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鍛治師、父としての勘

 夕刻。

 店内ではセレナが棚を拭き、戸締りの支度をしている。

 鈴がひとつ、控えめに鳴った。


「……ロイドさん?」

「弁償だ」


 ロイドは銀貨を一枚、そっと台に置いた。

 昼間、試しに引いた麻袋の見本を破いてしまった件だ。


「そんな、大丈夫ですって。あれは私が破れませんって言い張ったせいで……」


「事実は事実だ。俺が破いた。だから支払う」


 セレナは少し迷った末に受け取り、ふっと笑った。


「じゃあ、こういうのはどうです? 今度なにか一つお手伝い頼まれてください。これで、おあいこ」


「了解……わかった」


 言い直すと、セレナが目じりだけで笑う。

 その表情の形を、新たに記憶する。


 奥の扉が軋み、重量のある木箱を抱えた男が現れた。

 肩と腕が鍛えられ、煤けた前掛けの下に金槌の柄が覗く。


「セレナ、釘と蝶番。頼まれてた分だ」


「ありがとう、お父さん。――あ、そうそうこの方がロイドさん、村に来られたばかりなの」


 男は箱を台に下ろし、わずかに顎を引いた。

 その視線は、鍛冶屋の癖だ。

 鉄を叩く前に“歪み”を見るように、人を測る。


「鍛冶屋のアルトだ」

「ロイドだ。世話になっている」


 名乗り合う短い間に、わずかな緊張が走る。

 アルトはロイドの手を見た。

 皮膚が厚く、節が固く、刃物を握り慣れた手。言葉にはせず、軽く息を吐く。


「いい手だな。……戦場帰り、だと聞いた」

 

「ああ」


「俺も若い頃行った。ああいう場所に行くと、目の焦点が少し変わる。お前さんの目を見て思い出したよ」

 

「……そう見えるか」


「戦争にいたやつはどうしても“形”で覚えるんだ。ここは安全か、逃げ道の確保は問題ないか。人の顔を見ているわけじゃない」


 ロイドは少しだけ間を置いた。

 返答のタイミングを測るようにして、低く答える。


「……たくさんの死体を見た。生きている人の顔よりも多く。それが、抜けてないだけだ」


 セレナの指が止まる。

 目がわずかに潤み、口を開きかけて閉じた。


「……そう、だったんですね」


 アルトはわずかに顔をそむけた。

 それは反論でも軽蔑でもなく、ほんのわずかなため息のようだった。


「……ああいう場所にいたなら、そうなるさ。ただ、気をつけな。人を“形”で見る目は、いつか心の距離を狂わせる」


「善処する」


 短い返答。

 アルトは「ならいい」とだけ言って、箱を抱えて奥へ戻った。


---


 静けさが戻る。

 セレナが申し訳なさそうに笑う。


「ごめんなさい、お父さん、あんな言い方しかできない人で……でも、悪気はないんです」


「理解している。謝罪は不要だ」


 ロイドは会釈し、戸口へ向かった。

 鈴がもう一度、小さく鳴った。


「ロイドさん」


 振り返る。

 セレナの瞳は、昼よりもやわらかい光を宿していた。


「来てくれて、ありがとうございました。……袋のことも、話してくれたことも」


「任務の一環だ。――では」


 戸を押し、外へ出る。

 夕陽が藍に沈みかけ、通りには炊事の匂いが漂っていた。

 

---


 店の灯りを落とした後。

 アルトは木槌を台に置き、ぼそりと呟いた。


「……あの目はよくないな」


「お父さん?」


「あいつの目は人を生きてる人間としてみていない。うまく表現できないけどな」


「……でも、悪い人じゃないよ」


「ああ、悪い奴じゃないかもしれない。だが、“無害”でもない」


 アルトは窓の外を見ながら、ゆっくり続けた。


「セレナ、深入りするな。あいつは、同情される言葉選びも慣れてる。どこまでが本音で、どこからがそうじゃないのか分からないタイプだ」


 セレナは小さく頷いた。

 それでも胸の奥で、あの静かな声がまだ響いていた。

 ――“ 生きている人の顔よりも多く”。


 その言葉が、なぜかとても悲しく思えた。


---


 角を曲がった先で、ロイドは一度だけ足を止めた。

 店の中から漏れる声が、風に乗って流れてくる。

 「悪い人じゃない」「でも無害でもない」。

 耳に届く断片を切り捨て、呼吸を整える。


「……監視対象ではない。任務外だ」


 そう呟いて歩き出す。

 だが、胸のどこかがわずかにざらついていた。

 同情を計算に入れるのは簡単だ。

 ただ、その“柔らかさ”に、なぜか違う種類の感情が混じっている。


 ――演技に、温度が移る。

 それが、もっとも危険な変化だ。


 ロイドは夜の空を見上げ、低く息を吐いた。


「……感情制御、再訓練が必要だ」


 そして静かに、歩を進めた。

 

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