、すぐにのたれ死んでおさらばだわよ)

(辛抱なさいな。あんたは弱い)

(あんたの親父も、母親も、まとめて殺したこのあたしに、食わせてもらいでもしなくっちゃ生きていかれやしないほど)

(あんたは弱い。弱いんだから)

(だから、あたしが育ててあげる。一人前にしてあげる)

(それまでの辛抱よ)

(いつかあんたが大きくなって、しっかり育って強くなったら)

(そうしたら――)

(――仇を討ちにいらっしゃい)

 その言葉のとおり、あの人は最後まで、自分を育ててくれたのに。




「やれやれ……どこに向かっているんですかね、私」

『――はっ? 何? 何か言った!?』

 ハンズフリーで携帯とつないだイヤホンを、若い男の怒鳴り声が割る。

 ぜいぜいと息切れがうるさい。そんなに呼吸が苦しいなら、独り言など聞き咎めず、未成年者らしく自転車を漕いでいればいいものを。なにぶんこちらは自動車だ。優雅なものである。

 もっとも、道交法に真っ向勝負で信号機も車線もぶっ飛ばしているわけだが。

「なんでもありませんよ。今夜のお夕食は何をして差し上げようかと、僭越ながら一家の家政を預かる者として時間帯からも当然の呟きが漏れたまでです。それより、きみ、いい加減あきらめてお家に帰ってはどうですか? あとは私にお任せなさい」

『冗談じゃねーし! お、ま、え、だ、け、に、いいカッコさせてたまるかぁあああっ!』

「やれやれ……」

 ぅおおおおおっと、すさまじい音割れとともに聞こえる雄たけびが意地らしい。

 お抱え庭師の息子だけあって、日頃から仕事の手伝いに入っている彼もまた、鍛えられた足腰で自転車をぶっ飛ばしているにちがいなかった。若さというのは良いものだ。

 ガソリンのかわりに純情を爆発させている彼には、いささか申し訳ない思いもある。

 ――だがしかし。

「なんにせよ、私はもう到着しますので」

『ンだとぉおおおっ!?』

「あと、きみに教えた場所はうそです。こことは真逆ですし、自転車だと二時間以上かかります。だから、あきらめてもうお帰りなさい」

『はァッ!? ちょ、てめ、マジ、』

「子どもが危ないことに首を突っ込むものじゃありません」

『子どもって! おいっ、おいてめぇ――っ!』

 最近の若者は、ひとを罵るのに耳を疑うほど低俗な言葉を恥ずかしげもなく使うのでいけない。イヤホンからとめどなく聞こえる怒声にため息が出た。電話の向こうが激昂する。

『てめえ失礼にもほどがあンだろうが、俺に! 聞いてンのか!?』

「聞いてますよ。……聞きたくもありませんが」

『あ―――――っ、もう! ちくしょう! わかったよ今日は譲る! だから、いいか、絶対にお嬢を連れて帰れよ。ケガなんざさせたら承知しねェかンなっ!』

 わかったな、と念を押す声が荒い。不安なのだろう。やはり若い。その若さには好感が持てる。あとさき考えずに突っ走れる若さは。

 好ましいが、苛立ちもする。

「きみこそ失礼にもほどがありますよ。だれにものを言っているんですか? お嬢様は、この私が、かならずお連れして戻ります」

 場所は街はずれのうらぶれた港、目の前には廃倉庫。

 アクセルを踏んで突っ込めば、錆びの浮いた薄い鉄の扉はあっけなく吹っ飛んだ。車体の鼻先もヘコんだろうが、帰りの走行に支障がなければ問題ない。倉庫に飛び込んだところで尻を振りながら急停車。鳴り響くタイヤの音に電話の向こうも絶叫した。

『何やってンのお前ェえええ――――――――――っ!?』

 車外の連中と反応(レベル)がいっしょですよ、きみ。

 イヤホンをむしり取り、スーツの襟を正してドアを開ける。車を降りるといっせいに視線が向けられこそばゆい。磯とホコリの臭いがまじった空気のよどむ倉庫には、ろくでもない風体の男が目に見えて三人。

 物影にひとり、ふたりで、全部で五人。

 いまどき誘拐犯が犯行後に港の倉庫に陣取るなんて、ドラマの見過ぎだ。笑えもしない。

「――失礼」

 ひと言発しただけで、相手は緊張と警戒を高めて気配をこわばらせてくれた。

 だから出来る限りなごやかにつづける。

「こちらで当家のお嬢様がご厄介になっているかと思います。お迎えにあがりました」

「む、迎え? なに言って、おい、だ、誰だてめぇっ!」

「はい。問われて名乗るもおこがましいですが、私は五条御厨家の執事で――」

「柳谷!」

「――と、申します」

 お見知りおきくださいませ、と、別段お知り合いにもなりたくないが適当に言葉を締めくくり、呆気にとられる悪漢どもから視線をはずして声の聞こえたほうを見る。名乗りを代わってくれたのは、聞きなれた少女の声だ。

 倉庫の奥。

 後ろ手に拘束された状態で、制服姿の探し人が地べたに座らされていた。

「そちらにおいででございましたか、お嬢様。お怪我などは?」

「ないわ! 元気よ!」

 だいじょうぶっ、と響く声は、高く愛らしくたくましい。五条御厨家のお嬢様。

 長い髪を左右ひと房ずつ、頭の高いところで結わえたその姿も、ロップイヤーのようでじつに愛くるしいのだ。自己申告どおり、大事がなくてほっとする。精神的にも問題なさそうだ。お嬢様ははつらつとしていた。

「それでは、お嬢様。そろそろお暇いたしましょう。お早くお戻りなさいませんと、お夕食に間に合いません」

 お嬢様に微笑みかけながら、歩み寄るために足を踏み出す。

 こちらが動けば、突然のことにぼうっとなりゆきを見守っていた誘拐犯たちもさすがに正気づいて身構えた。手に手に持ったナイフやら拳銃やらで威嚇してくる。

 その程度なら可愛いものだが――姿の見えている三人のうち、ひとりがお嬢様の腕を持って引き立たせたので、とりあえず立ち止まってやった。

「う――動くな、動くなよ! そこっ!」

 きょとんとしているお嬢様に、ぶるぶる震える手でナイフを突き付けながら悪漢が吠える。推定二十代後半から三十代。いい加減若くもないだろうに、身なりはそこらの小僧といっしょで、いかにも頭が悪そうだ。

「動きませんよ。ですので、お嬢様への乱暴な振る舞いはお控えください」

「うるせぇっ、くそっ、なんだこいつ……お、おいっ、金はどうしたっ! 身代金はっ!?」

 そういえば、そのような要求もありました。

「大事なお嬢様、返して欲しいなら金持って来いっつったろうが! 山の手の、公園に!」

「なんでここがわかったんだ、なあ――?」

「もうどうだっていいよ、ンなこと! それより金はっ、どうしたっ!?」

 持ってきたのか、どうなのか、と口々に吐き出される怒声が倉庫に響く。ひどい音。

 身代金の受け渡し場所でなくここに直行したのは話のケリを早く付けたかったからで、どうしてここが知れたかといえば、むかしのツテを引っぱりだして調べさせた結果なのだが。彼らはそんなことも想像できないらしい。

「――金はどこだって聞いてンだよ!」

 痺れを切らしたように、お嬢様を捕まえていたひとりが怒鳴り散らした。

 お嬢様の顔のすぐそばでナイフを持った腕を振り回そうとする。

 だから、いたしかたなく――。

 その男の肩を撃ち抜いた。

 重い銃声にふっ飛ばされるようにして男が倒れ、腕を掴まれていたお嬢様もつられてその場に尻もちをつく。

「お嬢様に、乱暴な振る舞いはお控えくださいと、申し上げました」

 にこやかに告げると、誘拐犯たちの顔色が変わった。

 おそらく、こちらが後背から銃を抜いたのも気付かなかったのだろう。狐につままれでもしたかのようだ。倒れた男の悲鳴を聞いて、物影に潜んでいた連中も気が気でないのかひょこひょこと顔を見せてくれる。おそまつ極まりない。ためしにその近くの地面を弾くとそいつらまで悲鳴を上げた。

 どいつもこいつも――辛抱が足りない。

「身代金につきましては、まことに恐縮ですが持参しておりません。ご要望の額に用意がないわけではございませんので、当家の名誉のためにも、そこは誤解のなきように。しかし……金額について、皆さま方とご相談いたしたく」

「な、あ、あ……? 相談……?」

「はい。お嬢様の身代金、その額が――あまりにも少なすぎます」

 姿の見えている三人のうち、残ったふたりのお嬢様に近いほうから狙いを付けて引き金を引く。利き手を撃ち抜いて得物を弾き飛ばし、物影から飛び出してきた連中もおなじように利き腕と脛を撃ってすっ転ばせた。他愛ない。あまりにも簡単すぎて慈愛の情すら胸に浮かぶ。

 おかげで優しく言ってやれた。

 地べたでうめく、名前も知らない彼らに向けて。

「当家のお嬢様を……可憐で、聡明で、愛らしく、お健やかな、すすんでご友人の身代わりとなりかどわかされておしまいになる勇敢でお美しい私のお嬢様を、あの程度の額に見積もるなど言語道断。正気の沙汰とも思えません。この世には、言って良い冗談と、悪い冗談があるのです。それが理解できたなら――腕の一本なり、置いていってもらいましょうか?」




 あんたはねえ、辛抱が足りないのよ――と、あの人は言った。

 銃器の扱いは一通り教えてくれたものの、こらえ性がないからライフルはやめときなさいと事あるごとに言われ続けた。狙撃は向かない。だからあんたは殺し屋になんかなるんじゃないわ、と。べつに、狙撃ばかりが暗殺の手段ではないだろうに。

 そう言って育てた子どもが、まさか名家の執事におさまって、少女ひとりに東奔西走させられる日々を送ることになろうとは、さすがのあの人も予想だにしなかったはずだ。

「柳谷、柳谷。ちょっとこれは恥ずかしいわ」

「なにをおっしゃいます、お嬢様。お嬢様が攫われたと知り、私がどれほどこの胸を痛めたか。お察しいただけるのでしたら、どうぞおとなしくなさってください」

「それは……でも、それとお姫さま抱っこは関係ないと思うの……」

 拗ねた様子で唇をとがらせるお嬢様を抱きしめて差し上げたい、と思ったところで車についてしまった。

 後部座席にお嬢様をおろし、運転席に乗り込むと、かすかに羽音のような雑音が聞こえ、見れば助手席に放り出した携帯端末はまだ通話中になっているようだった。執拗な。さっさと切って自転車を漕ぐほうに集中すればいいものを。

 お嬢様の声はおそらく電話の向こうにも通じていて、ならばすこし話をさせてやるのが良心的な大人の対応――なのだろうが、迷わず切電した。歳が近いと言うだけで十分なアドバンテージだ。このくらい、悪いと思わないでもらいたい。

 エンジンをかけ、車を出す。

 伸びている悪漢どもは手配しておいた処理係がいいようにしかるべき公的機関に引き渡すだろう。倉庫の鉄扉をぶち抜いた車体はどうも具合がおかしいものの、屋敷までもつ程度には頑丈に出来ている。

「柳谷」

「はい、お嬢様」

 バックミラー越しに目を向ければ、お嬢様は長い髪の先をいじりつつ、何度ももじもじと座りなおして、いたたまれない様子だった。あちこち泳ぎ回る視線はついにこちらへ向かないまま、とがっていても愛らしい唇がちいさく動く。

「今日は、心配させて……悪かった、と、思っているの……」

「恐縮でございます」

「で、でも――でも、ね!」

 お前がいなければこんな無茶はしないのよ。

 運転席の背中に向けて、身を乗り出すようにそう言った。まっすぐに正面を見つめているお嬢様は、バックミラー越しの視線にはまったく気づいていない。そんなところもお可愛らしい、とは、思うものの。

 さて、これはすこし困ってしまいますね。

 うっかり苦笑すると呼気が漏れ、耳聡くそれを聞きとめたお嬢様が怪訝な顔をした。いくら活発な方とはいえ、座席を立ってこちらをのぞき込むほどの不作法さはなく、気色を汲み取ろうと難しく首をかしげてくれる。

「わたくし、なにかおかしなことを言ってしまった?」

「いいえ」

 めっそうもございません。

 笑ってしまいたくなる口元をどうにかおちつかせ、ずっと見ていたい少女の姿から進行方向へ目を向ける。行きはなにもかもぶっちぎってやって来たが、帰りは安全運転だ。なにせ後ろに大切なこわれものを乗せている。

 助手席にはあの人がいて、呆れながらため息を吐いているような気がした。

 まったく、心外だ。

 殺し屋になんかなるんじゃない――と、言ったのは貴女だろうに。おかげでこうしてまっとうに生きている。少女の頼りにされるくらいには、一人前にもなったでしょう。

(お前がいなければこんな無茶はしないのよ)

 これにはやはり、すこし、困ってしまいますがね。

「たいへん光栄です、お嬢様」






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ