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忌み嫌われた右腕が、誰かの希望になるまで。 ~正体を隠した半魔の少年、人間と魔族を繋ぐ英雄譚~  作者: 御影 零


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第18話 煤まみれの怪老と夜の火の粉

 

 ギルド『黒い犬(ブラック・ハウンド)』の裏口を一歩出ると、そこは表通りの喧騒が嘘のように光が遮られた、薄暗い空き地だった。


 見上げれば、ギルドの背後に隣接する巨大な溶鉱炉の煙突が、まるで天を支える柱のようにそびえ立っている。

 ギルドの石壁とその巨大な煙突に挟み込まれたその場所は、一日中陽が差すことのない、街の「死角」となっていた。


 その影に潜むようにして、目的の工房は建っていた。  

 錆びついた鉄板を継ぎ接ぎしたような外壁は、長年、隣の煙突から吐き出されるすすと煙に晒され続け、元の色が分からないほど黒ずんでいる。


「……ここだよ。アタシゃ仕事柄あちこちウロウロしてるからね。そのついでに拾い集めた『金になりそうな鉄クズ』を卸して、小遣い稼ぎに使ってる場所さ。ここの親父は口が悪いけど、腕だけは腐ってもバラム一だからね」


 ミレイユさんが建付けの悪い木製の扉を、合図のように三回叩いてから蹴り開けた。  

 中に入ると、鼻を突くような金属の焦げた匂いと、古い潤滑油の重苦しい空気が立ち込めている。


「おい、バルガス! 生きてるかい? アタシの自慢の連中を連れてきたよ! 今日からアタシたち、奥の部屋を使わせてもらうからね!」


 奥の暗がりから、不快な金属音が響いた。  

 やがて現れたのは、片足を引きずり、顔全体が石炭の塊のように真っ黒なすすに塗りつぶされた、小柄な老人だった。


 ボロボロの作業着の袖を肩口までまくり上げており、そこから剥き出しになった腕は、小柄な体には不釣り合いなほど太い。

 長年鉄を打ち続けてきた証か、岩のように硬い筋肉が盛り上がり、浮き出た血管が蛇のように脈打っているのが見えた。


 闇のような黒い顔の中で、落ち窪んだ眼窩がんかの奥にある瞳だけが、火打ち石を叩いた時のような鋭い光を放っている。


「……喧しいぞ、ミレイユ。死に損ないに用があるなら、金か、俺が叩きがいを感じるようなマシな鉄でも持ってきたんだろうな」


 バルガスと呼ばれた老人は、濁った瞳で僕たちを……正確には、僕たちの装備をなめるように一瞥した。  


 その視線が僕の背負った『黒鋼の剣』に止まった瞬間、煤まみれの顔の中で、その瞳の奥にある熱が爆発したように膨れ上がった。


「ほう……。バルディアのガントンか。あの偏屈者が、ついにそれを手放したか」


「さすがだね。一目で出所を見抜くなんて」


 ミレイユさんがからからと笑う。


 どうやらこの老人は、ガントンさんと知り合いらしい。  

 バルガスさんは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、作業台の上のガラクタを乱暴に退けた。


「ガントンの最高傑作を背負う以上、ただのひよっこじゃねぇんだろうな。……勝手にしろ。奥の部屋は空いてる。ただし、俺の道具に一箇所でも指紋を付けてみろ。その腕、叩き折るぞ」


 バルガスさんは吐き捨てるように言うと、黒鋼の剣からゆっくりと視線を上げ、僕の隣に立つ師匠へと向けた。  


 師匠は無言のまま、深々とフードを被った姿で微動だにしない。


 二人の間に、目に見えない火花が散るような、重苦しい沈黙が流れた。


 職人として数多の戦士の武器を打ってきたバルガスさんと、数多の修羅場を潜り抜けてきた師匠。

 交わされる視線は、まるで抜き放たれた刃が触れ合っているかのような、鋭利な緊張感を孕んでいる。


「……ふん。目つきの悪い爺だと思ったが、そっちはただの隠居人じゃねぇようだな。その立ち振る舞い、鉄の臭いより血の臭いの方がよっぽど濃い」


 バルガスさんが濁った瞳をさらに細めると、師匠はわずかに顎を引いて、低く、地を這うような声で応じた。


「……お前こそ。ただの死に損ないにしては、骨まで焼き付いたような凄まじい執念を感じる。バラム一という噂も、あながち嘘ではなさそうだな」


 お互いに相手の「格」を認めたのか、それ以上の言葉は交わされなかった。  


 けれど、僕はその間に立っているだけで、肌がピリピリと痺れるような感覚に襲われていた。


「あっはは! 似た者同士だねぇ、二人とも。仲良くしなよ、これから同じ屋根の下なんだからさ」


 ミレイユさんがパンパンと手を叩き、凍りついた空気を無理やり溶かすように笑った。  

 バルガスさんは忌々しそうに顔を背けると、再び火床ひどこの方へと歩き出す。


「……ミレイユ。飯は勝手にしろ。だが、薪と水は自分たちで用意しろよ」




 その夜。  

 バラムの夜空は、無数の煙突から吐き出される火の粉が星のように舞い、不気味なほど赤く明るかった。


 ギルドからは未だに荒くれ者たちの喧騒が漏れ聞こえてくるが、巨大な煙突の影にあるこの工房の裏手だけは、ひっそりと静まり返っている。


 揺らめく小さな焚き火を囲み、ミレイユさんが真剣な眼差しで僕を見据えた。


「いいかいアレン。あたしが教えるのは、その右腕の『熱』を、剣に宿す方法だ」


「剣に……宿す?」


「そう。循環させるのは自分の体の中だけじゃない。右腕、お前の体、そして背中の黒鋼……そのすべてを一繋ぎの『回路』にするのさ。ガラの鎌を真っ向から撥ね飛ばした、あの時みたいにね」


 ミレイユさんは微笑みながらウインクをした。


 あの時の感覚――。  

 ガラの放つカラスをちりへと変えた赤黒い稲妻。

 全身の血管が焼き切れるような衝撃と共に、相手の存在そのものを拒絶し塗り潰した、あの圧倒的な力。


 無我夢中で放ったあの力を、これからは自分の意志で、この黒鋼へと押し込め、自在に操らなきゃいけないのか。


(……できるんだろうか、僕に)


 不安が胸をよぎる。

 けれど、隣で腕を組む師匠の沈黙と、焚き火の光を跳ね返す『黒鋼』の無骨な刃が、僕の背中を静かに押した。


「いいかい、魔法使いが魔力を込める小手先の『魔剣』なんてチャチなもんと一緒にすんじゃないよ」


 ミレイユさんは黒鋼の剣をじっと見つめた。


「黒鋼の剣……こいつはね、魔王の熱さえも受け止め、この世の摂理さえも塗り潰す『覇王の黒翼』へと化けるのさ」


 覇王の、黒翼。


 その言葉が、僕の迷いを焼き払う。  


 僕は再び前を見据え、夜の静寂の中へと剣を振り下ろした。


 右腕から溢れ出す、あの濁流のような熱を――「壊せ」ではなく「守れ」と叫ぶ、あの奔流を意識して柄へと流し込みながら素振りをする。


 ―― 一回。  熱を指先へ、そして黒鋼の奥底へ。


 ―― また、一回。  右腕の熱が、剣の冷たさと混ざり合い、刀身が微かに震える。


 背後では、師匠が腕を組み、鋭い視線で僕の剣筋を見守っていた。  


 今はまだ、熱が指先で霧散してしまう。


 けれど、確かに手応えはある。

 この『黒鋼』なら、僕のすべてを受け止めてくれるという予感があった。


「明日は、人目のない深い森へ行くよ」


 ミレイユさんが焚き火を突きながら、低く言った。


「蜘蛛の討伐に行く前に、あんたが自分の思うままに魔力を解放できるようにしなきゃならないからね。……覚悟しなよ、アレン。明日からは本当の意味での『地獄』の始まりだよ」



 火の粉が夜空へ高く舞い上がる。  



 僕は剣を強く握り直し、翌朝に待つ本格的な修行、そしてその先にある戦いを見据えて、一心不乱に夜の静寂を切り裂き続けた。





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