1cs 「パパ記念日」
カランカラン、とドアの鈴が鳴って、俺はいつもの席に腰を落とした。
「マスター、祝い酒や。今日はな、いつもよりちょっとええやつ出して」
コートを背もたれに掛けるのに少し手間取って、結局そのまま椅子に丸めて置く。グラスを磨いてた手を止めもせんと、マスターは小さくうなずいた。渋い五十代で、百七十あるかないかの背丈。白が混じり始めた髪と髭が、やけにこの店に馴染んでる。
「今日さ、娘がさ、初めて呼んでくれたんだよね」
差し出されたグラスを両手で包んで、俺は続きを探すみたいに氷を鳴らす。
「『パパ』って呼んだ。ちいさい、両手を、こう、広げてさ……」
「ちっちゃい手を、こうして……」
「『パパ』って」
カウンターの木目をなぞりながら、同じ話を少しずつ言い直す。言葉が追いつかんくて、途中で笑ってしまう。
マスターは相槌も打たず、ただ聞いてる。
酒を一杯飲みほしたとき、マスターが手元で磨いてたグラスを置いて、本当に楽しそうに笑った。
「よかったですね!」
俺は持ち上げてたグラスを置き直した。遅れて、氷が鳴る。
だから今日は、パパって君が言ったから、今日はパパの記念日……俺の記念日。




