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忌み嫌われた右腕が、誰かの希望になるまで。 ~正体を隠した半魔の少年、人間と魔族を繋ぐ英雄譚~  作者: 御影 零


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第12話  禁忌の血筋

 

 どれくらい走り続けただろうか。  

 蒼白く染まっていた空は、次第に薄明るいオレンジ色へと溶け出し、森の木々を逆光で黒く縁取っていく。


「……このあたりなら、大丈夫だろう」


 先頭を走っていた師匠が足を止め、周囲を鋭く警戒しながら告げた。  

 そこは、切り立った岩壁の根元に隠れるようにして広がる、小さな洞窟だった。

 入り口は生い茂るつたに覆われ、外からはまず見つからないだろう。


「はぁ、はぁ……っ……」


 足を止めた瞬間、張り詰めていた糸が切れたように全身の力が抜けた。  

 膝から崩れ落ちそうになる僕を、同じく肩で息をしていたミレイユさんが支えてくれる。


「……よく頑張ったね、アレン。まずは座りな」


 彼女に促されるまま、僕は冷たい岩の壁に背中を預けた。  

 アドレナリンが引いていくのと同時に、全身を切り刻まれた無数の傷が、火がついたように熱くうずき始める。


 けれど、それ以上に僕の意識を支配していたのは、「右腕」だった。


 今はもう、元の細い僕の腕に戻っている。  

 けれど、皮膚の内側にまだあの「赤黒い熱」がくすぶっているような、得体の知れない違和感が消えない。


 僕は震える左手で、その右腕をぎゅっと つかんだ。


「ミレイユ、肩を見せるんじゃ。手当をする」


 師匠の低く落ち着いた声が、洞窟の壁に静かに反響した。

 ミレイユさんは小さく頷くと、苦悶に眉を寄せながら、矢で射抜かれた左肩の鎧下をゆっくりとはだけさせた。


 あらわになった肩には、どす黒い血に汚れた矢尻が深く食い込んでいる。  

 師匠は腰のポーチから、使い込まれた革巻きの道具入れを取り出した。

 中には清潔な布や数種類の薬瓶が整然と並んでいる。


「……っ!!」


 師匠が迷いのない手つきで矢尻を引き抜くと、ミレイユさんが短く息を呑み、わずかに体を震わせた。  間髪入れず、師匠はあらかじめ用意していた小瓶から、すり潰した薬草を練り合わせた特製の軟膏なんこうを指ですくい取った。


「少し沁みるぞ。……だが、しっかり消毒しておかんと後で傷が腐る。我慢しろ」


 手際よく傷口に塗り込まれたのは、師匠があらゆる事態を想定して用意していた止血と殺菌の薬だ。

 直後、洞窟の冷たく湿った空気の中に、薬草特有の鼻を突くような苦い香りが一気に広がっていく。


 師匠の節くれ立った指は、驚くほど器用に包帯を操り、ミレイユさんの肩を的確に固定していった。  その淀みのない動作からは、彼がこれまでどれほどの戦場を渡り歩き、自他の傷を癒やして生き延びてきたのかが、言葉以上に伝わってきた。


 沈黙。


 聞こえるのは、自分たちの荒い呼吸と、遠くで鳴き始めた朝の鳥の声だけ。  

 つい先ほどまで死神と切り結んでいたことが、まるで悪い夢だったかのような静寂だった。


「……師匠」


 僕はたまらず、口を開いた。  


 聞かなければならないことが、山ほどあった。


「教えてください。ザディルって、何者なんですか? ガラは僕を……この腕を、『忘れ形見』だと言った。師匠のことも、『あの夜の生き残り』だって」


 僕は顔を上げ、正面に座る師匠を真っ直ぐに見据えた。


「師匠は、全部知っているはずだ。……僕は、何なんですか。僕の本当の正体を……隠さずに、全部、話してください」


 絞り出すような僕の声に、師匠の手が一瞬止まった。


 師匠はミレイユさんの肩に包帯を巻き終えると、膝の上に置いた自分の拳をじっと見つめ、深く、重い溜息をついた。

 それから、意を決したように僕の正面に座り直す。  


 その瞳には、今まで見たこともないような――慈しみと、そして取り返しのつかない宿命を前にしたような、暗い色が混じっていた。


「……この日が来るのを、わしは一番に恐れていた。かつて、お前に『広い世界を見て、自分の答えを見つけろ』と突き放すようなことを言ったのは、せめて真実に辿り着くその時までに、お前にそれを撥ね退ける強さを身につけてほしかったからじゃ」


 師匠は、言葉を噛みしめるように一度瞳を閉じ、僕が左手で押さえている「右腕」へと静かに視線を落とした。


「……だが、いざその時が来ると、やはり足がすくむな。本心では、お前が答えを見つける日など永遠に来なければいいと……ただの『アレン』として、このまま光の下で笑っていてほしいと、わし自身が一番、そんな叶わぬ願いにすがっておったのじゃろう。……だが、思ったよりも早く、その時が来てしまったな」


 師匠はそこで言葉を切り、意を決したように僕の正面に座り直した。

 その瞳には、今まで見たこともないほど重い覚悟が宿っている。


「……もう、隠し通せぬ。アレン。その右腕に宿る力の正体、そしてお前の血に流れる、あまりに過酷な真実を――今ここで、すべて話そう」


「僕の……血?」


 思わず聞き返した僕の声は、自分でも驚くほど乾いていた。


「ああ。察しの通り、お前の中には魔族の血が流れておる。だが、それはただの魔族ではない」


 師匠は一呼吸置き、僕の顔を見つめた。


「お前の父君は……かつて人間との和平を望んだ、気高き魔族の長――『魔王ディオス様』じゃ」


「――っ!?」


 衝撃のあまり、声にならない悲鳴が喉で止まった。


「はあぁ!? おい、冗談だろ、じいさん……っ!」


 ミレイユさんが、痛みも忘れたように身を乗り出した。

 その鋭い瞳が、驚愕に見開かれている。


「魔王だと? 教会や街の連中が『邪悪の根源』だのなんだのと唾を吐き捨ててた、あの魔王だってのかい。……おいアレン、お前、そんなとんでもねえ化け物の息子だってのか?」


 魔王。人類の敵。恐怖の象徴。  


 それが、僕の父親?


 あまりに現実味のない言葉に、頭が拒絶反応を起こす。

 けれど、師匠の瞳はどこまでも真剣だった。


「聞いたことがあるだろう、アレン。かつてこの大陸には、魔物が完全に姿を消した十年間があったはずだ」


「……ええ。じっちゃん、いえ、リムル村の村長に聞きました。『空白の十年』。……それは、聖女エレナ様の祈りが奇跡を起こしたからだって」


「それが『聖教会』のついた最大の嘘なのじゃ」


 師匠の声は、静かに、けれど深い憤りを孕んで洞窟に響いた。


「今から二十六年前、ディオス様が和平の誠意を示すために、魔族の進軍を完全に止められた十年間がある。あの方は魔王として人間への加害を厳禁し、和平に向けた対話を呼びかけ続けた。魔物が消えたのは、祈りの成果などではない。魔王自身が平和を掴むための第一歩として、自ら剣を収めたからなのだ」


 師匠は一呼吸置き、苦々しげに言葉を継ぐ。


「……だが民衆は、そんなことは何も知らされていなかった。突然魔物が消えたことに民が驚き、混乱するのを防ぐため……いや、その好機を自分たちの権威に変えるため、聖教会は即座にこう触れ回ったのだ。『第一王女エレナ様の祈りが天に届き、魔を退けた。これは神の奇跡である』とな」


「……ハッ! 聞いてるだけで虫酸むしずが走るね」


 ミレイユが鼻で笑い、忌々しそうに吐き捨てた。


綺麗きれいな嘘で民衆を躍らせて、自分たちは救世主面かい。……だったらさ、じいさん。その嘘っぱちの幕の裏側で、実際には何が起きてたんだい? そっちが『本物の歴史』なんだろ」


「……和平交渉は、聖教会の激しい制止を振り切る形で進められた。この『エルディアーナ聖王国』の王もまた、ディオス様の手を取ろうとなされていたのじゃ。たとえ国教である教会の不興を買おうとも、戦に疲れ果てた民を思えば、それ以外に道はないと。だが――その『王の英断』こそが、聖教会にとっては許しがたい反逆であった」


「王様も……平和を望んでいたのに?」


 ようやく絞り出した僕の問いに、師匠は重く頷いた。


「ああ。王と魔王が手を取り合えば、世界から争いが消える。だがそうなれば、聖教会の『魔を討つための権威』は不要になってしまう。だから奴らは、王の動きを封じ、民の目をエレナ様の『祈り』という物語に釘付けにした。……真実を闇に葬り、自分たちが主役であり続けるためにな」


「……反吐が出るね」


 ミレイユさんが、包帯の巻かれた肩を動かしながら、忌々しそうに吐き捨てた。


「街の教会に行きゃあ、神官の野郎どもが毎日毎日、聖女様の祈りに感謝しろだの、奇跡を忘れるなだのと説教垂れてやがった。……あれは全部、魔王様の功績を横取りして、自分たちの都合のいい神話に書き換えるための嘘っぱちだったってわけかい」


「左様。だが――その欺瞞ぎまんに満ちた世界の裏側で、ディオス様が抱いた理想に共鳴し、魔王と共に歩んだ一人の女性がいた」


 師匠はそこで一度言葉を切り、遠くを見るような、慈しむような瞳で僕を見つめた。


「このエルディアーナの第一王女にして、聖と光、二つの魔法系統を極めた奇跡ともいえる功績を称え、『聖女』の称号を授かった、エレナ様だ」



「……アレン。お前の母は、そのエレナ様なのじゃよ」



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