侵食
——気がつけばマリアンは、どことも知れぬ泥の道を歩いていた。
空には膿のように濁った雲が低く垂れ込め、逃げ場のない湿気が肌にまとわりつく。
どこまでも続く一本道。その両脇には、人の背丈ほどもある枯草が、風もないのにざわざわと身をよじっていた。
一歩、足を踏み出す。
ぐちゃり、と肉を潰すような音が足裏から響く。
見下ろすと、そこは道ではなかった。
無数の蒼白くふやけた人間の体が重なり合い、道を成していた。
だが、マリアンは叫ぶこともできない。喉の奥に、腐った土の塊が詰まっているかのように、音が出ないのだ。
ふと、前方から「音」が聞こえてきた。
ずず、ずず、と重い何かを引きずる音。
霧の向こうから現れたのは、頭から血を流す女の影だった。
女は泥と血にまみれた長い髪を引きずりながら、ひた、ひた、と這うように近づいてくる。
マリアンは後退りしようとした。
だがその時、彼女自身の「影」が、泥の中からむっくりと起き上がった。
影には顔がない。ただ、のっぺりとした闇の中に、マリアンのものと同じ、豪奢な王妃の冠だけが鈍く光っている。
影はマリアンに手を伸ばし、どん、と突き飛ばした。
マリアンは後ろ向きに倒れ、腐った肉の溜池に沈み込んで落ちていく。
(……ああ、あ……)
声にならない悲鳴が、暗闇に吸い込まれる。
視界の端で、逆さまの女が彼女の耳元まで這い寄ってきた。
女は口を大きく裂き、ひたり、と濡れた舌でマリアンの頬を舐めた。
◆
「……っ!!」
衝撃と共に、マリアンは覚醒した。
王妃の寝室には、しんと静まり返った闇だけが横たわっている。
窓から差し込む月光は、まるで葬儀の供花を照らすように青白く冷たかった。
「……ゆめ、夢だわ。……ただの、嫌な夢」
マリアンは震える手で寝巻きの胸元を寛げ、鏡に向かった。
そこには王妃として磨き抜かれた、美しいマリアンの姿がある。
しばらく鏡の中の自分と見つめ合っていた——が、ふと、にわかに鏡の中の彼女が音もなく口を開き始めた。
その口内は泥で溢れかえり、その奥から不気味な草の根が突き出していた。
「……あ、あ、ああああああ……!」
マリアンは、己の頬を爪が食い込むほどに強く掻き毟った。
——もう一度目を開けた時には、大量の汗でびっしょりと濡れたマリアンの顔が映るばかりだった。
(ああ、早くあの、甘い蜂蜜を食べなくちゃ……)
彼女はサイドテーブルに置かれた小瓶に、震える手を伸ばした。




