57 第3皇子クリスティアン
「ミッシェル、降りなさい。着いたわよ」
ブラス城を出て、再び馬車で1週間、もう随分長い旅をしているような感覚だった。景色も見たくなくて顔を伏せてたら外から声が聞こえ、馬車が止まった。そしてマライアが外に出て私を誘導した。
どうやらバルディナ帝国、皇都ベアトリスに着いたみたい。
神様の椅子
57 第3皇子クリスティアン
いつの間にか城門も抜けて、大きな城の前に馬車がついていた。そしてその城の入り口前に1人の男が立っていた。胡散臭い笑みを張りつかせて、偉そうに腕を組んで立っている。あぁ、ウィリアムね……気に食わない顔してるから少し遠くてもすぐに分かったわ。
「やぁミッシェル王女、お待ちしていたよ。早速だが皇帝に会っていただきたい」
返事をしなくてもウィリアムが怒る事は無く城の中に入っていく。私はマライアに逃げない様に腕を掴まれて連行されるかのように後をついて行かされた。
エルザとエリザは兵舎に戻るらしく一緒には来なかった。別にいらないけど。
辿り着きたくなんかなかったのに辿り着いてしまった。これから私にどんな生活が待ってるかは分からないけど、きっと嫌な事しか待ってないんだろうな。でも私がここに来た事で奴隷政策はある程度緩和されるはずだ。その条件でクラウシェルは私を差し出したんだから。
城の中は広く、一番奥にある皇帝の部屋まで向かうのだけで1時間近くかかった気がする。無駄にでかくしてんじゃないわよ。税金で作ってんでしょこれ。
一際大きな扉が見えて、間違いなくここだと一目で分かった。ウィリアムが私とマライアに振り返り、マライアが頷く。そして門番をしている騎士によって扉が開かれた。
扉から真っ赤な絨毯が敷かれており、その先には宝石などがあしらわれた豪華な椅子がある。その椅子に座っている王冠を被った老人が……バルディナ帝国皇帝イマニュエル・ネイサン。パパとママの処刑の時にも顔を出してた気に食わないクソジジイ。
「父上、連れて参りました」
「こ、壊したい。何も、かも。ほほほ、欲しい、緑が欲しい……」
帰ってきた返事は返事じゃない。狂ったようにうわ言を呟く皇帝に恐怖を覚えた。これがこの巨大な国を引きいてる皇帝だって言うの!?
顔を上げると、辛そうな顔のウィリアムとマライアが視界に入った。そりゃ実の父親がこんだけぼけりゃ、そんな顔にもなるわよね。でもイマニュエルの言葉には続きがあった。
「可愛い、可愛いクリスティアン。クリスティアン、クリスティアン!」
そして頭を抱えて嘆きだしたイマニュエルにウィリアムが慌てて駆け寄った。ちょっと……これは流石に御隠居した方がいいんじゃない?もう笑えない所に来てるわよ。
「すまないなミッシェル、皇帝は少し体長が良くない。改めて呼びに行くから、クリスティアンに会いに行ってくれ」
焦った様な言い方で部屋をマライアと一緒に閉め出された。
なんだか余りの光景に私も何も言う事が出来ない。そのままマライアと無言のままクリスティアンがいると言われている場所に連れて行かれる。一度城を出て、中庭を抜けて、西の離宮と呼ばれる場所まで歩いてきた。ここまで歩くのに30程度かかった。こんな離れた所で暮らしてんの?
周りに人はいない。離宮と言われる場所なだけあって、本当に隔離されてる感じ。そんな中、離宮の前に軍服を着た女が立っていた。女は私達に気づいて頭を下げる。
「お待ちしておりましたミッシェル様、私リアラと言う物です。クリスティアン皇子の護衛をさせていただいております。ここからは私にお任せ下さい」
「えぇ頼んだわリアラ。じゃあねミッシェル」
「ふん、さっさと消えなさいよ年増女」
マライアは表情を崩すことなく立ち去った。何よ嫌味はスルーされるのが一番ムカつくのよ。残されたリアラって女が気まずそうにしてたけど、そんな事を私が気にする必要なんてない。
とりあえず着いて来いって言われたから、返事をせずに離宮の中に足を踏み入れた。
中は結構広い。こんな広い場所を与えられるのなら、そんなに具合が悪いって訳じゃないんじゃない?だってこの離宮の中を全部歩くのだって一苦労しそうじゃない。屋敷の中には使用人が5人程度控えていた。それぞれが頭を下げて、そそくさと離れて行ったけど、遠くから視線がぶつかって気分がいい訳がない。なによ、ジロジロ見るんじゃないわよ!
とりあえずこの離宮のどこかにいるクリスティアンの事を聞く為に嫌嫌だったけど、リアラに聞いてみる事にした。
「ねぇ、クリスティアンの病気って何な訳?風邪とか言ったらぶん殴るわよ」
「……正確には解明されていません。ですが遺伝的な物で起こる極めて珍しい御病気だそうです」
「遺伝?」
「染色体の1つが別の染色体と交差する事で起こる御病気です。筋肉がどんどん退化して行くものだと診断されました」
なんだ、ただ単に力が無くなるだけじゃない。それだったら運動でもしてりゃいいじゃない。
でも私が思っている以上に複雑な病気だった。
「次第に筋肉の衰えが進み、最終的には呼吸筋、心筋の機能も弱まり、死に至る。それがクリスティアン様の御病気です。今の所、治す方法も無く、感染性の物ではありませんが、感染するという噂に惑わされた者たちによって離宮に移されたのです」
リアラの説明は難しかったけど、最終的には死んでしまう重い物らしい。医者でも治せず、他人に移ったりしないのに、勝手に流れた噂のせいで閉じ込められている。
そしてリアラはその後に、家族との面会も半年以上出来ていないと言っていた。家族が来ないって言うのだ。でもイマニュエルの様子じゃ、かなり溺愛されてる感じがあったけど、どうして面会に来てやらないんだろう。
私だったら毎日寂しくて泣いてるかもしれない。悲しくて苦しくて……少しだけ同情してしまう。でも私が受けた物はクリスティアンが受けた物よりずっと重くて苦しい。許してやる気なんて更々ないけれど。
リアラが立ち止まって部屋を開ける。そして入るように促してきた。
言われたまま中に入れば、そこには小さな机と椅子がある以外は何もない部屋だった。その部屋の窓際にベッドが置かれていて、そこに誰かが眠っていた。
「ミッシェル様、あの御方が第3皇子クリスティアン様です」
あいつが……本当にヒョロヒョロっぽいわね。
そいつもリアラに気づいて振り返る。目が合って気まずい中、背中を押されて嫌嫌近づいた。
顔を合わせずそっぽを向いていたら、そいつが話しかけてきた。声は小さく、今にも消えてしまいそうな程か細い物だった。
「あぁ、リアラから聞いてるよ。俺の奥さんだろ」
「気安く奥さんって言うんじゃないわよ。ミッシェル様って言いなさいよ」
「それはすみませんでした」
こんな弱そうな男と結婚するの?寝込んでて色白でひょろひょろで……どう考えたって、今にも死にそうな男じゃない。
そう心の中で馬鹿にしたけど、エルザの言葉が思い出された。クリスティアンに王位継承権の放棄の話は無い。理由は会って確かめてみるといい……そう言われた。そしてそれが分かった。
ウィリアムはクリスティアンを見捨ててるんだ。クリスティアンはまだ幼いから、子どもが出来る前に死ぬだろう。だから王位継承権を放棄させる必要もないって。
マライアだけがクリスティアンを見捨ててなかった。マライアには夫がいない、つまり自分と同じ結婚していないクリスティアンだけが味方の様に感じてるのかもしれない。
もんもん考えている私に何を勘違いしたのか知らないけど、クリスティアンはポツリと呟いた。
「嫌なら逃げれば」
「はぁ?」
「俺も后なんていらないし、君も嫌なら逃げればいい。リアラが逃がしてくれる」
そう言ってベッドに横になってるクリスティアンを覗き込んだ。クリスティアンの顔色は良くなく、細く青白い腕は力を入れたら折れてしまいそうだ。クリスティアンは病弱だと聞いた。嘘だと思ってたけど、本当の様だ。
とりあえずクリスティアンの眠っているベッドに腰かけた。自然と狭くなる為、クリスティアンが隅による。落ちても私のせいにしないでよね。
「馬鹿じゃない?逃げれるなら逃げてるわよ。あんたから何とか言いなさいよ」
「……父上は君を逃がさないよ。ゲーティアを手に入れる為なら」
「だからなんでっ」
ゲーティアを手に入れる必要がある!?そう言いたかったけど言えなかった。
クリスティアンはただ悲しそうに窓の外を眺めていた。クリスティアンの隔離された部屋からは皇帝イマニュエルがいる宮殿が良く見える。
こんな所に隔離されて悔しくないんだろうか。クリスティアンの病気は感染するものではないと聞いた。それなのに……こんな場所にたった1人で幽閉されて、家族にも会えないで。
「……父上と兄上達は俺の病気を治す為にゲーティアを欲していた」
「え?」
「父上もウィリアム兄さんもジュダス兄さんもマライア姉さんも皆……国宝石の全ての傷を癒す力、それが欲しかった。そして緑の国宝石がアルトラントにあるのを知って、アルトラントの国宝石が欲しくて仕方がなかった。最初は世界侵略をしようなんて全く考えてなかったんだ」
もしかしてバルディナがアルトラントを襲撃してきたのは皆、こいつの為……クリスティアンの病気を治したかったから……だったらそう言えばいいじゃない。
なんで侵略した?なんで使者を使って盗もうとした?話しさえしてくれたらアルトラントだって態度が違ったかもしれない。私達がこんな目に遭う事も、パパとママが死ぬ事もなかった!
私は思いっきりクリスティアンの顔を殴った。
慌てて私を抑え込んだリアラをクリスティアンが放すように告げて、再び掴みかかって怒鳴った。
「じゃあ何でそう言わないのよ!なんで侵略したのよ!?」
「……過去にパルチナの南下をバルディナが戦争で食いとめた事があった。アルトラントではどんな情報が流れていたか知らないけど、あの時バルディナは負けを覚悟していた。でもその状況を見かねた父上が黒の国宝石を継承した」
30年前パルチナの南下の話なら聞いた事がある。アルトラントを侵略する為に行われた政策。数年間の飢餓に襲われていたパルチナが食料を求めた結果だった。
そして条約があったからバルディナがアルトラントを守る為にパルチナに対抗し、戦争になった。アルトラントからも勿論兵は派遣されたけど、8割近くはバルディナの兵だったって聞いた。
あの時、バルディナは不利な状況だった。でも負けられないから国宝石を……
バルディナが言ってた。国宝石はすごい魔術書を探す手段で、宝石にも魔法がかかってるって。じゃあその魔法を頼りにしたのかもしれない。そしてその結果変わってしまった……信じられないけど。でも結局何が言いたいのか分からない。それがどう関係してんのよ!
「だから何よ!あんたが産まれるより前の話でしょ!?」
「父上は強固な意志で国宝石の呪いを跳ね返してた。でもそれが崩れたのは俺のせいだった。末っ子でマライア姉さんよりも10も年下の俺を父上も兄さん達も皆が可愛がってくれた。でも俺の病気が分かってから、父上は国内の医者をかき集めた。でも治らなかった。それから少しずつ欲望が出て行った。緑の国宝石があれば……そう思うようになった。そして国宝石の呪いに耐える事が出来なくなった。その代償が力に魅入られた破壊行為。それからか、父上が変わってしまったのは。父上と兄上達はきっと国宝石に操られてる。幸い俺は隔離されてるから影響を受けてないけれど……」
じゃあ全てこいつの病気を治す為に、そして国宝石に操られた。でもその国宝石を受け継ぐきっかけになったのが、パルチナの南下戦争でアルトラントを守る為に。
あれ、結局誰が悪いの?戦争をしてきたパルチナ?兵力がないアルトラント?国宝石に操られたバルディナ?それともアルトラント襲撃の原因となったクリスティアン?
一体誰が悪い。
「ねぇ、結局誰が悪いの?」
「皆じゃないのかな。俺も悪いし父上達もパルチナも悪い。結局俺達はゲーティアに操られるだけの存在だったんだ」
「……」
「あの力を操れたのは英雄ただ1人。それなのに、力に魅入られて手に入れようとしたから罰が下る……」
そうか、罰なのか……
何だか力が抜けて、椅子に凭れかかる様に座りこんだ。リアラが駆け寄ってきたけど、それを払いのける。別に平気、あんたの支えなんかいらない。
何だか良く分からなくなった。
「いい加減にしてよ……じゃあ私は一体誰を恨めばいいのよ!?私のパパとママはあんた達に殺された!それなのに、その原因になったのはあんたで……操られてるなんて話になって、それがアルトラントを守る為にパルチナと戦ったせいだなんて言われたら、私はどうすればいいのよ!?」
一体誰を憎めばいい!?この怒りは誰にぶつければいい!
今度こそクリスティアンの手が私の頭に乗った。優しく撫でられたら、もっと涙は溢れてきた。私は、どうすればいいのよ……