64 女王帰還
船の汽笛が鳴り響き、どこから情報を嗅ぎつけたのかは分からないが、女王を一目見ようと港は人がごった返している。そしてまだ遠いが船が肉眼で確認できる。
ビアナの国旗を掲げた船にはファライアンの女王イヴさんとアルトラントの第2王子ルーシェルが乗っている。
64 女王帰還
「あの船だろうな……」
自警団と騎士団が民衆を押さえ込み何とか道を作る。そして港に用意された馬車の前に俺とライナ、アイラ議員が待機していた。
騎士団から女王の迎えは出さなかった。なので代表と言うことでアイラ議員が派遣された。
8年間一度も姿を現さなかった女王陛下を見る機会となれば、国民だってビッグイベントだ。押し合いへしあいで港は喧騒に包まれている。
そして船が港に到着した。
船員や、ファライアンの港の組合の人たちが橋を架け、船から陸に上がれる準備を着々と進める。それに息を飲んだ。ルーシェルが戻ってくる……もう絶対にあいつらの手に渡しはしない。オーシャンでもファライアンでも守れなかった俺をルーシェルは未だに信用してくれるだろうか?
船員が先に下りて足場を確認して船の中に合図を出す。
その後に出てきたのは青年に腕を引かれた幼い少年。間違いない……
「ルーシェル!」
「あ、ダフネェ!!」
「おいこらルー!走んな馬鹿!」
名前を呼べば、表情を輝かせて走って船から下りる。あぁあ、そんなに走ったら危ない……!ルーシェルは手を繋いでいた青年の手を振り払い、走ってくる。その後ろからは青年が慌てて追いかけている。
でも案の定、ルーシェルはつまづいて、その場にいい音を立てて倒れこんだ。言わんこっちゃない!
「うああぁぁああ!!」
「あーもう泣かないの。折角感動の再会だったのに……」
「馬鹿だ……本当に馬鹿だ」
足に擦り傷を負って大泣きするルーシェルを抱き上げる。子供特有の高い体温に酷く安心した。まだグスグスと泣き続けるルーシェルも、しっかりと肩を握ってくる。それにしてもこの青年、中々失礼な奴だな。
その光景にライナは笑い、国民たちも笑う声が聞こえた。
でも一瞬で国民たちが静まり返った。そこにはゆっくりと歩くイヴさんがいたから。
アイラ議員が頭を下げ、その後ろでライナも俺も頭を下げた。その光景を見て、国民もこの人が女王だと理解したらしい。さっきまで喧騒の渦だった港は恐ろしいほど静まり返っていた。
「ご無事で……イヴ女王陛下。私は議員のアイラと申します」
「私を再び迎え入れてくれたこと、感謝します」
イヴさんの雰囲気が今までと違う。今までは大人しくて、本当に優しい女の子と言った感じだったけど、今は違う。いや、今も優しい女の子ではあるんだけど威厳って言うのかな……女王として相応しい様に感じた。
8年ぶりの外の世界で、更に誘拐までされたのにイヴさんからは外に対する恐怖は微塵も感じさせることはない。しっかりと前を見据え、アイラ議員に頭を下げた。
イヴさんは腕を引かれ馬車に連れられていく。しかし馬車に乗ろうとした瞬間、国民がざわめきだした。
「この目狐が!お前が騎士団に命令して主人を殺したんだろう!なぜ帰ってきたんだ!?」
そこには少し小太りの婦人が立っていた。婦人の横には娘なのだろうか、若い女の姿もある。
誰だか分からずに首をかしげたけど、アイラ議員がイヴさんを庇うかのように前に出た。
「アイラさん?」
「……彼女は先日のクーデターの際に騎士団に刺殺されたダリア議員の奥方です」
じゃあ夫が殺されたって事か……
婦人の目には怒りが宿っており、他の国民の制止や、騎士団と自警団が押さえ込んでも声を張り上げて怒鳴り散らす。でも気持ちが分かるから何も言えない。
恐らくこの人の旦那はバルディナとの内通者じゃなかったんだろう。それでもクーデターの際に騎士団によって殺された。その騎士団は女王に傾倒していた、この人からしたら女王は愛する夫を殺した騎士団の統率者って所なんだろう。
「その件に関しては直に発表があります。女王の心労を増やすような真似は止めなさい」
「うるさいアイラ!私達はあの日に全てを失った!夫が殺され、周囲の人間に蔑まれ、奈落の底に落とされたんだよ!」
今こそデューク議員の活躍と、青の国宝石の影響が薄れてきたからこそ、国民の議会に対する不信感は少しずつ薄れていってはいるが、未だに議会全てが売国奴だと言う人間も少なくない。
恐らく議員の家族は周囲の人間に手荒い歓迎を受けたのだろう。デューク議員もそうだけど、他の議員も家族を城に呼んでいたから恐らく相当酷かったんだと思う。
でもこの人は夫を亡くして助けてくれる人がいなかった。何もかもが壊されてしまったんだ。
涙を流しながら怒鳴り声をあげる婦人に馬車に乗っていたイヴさんが降りて婦人に近づいていった。
「イヴさん!?危ないから……」
「大丈夫よ、これは私の業なの。私のせいでこうなった」
イヴさんは婦人の前に膝をつき、頭を下げた。
ファライアンの最高権力者が市民に頭を下げたのだ。皆がその光景を信じられない物を見るような目で見ていた。
「今回の件、全ての責任は私にあります。私の未熟さゆえに止めることができなかった事を悔しく思っています。私は然るべき罰を受けるつもりです。貴方の家にも生活の保護はします。それで許せとは言えませんが……本当に申し訳ありませんでした」
夫人はイヴさんを見て涙をボロボロ流して、その場に崩れ落ちた。
「違うの、違うのよ……夫は、あの人はこの国が大好きだった。この国を守るために議員になったの……議員が全て悪者だなんて思わないで。少なくともあの人だけは……」
「思いません、思いたくもありません。彼らがこの国を憂い、この国にどれだけ尽くしてきてくれたか。約束します、ファライアンは今日蘇る」
ハッキリと告げられた言葉。ファライアンを蘇らせる発言に女性だけじゃなく、アイラ議員も他の人たちも皆がイヴさんに視線を向けた。イヴさんは女性の肩をやさしく撫で立ち上がり、馬車に乗り込んだ。
その後を俺とルーシェル、ライナも追った。
「女王陛下、差し出がましいと思いますが、一国の主君が簡単に頭を下げるべきではないと思います。軽はずみな行動は控えたほうがよろしいかと」
馬車の中でアイラ議員が淡々と告げた。
そうなのかもしれない、国のトップが頭を下げたら、実質騎士団のクーデターにより議員が殺害されたと認めるようなものだ。軽はずみな行動が国民の不信感を煽るのも分かる。
「そうかもしれません。しかしこれは全て私の業ですから……」
「あんただけじゃないよ。あんたも議会も騎士団も全て、全てが被害者だ」
皆が青の被害者だ。それはライナの言うとおりだ、女王も騎士団も議会も国民も皆が青の影響を受けた。それほど国宝石は恐ろしい物だったんだ。ルーシェルはどうなんだろう、女王と違って見たところ外傷は全く無いみたいだけど……
でも俺の不安は的中していたらしい、女王は表情を暗くした。
「ルーシェル君はさすが緑を引き継いでいると言っていい。傷の治りが早いわ、緑が自然に治癒しているのね」
「そんな……」
緑を使えば使うほど、ルーシェルの寿命は削られていく。でもそれはルーシェルが使わなくても、緑が勝手にルーシェルの傷を癒していく。ルーシェルは緑を操れないって事なのか?
やっぱり国宝石は人間が操れる物じゃなかったんだ。あれを操れたのは大戦の英雄たちだけ……今となってはダレンしか操る事ができないんだ。ルーシェルやイヴさんだって俺達には想像できないぐらいの覚悟を持ってるに違いない、じゃなきゃ国宝石を継承するなんてできないから。それでも操る事ができないんだ……一体どれほどの意志の強さを持てば国宝石を自分の力にできるんだよ。
その時、ルーシェルが俺の手を握ってきた。顔を向けると、いつもの緊張感の無い笑みを浮かべている。
「ルーシェル?」
「嬉しいな、ダフネにまた会えるなんて思ってなかったから」
この子はこんな時でも笑っている。自分に会えたのが嬉しいと言って。こんな大変な事に巻き込まれて理不尽な目に遭っても、こうやって小さな事で笑う事ができるルーシェルは本当に強いと思った。
いつぶりかな、笑えたのは。
「俺も……嬉しいよ」
「ダフネ、だっこして」
言われるがままに10歳にしては小柄な部類に入るだろう体を抱き上げて膝に乗せた。そのまま抱きしめればポロポロと涙が零れた。守ってやるって決めてたのに全く守れていない、危険な目ばかり遭わせている、最低なお世話係だ。
でも泣いている俺とは対照で、ルーシェルは全く泣かなかった。ただ笑ってしがみついてくるだけだった。
「ダフネは泣き虫だね」
「……ルーシェルには負けるよ」
「俺違うよ。もう泣き虫は卒業したんだもん」
偉そうに言うから少し対抗してほっぺを抓ってやった。ほら、もう泣きそうになってるじゃん。それに笑えば、ルーシェルは顔を真っ赤にして怒ってきた。
「ダフネ、今のは駄目なんだよ!」
「ははは!全然泣き虫のまんまじゃん!」
「相変わらず仲の良い事で」
ライナの突っ込みも入れば、3人で旅していたような感覚に陥った。いつの間にか、この3人の誰が欠けても心に大きな穴が開く。最後まで3人で一緒に居たいって心の底から思えた。今度こそ、ルーシェルとライナは俺が守ってみせる。
その間、イヴさんは笑みを浮かべていたけれど、一言も言葉を発する事は無かった。馬車で2人でなにやら話している青年2人はリオンとローグと言うらしい。リオンはレオンの弟で、ローグはリオンの相棒でトレジャーハンターなんだとか。
2人はルーシェルとイヴさんの護衛兼、ファライアンと正式に同盟を結ぶ為の駐屯大使として派遣されたらしい。これで準備は完全に整った。
馬車が城の門をくぐり城内に到着する。国民の喧騒の声はもう聞こえなくなっていた。馬車から降ろされて待っていたのは、デューク議員を筆頭にする議会と、ネイハムを筆頭にする騎士団だった。その後ろには使用人たちも控えている。
皆が初めて見る女王の姿に息を飲んだ。中にはこんなに若いのか……そう言う声も聞こえてきた。
デューク議員とネイハムは一歩前に踏み出し跪いた。
「女王の帰還を我らは待ち望んでおりました」
「私を受け入れてくださって感謝しますデューク……貴方は」
「ネイハムと言います。ファライアンの軍団長を代理で務めさせていただいております」
イヴさんが顔を悲しそうに歪めた。多分ジェレミーを探しているんだろう、そして議会の方を見て、使用人の方にも目を向けた。ローレンツもメリッサも中にはいない。2人ともまだ医務室に缶詰状態だから。
メリッサはイヴさんに会いに行きたがったけど、まだ怪我の方は完治していない。行かす事ができないと告げれば、黙って行こうとしたのでアルシェラが魔法で金縛りにあわせて強制的にベッドに縫い付けてきた。迎えに行こうとした俺に「薄情者~!」と言う半泣きの声が背中に突き刺さった。
まぁそんな事はいいだろう、イヴさんはデューク議員とネイハムに頭を下げた。でも一歩近づいた瞬間、ネイハムが瞬時に立ち上がって身を引いた。
「あ……」
ネイハムの顔が真っ青になっていく。自分たちが国宝石に影響を受けていた時の事を思い出したのか、恐怖が根付いてしまっているネイハムは女王を拒絶してしまった。
イヴさんは一瞬目を丸くしたが、すぐに表情を切り替えた。
「ネイハム、私は怒っていないわ。その様に怯える事は……「そんな事、出来る訳ないだろ」
ネイハムの後ろに控えていたランドルフが絞り出すように小さな声を出した。その言葉はネイハムを庇っているのか、それとも……
「俺達騎士団は……あんたの帰還に反対だったんだよ。議会と同盟国が許可して多数決で負けたから迎え入れたんだ」
「ランドルフ……」
「俺の名前を呼ぶな!」
ランドルフの怒声にイヴさんの肩が跳ねた。ランドルフを抑えようとした議員や騎士団を払いのけて、ランドルフは声を張り上げた。その姿は大きな何かに怯える小さな子供のようだった。ランドルフたち騎士団は恐怖が根付いてしまっている。
「あんたと関わると皆が不幸になるんだよ!そうだろ?間違いねぇだろ?フリック王子だって、ジェレミーだってメリッサだってローレンツだって、俺達も議会も全部あんたのせいで滅茶苦茶になるんだよ!」
「私は……」
「帰ってくるなよ!やっと国がまとまって来たんだ……それなのに、帰ってくるとかふざけんな!俺はお前なんか待ってない!」
「ランドルフ!」
デューク議員の怒声にランドルフの動きが止まった。そのまま崩れ落ちたランドルフを責める人間は騎士団にはいなかった。騎士団は皆、ランドルフと同じ意見なんだろう。だってさっき言った通り、女王の帰還に反対してたんだから。
でもイヴさんにそんなこと言ったら……固まっているイヴさんにアイラ議員がサポートするように話しかけている。
「話し合いの結果を未だに引きずる等、情けない真似は止めろ。ネイハムを見習ったらどうだ?」
「てめぇには分かんねぇんだよ!青に操られる事が!あんな事が起こって、あんな事をしちまって、その元凶が戻って来るのを黙って許可できる訳がねぇだろ!」
「女王は国のシンボル、ファライアンは女王国だぞ」
「だから何なんだよ!?それだけで全てお終いになんてできんのかよ!?」
「私が憎いのなら処刑でも何でもなさい」
イヴさんの声に喧騒が一瞬で無くなった。イヴさんの目には怒りなど宿っていない、凛とした姿勢を崩さずにランドルフに向き直った。ランドルフもこんな事を言われるとは思っていなかったんだろう、目を丸くしている。
「私は償いに来ました。それが処刑でも島流しでも、あなた方が望む事を行います。それが私の責任です」
「女王陛下……」
「私は甘えていただけだった、外に出て初めて分かった。騎士団が、議会がどれほど私を助けてくれていたのかを……外は汚い物ばかりだった。政治や諸外国の圧力、民衆の圧力、私ならば心が折れていたかもしれない事を貴方たちは今までやってくれた。私は箱庭で何も知らない振りをしていた。外に出たいと我侭を振りかざして」
イヴさんは、もう泣いているか弱い女の子じゃないのかもしれない。ビアナで何があったか知らないけど、ファライアンの女王と言う自覚をすごく持ったように感じる。その姿はファライアンの女王としての威厳に満ちていた。少し前までは気弱な女の子と言う印象だったけれど、今は違う。自分から行動しようとしているのだ。
今回の騒動でイヴさんも少しずつ女王として成長したのかもしれない。
「私は青を使いこなし、ファライアンの民を守る。それがファライアン女王一家ファーディナント家の使命」
「陛下」
「もう迷わない、青なんかに支配されない。私がファライアンを率いる」
凛とした声と決意に皆が静まり返った。デューク議員の満足気な表情にイヴさんは目を細めた。
デューク議員が必死になって守ろうとした女王とファライアン、女王は今日新たに蘇った。前女王である母親の意思を継いで。両親、兄弟、自由……大切な物を失いながらも今まで懸命に生きてきたファライアンの女王は今日から表舞台に立つ。
外は汚い物ばかりだ、否応にでも見たくない現実も見なければならない。でもデューク議員の言った通り、女王の自覚さえあれば、今のイヴさんならきっとやり遂げられると思った。
「ランドルフ、私はこの戦争でファライアンを守った後で全ての罰は受けましょう。それまで、もう一度……私に力を貸して」
ランドルフは顔を伏せて、歯を食いしばりながらも小さな声で返事をした。
「……勝手にしろよ。ジェレミーとネイハムが言えば、俺達に拒否権なんざねぇんだ」
ランドルフたちはそれでもまだイヴさんを認めていないみたいだ。あの時の傷がそう簡単に治る訳が無い。だからこそジェレミーとネイハムが必要なんだ。2人が、2人だけが騎士団を再建できる。
今日、ファライアンは蘇る。
「なんだか、まだまだ問題多いんじゃないファライアンは」
「マシになったんだよ。それより分かってんだろうなローグ、俺達は俺達の任務を遂行すんぞ」
「はいはい、情報収集と潜入はお手のもんだ。任せてよ」