小さな模倣の成果
朝。
陽はすでに高く、窓の外には白い雲が流れていた。
村のどこかから聞こえる鶏の声と、木々のざわめきが混ざり合う。
机の上に並べたナイフを布で包みながら、短く息を吐いた。
刃の重みを手の中で確かめる癖は、もう20年以上続けてきたものだ。
今さらやめられるものでもない。
だが、今は命令がある。
――“普通の生活を送れ”。
その任務を遂行するには、余計な動作を見せない方がいい。
ナイフを棚の奥にしまい、扉を開けた。
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外に出ると、通りの向こうでレクトが鍬を振っていた。
日焼けした腕に、陽光が反射している。
ロイドは一瞬立ち止まり、頭の中で選択肢を並べた。
声をかけるか、無視するか。
普通の人間なら、ここで声をかけるのだろう。
人は互いに手を貸し合う。それが社会性の基本――であってるのだろうか。
「……手伝おうか?」
レクトが振り向き、驚いたように目を丸くした。
「おお、どうしたんだい、ロイドさん。自分から言うなんて珍しいじゃないか」
「助け合いが基本だと聞いた。ならば行動で示すべきだと思った」
「理屈っぽいなあ……まあ助かるよ」
鍬を渡され、ロイドは手に取った。
握りの感触、重さ、振り方。
筋肉の動かし方は、戦闘訓練と大差ない。
ただ、相手が“人間”ではなく“土”に変わっただけだ。
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「そうそう、もう少し力抜いて。土は殴っても仕方ない」
「……了解」
「いや、了解じゃなくて、わかったでいいんだ」
「……わかった」
「よし。そうそう、それでいい」
レクトが笑う。
ロイドは、その表情を観察するように見つめ、同じように口角を上げてみせた。
形は似ている。だが、そこに“感情”はない。
それでも、レクトは満足そうに頷いた。
しばらく作業をしていると、家の方からメリーがやって来た。
腰に手を当て、じろりとレクトを睨む。
「ちょっと、まさか無理やりロイドさんを働かせてるんじゃないでしょうね?」
「えっ?いやいや!ロイドさんが自分から手伝うって言ったんだよ!」
「ほんとぉ?この人、断れなさそうな顔してるじゃない。ね、ロイドさん?」
突然の問い。
ロイドは一瞬だけ考え、最適な返答を探した。
「自分の意思だ。合理的な判断だった」
「ほら見ろ、言ってるだろ?」
「言い方が固いわね〜」
メリーはため息をつき、それでも笑った。
「まったく、うちの人はすぐ他人を巻き込むんだから」
「いや、巻き込んでないってば!」
二人の軽いやり取りに、ロイドはわずかに息を吐いた。
――これが“普通の会話”というやつか。
理解はできないが、観察する価値はある。
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日が少し高くなった頃、メリーが桶を持って戻ってきた。
「はい、水。ちゃんと飲まなきゃ倒れちゃうわよ」
ロイドは受け取り、一口飲む。
喉の奥を冷たさが通り抜ける。
思わず、口から言葉が漏れた。
「……悪くない」
「またそれ。もうちょっと違う言葉ないの?」
「……助かる」
メリーがぱっと笑った。
「そうそう、それでいいのよ!」
彼女の笑顔を、ロイドはしばらく見つめていた。
表情筋の使い方を記憶する。
“笑う”という行為を、少しずつ真似できるようになろう。そうすれば俺はもっと普通になれる。
昼前。
土の匂いが腕に染みついていた。
レクトが鍬を置き、空を見上げて言った。
「いやあ、思ったより捗ったな。ロイドさん、ありがとな」
「感謝されるほどのことではない」
「相変わらずだなほんと!」
笑いながら、レクトは肩を叩いた。
「ひとつ頼まれて欲しいんだが、午後とか市場に行く予定あるか?もしあれば麻袋を3つほど買ってきて欲しいんだ。セレナの店で売ってるだろうから頼んでもいいか?」
「了解……わかった」
レクトは満足に笑った。
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畑を離れ、市場に行く途中。
ロイドは袖口の土の匂いを嗅いだ。
殺し屋としての人生では決して感じなかった、新鮮な匂い。
それが何を意味するのかは分からない。
けれど、少なくとも“普通の人間”はこれを生活の一部として受け入れている。
「……なるほど。これも成果、か」
呟きながら、ロイドは歩き出す。
背後で、レクトとメリーの笑い声がまだ続いていた。