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忌み嫌われた右腕が、誰かの希望になるまで。 ~正体を隠した半魔の少年、人間と魔族を繋ぐ英雄譚~  作者: 御影 零


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第19話 音喰いの森と、愛おしき右腕

 

 目が覚めると、師匠は既に起きていた。  

 傍らでは、ミレイユさんが空の酒瓶に埋もれながら、幸せそうに高いイビキをかいている。


 バルガスさんに借りた部屋は、お世辞にも綺麗とは言えなかった。

 埃まみれで、長い間使われていなかったのが一目で分かる。

 狭い空間に、無理やり四つのベッドがぎちぎちに押し込まれていた。  


 けれど、そんなことは微塵も気にならなかった。

 ずっと野宿で硬い土の上に寝ていた僕にとって、安物の羽毛とシーツの柔らかさは何よりの贅沢だった。


 師匠が容赦なくミレイユさんを叩き起こすと、僕たちはすぐにバラムの街へと繰り出した。  

 早朝だというのに、街は既に熱気に包まれている。

 行き交う馬車、開店準備を急ぐ商人、朝帰りの荒くれ者。

 この街には「眠り」という概念がないのかもしれない。


 屋台で買った、硬い肉を挟んだ安物のパンを頬張りながら、ミレイユさんの背中を追う。


 バラムの巨大な門をくぐり、荒野をしばらく歩くと、その先に深い森が見えた。


 密集した木々の隙間から漏れ出す空気が、どこか不気味な紫色に煙って見える……そんな、不思議な森だった。


 その森の前で、ミレイユさんが足を止めた。


「――さあ、着いたよ。ここが『音喰(おとく)いの森』だ」


 僕たちの目の前には異様な光景が広がっていた。


 森の入り口を境界線にして、木々の幹から地面に至るまで、べっとりと不気味な紫色の苔に覆われている。


「この苔がね、あらゆる音を喰っちまうのさ。叫んでも、剣を振っても、たとえ爆発を起こしても外には絶対に漏れない。ここに入った者は、自分の足音すら聞こえなくなる。……吐息が届くほどの至近でなきゃ、何も聞き取れない無音の地獄さ」


 そう言われても、いまいちピンとこない。

 僕が不思議そうに首をかしげていると、ミレイユさんがニヤリと笑った。


「まぁ、身をもって知るのが一番だ。ついといで」


 ミレイユさんに続き、森に一歩踏み込んだ瞬間、耳が詰まったような、奇妙な圧迫感に襲われた。


 僕は試しに、足元の枯れ枝を強く踏みつけてみた。


(……!?)


 本来なら「バキッ」と乾いた音が響くはずなのに、何も聞こえない。

 僕が確かめるように何度も枝を踏みしめる姿を見て、ミレイユさんは僕の肩に腕を置き顔を近づけウインクした。


「ここなら人も魔物も寄り付かない。あんたがどれだけ『右腕』を暴れさせても、誰にも気づかれない。修行にはもってこいの場所さ」


 戸惑う僕の肩に、師匠がそっと手を置いた。


「アレン。戦いにおいて『音』を失うということは、空間そのものを見失うということじゃ。……覚悟しておけ。ここは単なる修行場ではない。お前の精神を削り取る、底なしの静寂じゃぞ」


 師匠の声すら、すぐ隣にいるはずなのに霧の向こうから聞こえてくるような、妙な歪みを含んでいた。


 ミレイユさんが森の奥に進み、僕と師匠もそれに続いた。



 ――世界が死んだようだった。



 木々は風に揺れている。

 なのに、葉が擦れ合う音すら聞こえない。  


 自分の足元で、紫の苔が「ぐにり」と潰れる感触が骨を伝い、まるで耳元で鳴っているかのように不自然に大きく体に響く。  


 吐息が届くほどの距離。


 その境界線から外にある音は、真空に吸い込まれたかのように完全に消失していた。


 あまりの静寂に、平衡感覚が狂いそうになる。  

 ミレイユさんが足を止め、僕の鼻先まで顔を近づけてきた。


 彼女の声が突然、鮮明に鼓膜を叩く。


「さあ、始めようかアレン。まずはあんたのその右腕――あのアタシを助けてくれた時の『異形』を、自分の意志で引きずり出してみな」


「えっ……ここで、ですか?」


「そうさ。死に物狂いの時にしか出せないんじゃ、実戦じゃ使い物にならないからね。この静寂の中で、自分の内側にある『熱』だけを頼りに、その腕を顕現させてごらん」


 ミレイユさんはそう言うと、わずかに距離を取った。  


 たった二歩。

 それだけで、彼女の気配はそこにありながら、吐息ひとつ聞こえなくなる。



 僕は深く息を吐き、右腕を見つめた。  


 その右腕にはもう包帯は巻いていない。

 真実を知り、父と母の愛を感じてからは、あれほどまでに隠したかった右腕が愛おしく感じる。


 僕は優しく右腕をなでると、フッと短く息を吐き、意識の奥底へ――あの夜、全身を焼き切るような衝撃と共に駆け巡った「マグマの感覚」を探しにいった。


(……どこ? どこだ……おいで……)


 目を閉じ、意識を右腕の奥底へと沈めていく。  

 外の音が何一つ聞こえないせいで、自分の心臓の鼓動が、まるで巨大なドラムのように脳内に響き渡る。  


 ドクン。 ドクン。  


 血液が流れる音まで聞こえてきそうな静寂の中で、僕はあの『熱』を探した。


 父さんから受け継いだ、愛という名の力。  


 母さんが、命を懸けて守り抜いた僕の半分。



 ――見つけた。



 暗闇の奥底。

 冷えた炭の中に残った火種のように、それは静かに、けれど力強く拍動していた。


 その瞬間。 


 ドクンッ!!


 心臓がひときわ大きく跳ねた。  

 右腕の血管が、内側から膨れ上がるような熱を帯び始める。  

 皮膚が粟立(あわだ)ち、指先がピリピリと痺れ、あの禍々しい黒い鱗が、皮膚を突き破るようにしてメキメキと這い出してきた。


「が、はっ……あ、あああああ!」


 痛い。痛いっ、痛いっ……!!!


 ガラの時のような、戦いのたかぶりによるアドレナリンはない。

 冷静な意識の中で味わう「変異」の痛みは、想像を絶していた。  

 指が一回り太く歪み、爪がナイフのように鋭く伸びていく。  


 ふと視界の端で、紫色の苔がシュウシュウと煙を上げているのが見えた。  

 右腕から漏れ出す熱が、あまりに高すぎて、周囲の水分を蒸発させているのだ。


「……はぁ、はぁ、はぁ……っ!」


 全身を焼き切るような激痛。  

 けれど、僕はその痛みを「拒絶」しなかった。  

 あの日、ガラから僕を守ってくれた力。

 母さんが遺し、父さんが託してくれた大切な半分。


 僕は脂汗を流しながら、異形へと変わりゆく右腕を、ただ真っ直ぐに見つめ続けた。

   

 鱗の間を赤黒い稲妻が走り、周囲の紫の苔を焼き焦がす。  

 静寂の中で、僕の右腕だけが「ゴオォォ……」と、重低音のような魔力鳴りを上げ、まるでその存在を世界に叫んでいるようだった。


「……できた、のか?」


 自分の声が、自分の耳にだけ届く。  

 異形の腕を見つめる僕の前に、ミレイユさんが再び境界線を越えて踏み込んできた。


「合格。ひどいつらだけど、ちゃんと自分の力で引きずり出したね」



 ミレイユさんは満足そうに頷くと、僕の頭をぐりぐりとなでた。





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