第5話 黒鉄(くろがね)の店
宿を探す前に、僕たちは師匠の案内で「武器屋」へ向かうことになった。
バルディアのメインストリート。
そこにある光景は、僕が育った辺境の村とは、何もかもが違っていた。
まず、視界に入りきらない。
建物はどれも灰色で、見上げるほど高い石積みだ。
万が一、魔物が壁を越えて侵入してきても、建物そのものが「砦」になるように造られているらしい。
村のような木の温もりや、のどかな畑なんてどこにもない。
あるのは冷たい石と、鉄の塊だけだ。
「どけっ! 荷車が通るぞ!」
「おい、そこの田舎者! 道の真ん中で突っ立ってんじゃねぇ!」
ガシャナ、ガシャナと鎧の音をさせて衛兵隊が行進し、行き交う人々も皆、どこか殺気立っている。
漂ってくるのは、鉄の錆びた匂いと、微かな血の臭い。
ここにあるのは「生活」ではなく「戦い」なのだと、肌で感じさせられる。
(……すごい。これが「バルディア」なんだ)
あまりの迫力に、僕は師匠の背中に隠れるようにして歩いた。
そんな殺伐とした大通りを抜け、さらに奥へ。
僕たちが向かったのは、華やかさとは無縁の、鉄を叩く音が絶えず響き渡る「職人街」の一角にある、煤けた店だった。
「ここじゃ。『黒鉄屋』。偏屈な店主じゃが、腕は確かだ」
師匠が重い木製の扉を開ける。
カラン、と乾いたベルの音が鳴った。
「へい、らっしゃい」
店内は薄暗く、鉄と油の匂いが充満していた。
壁一面に剣や槍、斧が所狭しと並べられている。
カウンターの奥から現れたのは、岩のように厳つい顔をした初老の男だった。
短く刈り込んだ白髪に、右目の上を走る古傷。
その眼光は、客を見る目というより、獲物を品定めするそれに近かった。
「……見ない顔だな。冷やかしなら帰んな」
「客に向かって減らず口を叩くな、ガントン」
「あ?」
店主――ガントンと呼ばれた男は、師匠の顔を見て片眉を跳ね上げた。
「……なんだ、ガルドじゃねぇか。まだ生きてたのか、この化石野郎」
「お前こそ、肺が油で詰まってくたばったかと思っておったわ」
二人は憎まれ口を叩き合うと、互いにニヤリと口の端を吊り上げた。
言葉は汚いが、その表情には奇妙な信頼感が滲んでいる。
どうやら、師匠の古い知り合いらしい。
「で? 今日は何の用だ。まさか、その歳で現役復帰するわけじゃあるまい」
「まさか。……今日は、この弟子に剣を見繕ってやりたくてな」
師匠に背中を押され、僕は恐る恐る前に出た。
ガントンさんが、ギロリと僕を睨む。
「……ひょろいガキだな。こんなのが剣を振るのか?」
「見た目で判断すると痛い目を見るよ、親父さん。この坊主、結構やるからさ」
後ろからミレイユさんが口を挟むと、ガントンさんは鼻を鳴らした。
「ふん……。まあいい。予算は?」
「金貨二枚までじゃ」
「ほう、そりゃ奮発したな。なら、そこら辺の棚にあるやつを見てみな。どれも一級品だ」
言われた通り、僕は棚に並ぶ剣を手に取ってみる。
どれもピカピカに磨かれていて、今まで使っていたボロボロの剣とは雲泥の差だ。
でも――。
(……軽い)
一本目の剣を振ってみる。軽い。
二本目。やっぱり軽い。
三本目。重心が手元にありすぎて、振った気がしない。
ここ数年、魔物の硬い皮膚を叩き斬るような修行を続けてきたせいか、普通の兵士が使うような剣では、頼りなく感じてしまうのだ。
「どうした坊主。気に入らねぇか?」
首を傾げる僕を見て、ガントンさんが声をかけてきた。
「あ、いえ……すごく良い剣だと思うんですけど、その……少し、軽すぎて」
「軽いだと? お前、身長の割には筋肉質だが……それでも普通の体格だろ」
ガントンさんは怪訝な顔でカウンターを出ると、僕の右腕を見た。
フードの下、包帯でグルグル巻きにされた右腕。
「……おい、その腕。怪我してんのか?」
「えっ、あ、はい。ちょっと昔の火傷が……」
「見せてみな。グリップの太さを調整してやる」
ガントンさんが僕の右腕に手を伸ばす。
ビクリ、と僕は腕を引いた。
「い、いいです! 大丈夫ですから!」
「あ? なんだよ、客の手に合わせた調整をするのが俺の流儀なんだ。遠慮するな」
「本当にいいんです! 触らないでください!」
僕が強い口調で拒絶すると、店内の空気が凍りついた。
ガントンさんの目が細められる。
「……おいガルド。こいつ、何か『訳あり』か?」
「…………」
師匠は沈黙を守っている。
まずい。変に怪しまれたかもしれない。
しかし、ガントンさんは僕の怯えた目と、頑なな態度をじっと見つめると、「……ふん」と鼻を鳴らした。
「ま、客の事情に首を突っ込むのは職人の仕事じゃねぇか」
彼はそれ以上追求せず、店の奥へと引っ込んだ。
そしてすぐに、一本の剣を持って戻ってきた。
ドンッ!
カウンターに置かれたのは、黒ずんだ鉄の塊のような剣だった。
装飾も宝石もない。
ただ、その刀身は分厚く、見るからに頑丈そうな黒革の鞘に収まっている。
「店の看板は『黒鉄』だが……こいつは違う。読みは同じでも、格が違うんだ」
「え?」
「鉄を超えた最強の金属……『黒鋼』。そいつを、俺の持てる技術の全てを注いで鍛え上げた、俺の最高傑作だ」
ガントンさんは愛おしそうに、けれど悔しそうに剣の峰を撫でた。
「重すぎて、並の人間じゃ持ち上げることすらできねぇ。作ったはいいが、使い手が現れなくてな。ずっと店の奥で眠ってたんだ」
「……持ってみても?」
「ああ。もし扱えるなら、こいつにとっても本望だろうよ」
試すような、祈るような目で、ガントンさんが腕を組む。
僕は鞘から剣を抜き放ち、その柄を握った。
ずしり、とした重み。
でも――重くない。
右腕の奥が、ドクンと脈打った気がした。
まるで磁石が吸い付くように、その重さが僕の手のひらに馴染む。
「……ッ!」
僕は片手でその剣を振り上げた。
ゴォォォォンッ!!
低い風切り音と共に、黒い刀身が空を裂く。
まるで空気が悲鳴を上げたかのような音だった。
「なっ……!?」
ガントンさんが目を見開いた。
ミレイユさんも「へぇ、やるねぇ」と楽しげに口笛を吹く。
「どうじゃ、アレン」
「……うん。これなら、いける気がする」
しっくりきた。
この頑丈さなら、オークの骨だろうが、岩だろうが砕ける。
僕は興奮してガントンさんを見た。
「おじさん! これ、ください!」
「……ふん。まさか、俺の最高傑作が、こんなガキに懐くとはな」
ガントンさんは呆れたように、けれどどこか満足げに鼻を鳴らした。
「持ってけ。代金はいらねぇ」
「えっ!? でも、タダなんて悪いですよ!」
「バカ野郎。金のために打った剣じゃねぇ。……そいつが『行きたい』って言ってるんだ。俺に止める権利はねぇよ」
ガントンさんは、じっと僕の目を見た。
「いい目をするようになったじゃねぇか。入ってきた時のおどおどした目より、そっちの方が数倍いい」
ぶっきらぼうな言葉。
でも、その顔は職人の笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます!」
僕は礼を言い、新しい相棒――黒鋼の剣を黒い鞘に納め、背中に背負った。
背中にかかるずっしりとした重みが、頼もしい。
「あと、防具はどうする? その布切れ一枚じゃ、命がいくつあっても足りんぞ」
ガントンさんが顎で棚をしゃくった。
そこには剣だけでなく、革鎧や鉄の胸当ても並べられていた。
「あ、そうでした……。えっと、じゃあこの革鎧を……」
「サイズを測ってやるから来い。緩いと動きにくいぞ」
「い、いえ! このままで大丈夫です! 紐で自分で調整しますから!」
「……チッ。勝手にしろ」
結局、僕は動きやすそうな「魔獣の革鎧」と、予備のブーツも一緒に購入することにした。
これで装備は一通り整った。
店を出ると、外はもう夕暮れ時だった。
空が赤く染まり、バルディアの街に長い影を落としている。
師匠は立ち止まると、懐から革袋を取り出し、ミレイユさんに放り投げた。
「受け取れ。……約束の護衛料じゃ」
「おっと」
ミレイユさんは軽々とそれを受け止め、紐を緩めて中身をチラリと覗き込んだ。
ジャラリ。
隙間から鈍い黄金色の輝きが溢れ出し、彼女はニヤリと口元を緩めた。
「……へぇ、意外と弾むねぇ」
しかし、師匠の目は笑っていない。
鋭い眼光で彼女を射抜くように見据え、低い声で告げた。
「多く入れた分は、貴様の記憶を消す代金と思え。……あの路地裏での約束、忘れるでないぞ」
その言葉に、空気が一瞬張り詰める。
「もし他言したら殺す」という警告。
師匠はそれを再確認しているのだ。
ミレイユさんは肩をすくめ、革袋を懐にしまった。
「はいはい、わかってるよ。アタシは口が堅いのが売りでね」
彼女は片目を閉じ、パンパンと懐を叩いた。
「これだけ貰えりゃ十分さ。秘密は墓場まで持ってってやるよ」
「ならばよし。……これで契約は終了じゃ。わしらは宿を探して休む。お前は好きに行け」
「えっ、師匠? ミレイユさんとお別れなの?」
「当たり前じゃ。これ以上、部外者と馴れ合うつもりはない」
師匠の言葉は正論だ。
僕の正体を怪しまれ、あんなやり取りがあった以上、いつまでも彼女と一緒にいるわけにはいかない。
ここで縁を切るのが、お互いのためだ。
僕は少し寂しい気持ちを抑えて、ミレイユさんに頭を下げた。
「ミレイユさん、ありがとうございました。命を助けてもらって、ここまで送ってくれて……」
「なーに湿っぽい顔してんだい、アレン」
ミレイユさんはニカっと笑うと、当然のように僕の肩に腕を回した。
「金も入ったことだし、今日はパーっと飲もうじゃないか! ほら爺さん、いい宿を知ってるんだろ? 案内しな!」
「なっ……!? 貴様、人の話を聞いておったのか! 契約は終わりだと言ったはずじゃ!」
「堅いねぇ。旅は道連れって言うだろ? それに、アタシはこのボウヤが気に入ったんだ。もうちっと付き合ってやるよ」
「頼んでおらんわ! 帰れ!」
「あーあー、聞こえなーい。さあアレン、行こうか!」
ミレイユさんは師匠の抗議を完全に無視して、僕をグイグイと引っ張っていく。
師匠はこめかみに青筋を浮かべ、わなわなと拳を震わせている。
「ええい、離さんか馬鹿者! アレン、流されるな! わしらの旅は遊びではない! 過酷な修行の旅だと言ったであろうが!」
「あはは……」
僕は苦笑いするしかなかった。
師匠には悪いけれど、この騒がしい時間がまだ続くことが、僕には素直に嬉しかった。
ギャーギャーと言い合いながら歩く僕たち。
その背中を、街行く人々が怪訝そうに見ていることには気づかないふりをして。
だが、その背後には――既にドス黒い影が忍び寄っていた。
路地裏の闇の中、数人の男たちが息を潜めている。
僕たちの背中にへばりつくようなその視線は、明らかに獲物を狙う狩人のようだった。




