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忌み嫌われた右腕が、誰かの希望になるまで。 ~正体を隠した半魔の少年、人間と魔族を繋ぐ英雄譚~  作者: 御影 零


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第9話 バルディアの監視者

 

(ここは……魔物を殺すための街だ)


 走馬灯のように、バルディアの光景が脳裏をぎる。  


 見上げるほどの高い城壁。

 その上には無数の大砲やバリスタが並び、空には警邏けいらの竜騎士が飛んでいた。  

 建物そのものが「砦」になるように造られた石積みの街並み。  

 子供たちですら「魔族ごっこ」で石を投げる、徹底された排他思想。


 僕たちは、そんな鉄壁の要塞に喧嘩を売り、正面から破壊してしまったのだ。  

 ただ走って逃げられるような相手じゃない。


「アレン、空じゃ! 木々の影に入れッ!」


 師匠の鋭い指示が飛ぶ。  

 直後、頭上の木々が激しくざわめき、強烈な暴風が吹き荒れた。


 グォォォォォォォ……ッ!


 それは鳴き声ですらなく、巨大な翼が空気を押し潰し、引き裂く音だった。  

 枝葉の隙間から、サーチライトのような魔導照明が地面を舐めるように白く光らせていく。


 竜騎士だ。  

 城門の破壊音を聞きつけ、即座に空からの追跡部隊が放たれたのだ。


「ちっ、邪魔だねぇ……!」


 走りながら、ミレイユさんが低く毒づいた。  

 彼女は速度を落とすことなく、肩に深々と突き刺さっていた矢の軸を、迷いなく左手で掴む。


「 ボキッ! 」


 生々しい破壊音と共に、彼女は躊躇なく矢をへし折った。

 折れた軸を投げ捨て、身を屈めて深い茂みへと飛び込む。


「ミレイユさん!?」


「気にするな、走れ! 枝に引っかかったらそれこそお終いだよ!」


 肺が焼けるほど走った。  

 道なき道を駆け抜け、泥に足を取られ、木の根につまずきそうになりながら、僕たちはひたすら深い森の奥、竜の目が届かない闇の底へと逃げ込んだ。




 数時間が経っただろうか。  

 ようやく上空の羽音が遠ざかり、サーチライトが森をなぞる不気味な光も見えなくなった頃。

 師匠が足を止め、木に手をついて荒い息を吐いた。


「……はぁ、はぁ……。ここなら、まずは大丈夫じゃろう」


 そこは、鬱蒼とした木々に囲まれた、小さな広場のような場所だった。

 気づけば、辺りにはうっすらと湿った霧が立ち込め始めている。

  僕たちは泥のようにその場に座り込んだ。


(……逃げ、切れたのか?)


 自分の鼓動が、耳の奥でうるさいほど鳴り響いている。 

 あのバルディアの全戦力を敵に回した恐怖が、今になって指先を震わせていた。


「いっ……つつ……」


 静寂を破ったのは、ミレイユさんの苦悶の声だった。    

 彼女は岩に背中を預け、矢の根元だけが残った肩を忌々しそうに見下ろしている。


「ミレイユさん! やっぱり、さっきの傷が……」


「騒ぐんじゃないよ。……これでも軸を折っておいたから、マシな方さ」


 彼女は顔をしかめながら、傷口付近の服を破り、滲み出る血を布で強く押さえた。


「……やじりは残っちまったけど、今はこれでいい。下手に抜くと出血がひどくなるからね」


 強がってはいるが、彼女の額には脂汗が浮かんでいる。  

 その光景を見て、僕の胸にどうしようもない罪悪感がこみ上げてきた。

   

 あの時、僕を守るためにミレイユさんは……。

 僕が……僕がもっと強ければ……。

 いや、そもそも僕と一緒にいたせいで……。


「ごめんなさい……僕のせいで……」


「謝るんじゃないよ。湿っぽいのはガラじゃない」


 ミレイユさんは痛む肩をさすりながら、ニカっと笑って見せた。  


 だが。


「……茶番はそこまでじゃ」


 冷徹な声と共に、師匠が動いた。  


 ジャリッ。  


 師匠は油断なく剣の柄に手をかけ、彼女との距離を測るように詰め寄った。


「貴様、何者だ? やはりただの傭兵ではないな。アレンの『あの姿』を見ても動じず、衛兵隊を敵に回してまで助けた。……普通の人間なら、悲鳴を上げて逃げ出す場面だ。 なぜそこまでする?」


「……へぇ。命の恩人を尋問かい? 世知辛いねぇ」


 ミレイユさんは痛む肩を庇いながら、不敵に笑って見せた。  


 だが、師匠の目は笑っていない。


「はぐらかすな。目的は何だ。アレンの力を利用しようとする輩ならば、ここで斬る」


「おいおい、怖い顔しないでくれよ。アタシはただ……」


 ミレイユさんが何かを言いかけた、その時だった。


「ッ……!?」


 彼女の表情が一変した。  


 師匠も同時に反応し、バッと背後の闇を睨みつける。


「囲まれてるねぇ。……足音もしないなんて、さっきの衛兵連中とは格が違うよ」


 ミレイユさんが小声で呟く。  


 その言葉通り、森は不気味なほど静かだった。

 虫の音ひとつ聞こえない。  


 ただ、肌にまとわりつくような、湿った殺気だけが漂っている。


「……!」


 僕は息を呑み、周囲を見渡した。    

 霧の向こう、立ち並ぶ木々のシルエットがどこかいびつに見えたからだ。  

 最初は、ただの枯れ枝だと思っていた。

 けれど、目を凝らしてよく見れば、それは枝などではない。


 カラスだ。  

 それも百や二百じゃない。

 数えきれないほどのカラスの群れが、身じろぎもせず、赤い瞳で僕たちを静かに見下ろしていた。


「カァ……」


 頭上で、一際大きな、しわがれた声が響いた。  

 霧に煙る枯れ木の頂点に、群れを率いるように止まっていた一羽。  


 その瞳が、血のように赤く濁って光った。


(……あれは)


 記憶がフラッシュバックする。  


 バルディアの街に入った日。

 時計塔の上から感じた、あの視線。  


「……ずっと、見ていたのか」


 僕の呟きに反応するように、カラスがゆらりと翼を広げた。


「カァ、カァ……! キシャァアアアッ!!」


 鳥の鳴き声が、ガラスを爪で引っ掻いたような不快な咆哮へと変わる。  


 次の瞬間、カラスの体がドロリと黒い液体のように膨れ上がった。

 小さな鳥の姿が内側から破裂し、巨大な人の形をした影が形成されていく。


「なっ……魔物!?」


 ミレイユさんが叫び、大剣を構えて飛び退く。  

 黒い影は霧を吸い込み、音もなく地面に降り立った。  

 漆黒のマントを目深に被った、長身の怪人。  


 その顔は、鳥のくちばしを模した白い仮面で隠されている。


『ようやく、邪魔な羽虫がいなくなったな』


 仮面の奥から、冷徹な声が響く。


『あの無能な衛兵や、空を飛び回るだけのトカゲが去るのを待っていた。……こんな極上の獲物を、あんな雑魚に横取りされるわけにはいかんのでな』


「貴様、何者だ」


 師匠が僕を庇うように前に出て、剣を突きつける。  

 怪人はクックッと笑い、大仰に一礼してみせた。


『いいだろう。冥土の土産に教えてやる』


 怪人は仮面の奥の瞳を細め、恍惚とした声で名乗りを上げた。


『我が名はガラ。偉大なる魔王様が直属、四天王ザディル様の忠実なる下僕しもべだ』


「――ッ!?」


 その名がガラの口から漏れた瞬間、師匠の顔が驚愕に歪んだ。  

 剣を構えるその指が、怒りと衝撃で白くなるほど強く柄を握りしめている。


「……ザディル、だと……? あの裏切り者が、今は四天王などとふんぞり返っておるのか……!」


 絞り出すような師匠の声には、僕がこれまで一度も聞いたことがないほどの、深い憎悪が混じっていた。  

 いつも冷静な師匠が、その名前を聞いただけで自分を制御できなくなるほどの怒りに燃えている。

 僕の知らない師匠の過去に、一体どれほどの因縁があるというのか。


『ククク……ほう、我が主の名にこれほどの反応を見せるとは。さては貴様、あの夜に消えた『生き残り』の一人か?』


 ガラはゆらりと、重力を無視したような動きで地面へと舞い降りた。  

 その赤い瞳が、僕の右腕を……いや、僕の存在そのものを舐めるように凝視する。


『元々は、バルディアを監視するだけの退屈な任務だった。だが……思いがけず、それ以上の「宝」を見つけてしまったよ』


 怪人の赤い瞳が、ギラリと歪んだ歓喜に細められる。


『あの城門での一撃……特等席で見せてもらったよ。闇を切り裂いたあの赤黒き稲妻、間違えようもない。かつての「覇者」が、その血脈のみに宿した最強の証だ』


 ガラは鳥のくちばしを模した白い仮面を不気味に傾け、獲物を値踏みするように一歩、前へ踏み出した。


『……小童、貴様がそうなのか? あの夜、ザディル様が仕損じた「忌まわしき忘れ形見」は!』


「……っ!? 何のことだ……!?」


 覇者? 忘れ形見? こいつは一体、何を言っているんだ。  

 わけのわからない言葉に混乱する僕の前に、師匠が立ちはだかる。

 その背中は、かつてないほどの殺気に満ちていた。


『ククク、運命とは皮肉なものだ。根絶やしにされたはずの「血」が、こんな辺境で生き延びていようとはな! 決めたぞ。小童、貴様は生け捕りだ。ザディル様へのこれ以上ない献上品にしてやろう』


 ガラがそう宣言した直後だった。  

 周囲の枝に止まっていたカラスたちが、一斉に不吉な鳴き声を上げ、ガラの手元へと渦を巻くように集まり始めた。


「バササササッ……!」


 数十羽のカラスが黒い塊となり、いびつに変形していく。  

 やがて、その塊は一本の長大なと、月明かりを鈍く反射する巨大な刃へと姿を変えた。


 それは、死神が持つような、禍々しい漆黒の大鎌だった。


『ザディル様もさぞお喜びになる。……安心しろ、邪魔な羽虫どもはここで肉片に変えてから、ゆっくりと連れて行ってやるからな!』


 ガラは大鎌の切っ先を、ゆらりと僕に突きつけ、狂気に満ちた声を上げた。


 怪人がマントを翻すと、その影から無数の黒いカラスたちが、弾丸のように飛び出してきた。



「来るぞ! 構えろッ!!」




 師匠の怒号と共に、僕たちの逃亡劇は、唐突に「死闘」へと変わった。






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