60 狭い世界の中で
「王子殿下、女王陛下、少しお話ししたい事がある」
イグレシアのお屋敷に連れていかれて、イヴさんと広い部屋に閉じ込められた俺達は逃げる事も出来ず、ただ嘆くだけだった。
イヴさんは完全に諦めきり、俺ももう諦めかけそうになった時、扉が開いてビアナの当主イグレシアが入ってきた。
60 狭い世界の中で
「何、何か用なの?」
警戒心むき出しで問いかければ、イグレシアは近くに会ったソファに腰掛けてジッとこっちを見つめてきた。
イヴさんはイグレシアに視線すら寄こさない。俯いて黙っていた。イヴさんは俺が守らなきゃ……イグレシアが酷い事言ったら俺がやっつけなきゃいけないんだ。こいつは悪い奴なんだから。
「今回の件、申し訳ないとは思っている。だがビアナにも事情があるんだ」
「そんなの知らないよ。俺はあんたを絶対に許さない」
「分かってくれとは言わない。恨まれるのも覚悟の上だ。だがビアナが潰される訳にはいかない」
そう言われたら何も言えなくなる。そりゃあ自分の国が一番大事だって事は分かってる。だったら無視を決め込んでくれればいいのに、バルディナの味方みたいな事するからいけないんじゃんか!俺達をこうやって追い詰めるからっ……
どうしてかな、どうしてこんな事になったのかな?俺達何か悪い事したのかな?
俺、ただクラウシェルとミッシェルを助けたかっただけだよ。パパとママを殺されて、もう俺にはクラウシェルとミッシェルしかいないんだ。助けたいって言うのがそんなに駄目なの?どうして誰も味方してくれない。
こんな奴の前で泣きたくないのに涙が溢れた。
グスグス泣き出しても慰めてくれる温かい手は無い。大丈夫だよって励ましてくれる優しい声は無い。ダフネはここにはいない。
その現実が絶望的なように感じられ、自分がどれだけダフネに依存しているのを思い知らされる。
「どうして……どうして邪魔するの?俺何か悪い事したの?」
「王子……」
「俺、家族を助けたいだけだよ。皆を奴隷政策から解放したいだけなのに、何で、どうして分かってくれないの!?」
怒りが全身を襲い、イグレシアに掴みかかった。上手く力が入らない手で一生懸命あいつの服を握った。イグレシアは何も言い返してこない。掴みかかった腕を突き放す事も無い。ただ黙ってた。
なんだよ、そうやって同情するのかよ。そんなのいらないよ!そんなのいらないから解放してよ、ダフネの所に返してよ!
「返してよ。ダフネの所に帰りたい……帰りたいよぉ!」
「悪いがそれはできない」
「うああぁあぁぁあん!!ダフネ、ダフネェ!!」
ダフネと一緒にいた時は、こんなに怖いって思った事は無かった。でも怖い、自分が死に近づいている事が怖い。パパやママみたいに殺されるのは嫌だ、まだ死にたくない、元の生活に戻りたい。何も悪いことなんてしてないのに……
イヴさんの手がゆっくりと体を包む。そのままギュって抱きしめられた。
「ルーシェル君、何も期待しちゃ駄目だよ。ここには期待するものなんて何もない」
「……」
「世界は……こんなに汚いんだもの」
自分自身に言い聞かせた言葉にもイグレシアに投げかけた言葉にも聞こえた。
イヴさんに抱きしめられたからイグレシアの表情は見えない。でもバタンと言う扉を閉める音が聞こえたから出て行ったんだと言うことだけはわかった。
「ルーシェル君、貴方だけは私が何としても守るわ。青を多用したとしても……」
「イヴさん?」
「絶対に貴方だけは守ってみせる」
男の俺が守ってあげなきゃいけないのに、イヴさんに守られるなんて。自分が情けない……俺ももっと強くなれたらいいのに。
―イグレシアside―――――
「王子たちはなんと言っていた?」
「……憎まれていたよ。それも仕方がない事だと思っている。逆の立場だったら俺も同じ反応だろう」
扉の先にはモルガンがいた。どうやらモルガンも王子と女王が気になるようだ。
自分がしていることは分かってる。それが残酷な結論だったとしても……王子と女王を売り渡そうとしているのだ。ビアナが巻き込まれない為とは言え、幼い子供と女を生贄にしようとしている自分の行いは誰から見ても最低だろう。
1人になるために自分の部屋に向かおうとモルガンの隣を通り過ぎた時にモルガンから通達された。
「明日にバルディナが到着する予定らしい。3番ゲートを開けておく」
「分かった」
「……第2騎士団副団長であるイグネイシャスが来る」
「殺戮人間イグネイシャスか……面倒なのを送ってくるな」
イグネイシャスと言えばジュダス率いる第2騎士団の副団長を務める男であり、殺戮人間の異名をとる騎士だ。剣の腕が非常に立ち、冷酷で残虐、必要であれば赤子だろうと躊躇なく切り捨てる殺人鬼。
また戦いを常に渇望し、考え方も非常に暴力的だ。そんな奴が一応交渉になるであろう場に来るだなんてあまりにも相応しくない。もっと交渉に向いている騎士や宰相ならいくらでもいるだろうに、なぜ敢えて奴を送ってきたんだ。
モルガンもイグネイシャスがビアナに来ることに疑問を持っているらしく、渋い表情をしている。
「イグレシア、許可をくれ。俺達軍隊を待機させてくれ。いつでも動けるように」
「……」
「もちろん表だったことはしない。向こうが何もしなければ、こちらも動かない。だが相手はイグネイシャスだ。何を言ってくるかわからない」
「しかし……」
「貴方とビアナを守りたいんだ」
「……分かった、許可しよう。北に向かってくれ」
モルガンが了解の合図を取り、その場を立ち去っていく。
恐らく何もない。向こうだって今の状況でビアナを攻撃はしてこないだろう。恐らく俺たちビアナの攻撃順位は最後、すべての国がバルディナの支配下に下った時。今の行動は問題の先延ばしにしか過ぎない。
だがバルディナとパルチナへの対抗勢力がない今、むやみにバルディナに反発することはビアナの滅亡を早めることになる。
“俺、家族を助けたいだけだよ。皆を奴隷政策から解放したいだけなのに、何で、どうして分かってくれないの!?”
王子の言葉が思い出されて拳を握り締める。
明日にはバルディナにわたるであろう、10歳の幼い王子。向こうでどんな目に遭うかはわからない。だが恐らく第1王子のクラウシェル王子と共に公開処刑だろう。そんな目に勿論こっちだって遭わせたい訳ではない。
「俺だって手伝ってやりたいさ」
ビアナがもっと強く、バルディナとパルチナへの対抗勢力さえあれば。
アルトラントは陥落し、ファライアンは崩壊し、東天はいつまでも開国しない。そんな国たちと手を組んだ所で、どうしようもない。
もう誰もバルディナの進軍を止めることはできない。自分が生きている間に世界はバルディナの物になるだろう。そして全ての国が奴隷政策を受け、あちこちでザイナスのような独立戦争が起こる。世界は崩壊に向かっているのだ。
「イグレシア様」
声がしたほうを振り返れば、そこにはルイーゼが立っていた。
ルイーゼはバルディナが来ることに怯え、震えを必死で隠しているが隠し切れていない。
「ルイーゼか、どうした」
「……明日のスケジュールをお持ちしました。明日の早朝に到着し、13時から15時30までバルディナが話をしたいと。その後に王子と女王の引き渡しを望んでます」
「そうか、仕方無いな。許可しよう、俺も少し話したい事がある」
ルイーゼは頭を下げてその場を立ち去った。
俺も自室に戻ろう。この場所に突っ立っていても意味はない。少し色々考えなければいけないこともあるだろう。
これからのビアナの為に。