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忌み嫌われた右腕が、誰かの希望になるまで。 ~正体を隠した半魔の少年、人間と魔族を繋ぐ英雄譚~  作者: 御影 零


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第17話 鉄と血の街バラム

 

 巨大な石造りの門をくぐった瞬間、僕を襲ったのは、暴力的なまでの「熱」と「音」、そして「臭い」だった。


「ひどい匂い……」


 思わず鼻を突いたのは、焦げた石炭の臭いと、重金属を叩きつけるような硬質な音。  

 バルディアが「整然とした軍事基地」だとしたら、ここバラムは「咆哮を上げる巨大な炉」そのものだった。  

 ツギハギの城壁の内側には、所狭しと工房が立ち並び、空を黒く塗りつぶすほどの煙突が何本もそそり立っている。


「ようこそ、世界一汚くて世界一自由な鉄の街――バラムへ!」


 ミレイユさんは誇らしげに両手を広げ、街路を埋め尽くす人々の中へ颯爽と足を踏み出した。


 行き交うのは、重厚な鎧を纏った冒険者、全身に刺青を入れた屈強な職人。

 誰もが「己の腕一本で生きている」という、荒々しい活気に満ちていた。


「アレン、ぼさっとするな。ここは規律があるようには見えない。隙を見せれば一瞬で財布も命も消えるぞ」


 師匠の低い声に、僕は慌てて背中の『黒鋼の剣』の感触を確かめた。  

 不思議なことに、この街の熱気に当てられたせいか、右腕の奥がチリチリと微かに疼いている。

 それは不快な痛みではなく、まるで「もっと強くなれ」と急かされているような感覚だった。


「あはは! 爺さんは相変わらず堅苦しいねぇ。ま、その感覚は正しいよ。ここはバラム――『力』こそが唯一の規律、鉄と血の街なんだからさ!」


 ミレイユさんはそう言って不敵に笑うと、押し寄せる人波を我が物顔で掻き分けていく。


 荷馬車と人が入り乱れる、混沌とした大通り。

 立ち並ぶ屋台からは、見たこともない珍獣の肉を焼く黒い煙と、鼻を突く安酒の強烈な臭いが立ち上っていた。

 それらが街全体に充満する鉄錆かなさびの匂いと混ざり合い、肺の奥まで侵食してくる。


「ねぇミレイユさん、これからどこへ?」


 僕が声を張り上げて尋ねると、ミレイユさんは足を止めずに振り返り、雑踏の先にあるひときわ巨大な影を指差した。


「まずは拠点さ! アタシの根城――ギルド『黒い犬(ブラック・ハウンド)』へ案内してやるよ。あんたを鍛えるための『仕事』と『場所』を確保しなきゃならないからね!」


 彼女が指し示した先、通りの突き当たりに、そのギルドはそびえ立っていた。  

 街の喧騒を見下ろすように建つその姿は、ギルドというよりは『要塞』に近い。


 人混みを掻き分け、すすけた石畳を踏みしめて近づくにつれ、建物の放つ凄みが圧倒的な質量となって迫ってくる。


 三階建ての無骨な石造りで、窓にはどれも太い鉄格子がめられていた。

 壁面は黒煙に晒され続けて煤け、壁のあちこちには、かつての乱闘の凄まじさを物語る深い斬撃痕や、抉り取られたような魔術の焦げ跡が刻まれている。


 入り口には、幾重にも鉄帯で補強された重厚な扉。

 その頭上で、折れた剣を咥えた黒い犬の鉄製看板が、熱い風に吹かれてギィギィと不気味な音を立てて揺れていた。


「……ここが、『黒い犬(ブラック・ハウンド)』……」


 そこにあるのは、綺麗事の一切を排除した「力」の象徴。

 僕はその威圧感に、生唾を飲み込んだ。  


 対照的に、ミレイユさんは「ただいま」と言うような軽やかさで扉の前に立つと、振り返って不敵に笑った。


「ここはバラムでも一番ガラが悪いギルドだけど、仕事の単価だけは保証するよ」


 ミレイユさんはそう言い放つと、重厚な扉を無造作に蹴り開けた。


 途端、暴力的なまでの喧騒と、安酒と煙草、そして錆びた鉄の臭いが僕の鼻を突いた。


「おいおい、見ろよ。ミレイユの姐さんが帰ってきたぜ」


「隣のデカい爺さんは誰だ? それより、後ろのガキが背負ってるのは……黒鋼か?」


 喧騒は止まない。

 だが、僕たちが一歩踏み込むごとに、ホールの一部――歴戦の冒険者や、煤に汚れた熟練の職人たちが集まる一角から、刺すような視線が飛んできた。


 彼らの目は、威圧感を放つ師匠でも、派手に笑うミレイユさんでもなく、僕の背中にある「剣」に釘付けになっていた。


 鉄の街バラムにおいて、武器は単なる道具ではない。

 己の命を預ける唯一の友であり、富と力の象徴だ。

 僕の背中で、窓からの光さえ吸い込むように鎮座する漆黒の刀身。

 飾りの一切を排したその無骨な質量感は、見るものが見れば一目で「それ」が究極の逸品であることを物語っていた。 


「おい、冗談だろ……。それ一本で、王都に邸宅が何軒建つと思ってやがる」


「……いや、やっぱりただの鉄じゃねぇ。あの独特の鈍い輝き、それにあの密度。間違いない。伝説級の業物、黒鋼の剣だぞ……!」


 酒を酌み交わしていた荒くれ者たちの目が、瞬時に狩人のそれに変わる。

 そこにあるのは、単なる好奇心ではない。

 喉から手が出るほどの「渇望」と、不用意に触れれば指を切り落とされるような本能的な「畏怖」だった。


「……ふん。掃き溜めのような場所じゃな」


 師匠はフードを深く被り直し、不快そうに鼻を鳴らした。  


 僕が気圧されて立ち止まりそうになると、ミレイユさんが僕の肩を抱き、ぐいぐいと中央のカウンターへ突き進む。


「どいたどいた! ミレイユさんのお通りだよ!」


 ミレイユさんは、受付カウンターに群がって「俺が先だ!」「その依頼は俺のもんだ!」と小競り合いをしていた若い男たちを、力任せに左右へ突き飛ばした。


「て、てめぇ、何しやが……あ、ミレイユの姐さん!?」


「ひっ、すんません!」


 文句を言おうと振り返った男たちが、ミレイユの顔を見るなり慌てて道を開ける。

 彼女はそれを気にも留めず、カウンターのさらに奥、一段高くなった場所に置かれた巨大な机へと歩み寄った。


 そこに座っていたのは、顔の半分に凄惨な火傷の跡を持つ女性だった。  

 彼女が書類から顔を上げた瞬間、騒がしかったギルド内が、水を打ったように静まり返る。


「……死んだかと思ってたよ、ミレイユ。バルディアの『魔族騒ぎ』に巻き込まれたって噂だったけどね」


 低く、地を這うような声。  

 この「狂犬」たちが集まるギルドの頂点――ギルドマスター、カサンドラ。


「なんだ、耳が早いね。……アタシを誰だと思ってるんだい、カサンドラ。それより、仕事が欲しいんだ。バルディアの腐れ衛兵どもに、有り金全部むしり取られちまってさ。 おかげで今は、笑えるくらいの『一文無し』なんだよ」


 ミレイユさんは悪びれもせず、机に肘をついて笑ってみせた。  

 カサンドラはわずかに眉を動かすと、僕と師匠を――特に僕の背負った『黒鋼の剣』を、値踏みするように一瞥した。


「一文無し、か。……ミレイユ、あんたがタダで身ぐるみを剥がされるようなタマじゃないことは知ってるよ。その『理由』が、後ろの連中ってわけかい?」


「ひっひっひ、相変わらず鋭いねぇ」


「……ま、いいさ。あんたの事情に首を突っ込むほど暇じゃない。だが、金が欲しいなら体で稼いでもらうよ」


 カサンドラは無造作に、数枚の依頼書をカウンターに放り出した。


「今あるのは『鉄喰い蜘蛛』の退治か、裏通りの用心棒くらいだ。……好きなのを選びな」


「鉄喰い蜘蛛……? ちょうどいいじゃないか」


 ミレイユさんはニヤリと口角を上げると、依頼書の一枚をひったくった。


「アレン、聞いたかい? この街にはね、鉄を食って成長する厄介な魔物がいるんだ。……そいつの甲殻は高く売れるし、あんたの新しい剣の『試し斬り』にはもってこいの相手だよ」


 僕が頷くよりも早く、ホールの隅から下卑た笑い声が上がった。


「おいおい、ミレイユ。そんなヒョロいガキに蜘蛛退治だと? 剣に振り回されて食われちまうのがオチだぜ。……その黒鋼、俺が安く買い取ってやろうか?」


 酒太りした大男が、椅子を引きずりながら立ち上がり、僕に歩み寄ってくる。

 男の目は、僕の背中の剣をじっと舐めるように見ていた。


 一瞬、空気が凍りつく。  

 僕は思わず柄に手をかけたが、それより先に師匠が一歩前へ出た。


「……失せろ。ゴロツキが」


 師匠が放った、剥き出しの刃を突きつけられたような、鋭利な響きの声。  


 たったそれだけで、大男は心臓を掴まれたかのように硬直した。

 男の顔からみるみる血の気が引き、ガタガタと膝を震わせながら、言葉もなく自分の席へと引き下がっていった。


「ひっひっひ! 爺さん、相変わらず怖いねぇ」


 ミレイユさんは楽しそうに笑いながら、カサンドラさんから数枚の銀貨を前借りとして受け取った。


「さて、当面の金の目処は立った。……アレン、爺さん。宿はアタシの知り合いの工房を借りるよ。ギルドの宿は騒がしすぎるし、寝首をかこうとする奴らも多いからね」


 ギルドの喧騒を背に、僕たちは裏口から外へ出た。  

 そこには、高くそびえる煙突の影に隠れるように、古びた工房がひっそりと佇んでいた。



  僕たちのバラムでの生活が、ここから始まる。  



 それは同時に、僕が「ただの少年」から「戦士」へと脱皮するための、過酷な時間の始まりでもあった。






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