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その壁は計り知れず

 夜の村は静かだった。風が木々を揺らす音も、昼間の喧噪が嘘のように遠い。


 村外れの少し開けた空き地に、四つの影が向き合って立っていた。


「……ここなら、誰にも迷惑はかけない」


 ロイドがそう言って振り返る。闇に沈んだ瞳が、静かにガルドを見据えた。


 ガルドは思わず息を飲んだ。それでも、剣士としての性分が背中を押す。ガルドはいつも通り丁寧に頭を下げた。


「よろしくお願いします」


「アルウィナ」


 ロイドが短く名を呼ぶ。アルウィナは小さく頷き、ガルドの背にそっと手を置いた。


「……身体強化魔術ブースト

 

 紡がれる詠唱。魔力がガルドの全身を巡り、筋肉と骨格をなめらかに補強していく。視界が少しだけ鮮明になり、身体が軽くなる感覚。


「準備完了!」


 ガルドは深く息を吸い、吐く。剣を抜き、構えを取った。


 それを見届けてから、ロイドはぽつりと言う。


「もう一度だけ確認する。ここで見たことは他言しない、いいな?」


「約束します」


 それを聞くとロイドは愛用の、多くの命を刈り取ったナイフを構える。ロイドの雰囲気は、世界は変わる。本来のあるべき姿へ。

 

 その変わりようにガルドも気づいていた。しかし冒険者として。


「行きます!」


 地を蹴る。強化された脚力で、一気に間合いを詰めた。


 剣が唸りをあげて振るわれる。正面からの斬撃から繋げての踏み込み、横薙ぎ、下段からの切り上げ――


 ロイドは、それを容易く避ける。ついさっきまで立っていた場所を、空を切った刃が通り過ぎる。


 ガルドの中で警鐘が鳴る。魔術による身体強化により今まで以上の速度で動いているはずなのに追いつけない。


「悪くない。だが」


 背後から声が落ちた。


 反射で振り返る。同時に、腹部に鈍い衝撃。


 ロイドの膝蹴りが、鎧の上から深々とめり込んだ。


「ぐ……っ!」


 肺から空気が抜ける。しかしガルドは崩れず、一歩下がって距離を取った。


「持ちこたえるか」


 ロイドの声には、わずかに感心が混じる。ガルドは荒い息を整えながら、苦笑を浮かべた。


「さすがに……効きますよ……」

 

 再び踏み込む。今度は真正面からではない。斜めに角度を変え、フェイントを混ぜて動く。それでもロイドの視線は揺れない。


「肩と首の動きで軌道が分かりやすい。動きが素直すぎる」


 一拍。ロイドのナイフが、剣に触れただけで軌道が逸らされる。


 そして、腰にロイドの手が触れた直後—―


「……っ!」


 ガルドの身体は宙を舞った。

 そのまま地面に強打される寸前でロイドの手が襟首を掴み、地面に置かれるように戻される。


 武装した成人男性を軽々と片手で持ち上げるその膂力に恐怖すら覚えた。


「頭部を強打すれば致命傷になりかねない」


 ロイドは淡々と告げる。


 アルウィナは腕を組みながら、それを見つめていた。フィオは顔を引きつらせながらも、どこか目を輝かせている。


 こんなにも遠いのか……。


 ガルド自身にも分かる。ロイドの動きに今のところ“本気”はない。


 それでも――


「……もう一度、お願いできますか」


 ガルドは剣を支えに立ち上がった。ロイドは一瞬だけ黙り、やがて小さく頷いた。


「立てるなら、来い」


 その後、十。いや、二十かもしれない。正確な数を数える余裕がないほどに打ちのめされた。


 ただ一つだけ分かったのは――


 次元が違うという事実だけだった。誇張表現ではない。ガルド自身実戦経験は豊富だが、ロイドはそれをはるかに上回る経験があるのだ。


 最後の一撃。ロイドの拳が鎧の隙間を正確に撃ち抜き、ガルドは膝から力が抜ける。


「……参りました」


 地面に膝をつき、ガルドは素直に降参を告げた。ロイドは静かに頷く。


「悪くない。冒険者としては優秀な部類だろう」


「優秀……」

 

 あくまで淡々。だがガルドの胸の中には、奇妙な満足感が広がっていた。


「……ありがとうございました。すごく勉強になりました」


「まだだ」


 ロイドが視線を動かす。フィオとアルウィナの方へ向けられた。


「お前たちは三人で一組だ。本番を想定して三人で来い」


「…………え?」


 フィオの口が、間抜けな声を漏らした。


「ちょっと待って。なんで私たちも?」


「ガルド一人でここまで戦えるなら、三人ならもう少しマシになる」


「ちょっとロイドさん、その評価逆に失礼じゃない?」


「事実だ」


 フィオが頭を抱え、アルウィナがため息をつく。


「……でも、確かに本番は三人一組ね。ゴブリンの群れを相手にする時に、一対一なんてまずあり得ないわ」


 アルウィナが自分に言い聞かせるように言う。


「それに……今のうちに、自分たちの限界を知っておくのも悪くないわね」


「アルウィナまで……はぁぁ……分かったよ、やるよ!」


 フィオは頭をかきむしりながらも、短剣を構えた。ガルドは立ち上がり、剣を握り直す。


「じゃあ改めて……お願いします」


 ロイドはただ一言だけ返した。


「来い」


---


 三人は、同時に動いた。


「正面は俺が。フィオ、右から回り込んで。アルウィナ、後衛支援を」


「了解〜!」


「任せて」


 ガルドが真正面から踏み込み、縦一文字に斬り下ろす。

 その影に紛れるように、フィオが横から滑り込む。地面すれすれまで身体を低くし、視界の死角から短剣を突き上げた。


 ロイドは一歩も動かなかった。


 ガルドの剣が届く直前、刃の側面を手のひらで軽く弾く。人間のできる芸当ではない。


 同時に足先で地面を軽く蹴り、ほんの指先ほど身体がずらす。


 それだけで――フィオの突きは空を切った。


「っ、消え――」


「消えてはいない」


 背中に、冷たい声。フィオが振り返ると目の前には指が一本。そして、そこに魔力が練られ――


「ぴゃぁぁぁ!」


 眩い閃光がフィオを襲った。と言ってもロイドが使用したの探索魔術系統に含まれる灯指魔術ライトフィンであり、それ自体に害をもたらす効果はない。しかし、月明かりがあるとはいえ夜。暗闇の中、突如目の前が光ると反射的に目を瞑ってしまう。

 

 その一瞬でロイドはフィオの足を払い、フィオは頭から地面に激突――とはならず、これまた襟を掴みふわっと投げるようにして元の位置に戻す。


「ぐえっ!?なに今の優しいのか優しくないのか分かんない投げ!?」


「仕切り直しだ。続けるぞ」


「もうわけわかんない!」


 文句を言いながらも、フィオはすぐに立ち上がる。

 その間に、戦況を分析していたアルウィナの魔術が完成する。


 身体強化魔術を重ね掛けしガルドの身体がさらに軽くなる。同時にロイドの足元の土がわずかに盛り上がり、足場を崩す魔術が起動した。


「フィオ!」


「分かってる!」


 ガルドが正面から斬りかかる。フィオは体勢を立て直し死角から刃を滑り込ませ、アルウィナの魔術が視界と反応速度を補強する。


 冒険者として実戦をくぐり抜けてきた三人の連携だった。


 ――それでも。


「悪くない」


 ロイドの評価は一言だけ。


 足場を崩した土が、ロイドの足を崩す――はずだった。

 だがロイドは、あらかじめその場所から足を離していたかのように、わずかに位置をずらしていた。


 バレてた!?無詠唱よ!?


 アルウィナの背中を冷たい汗が伝う。


 ガルドの剣筋も振りかぶったところを肘に右手の掌底を決められ剣が手から離れる。そしてフィオの短剣は、わずか数センチのところで左の指先に止められる。


「攻撃のリズムが単純だ。ただ二人同時に突っ込んでいるだけだ」


 ロイドは指摘を重ねる。


「前衛が囮になり、側面からの刃に重きを置いている。これ自体はいい。だが、同時であれば対処は容易い。タイミングをずらし、相手に隙を与えるな」


「……っ!」


 ガルドは歯を食いしばり、落とした剣をもう一度構える。


「魔術の発動もわかりやすい。無詠唱なら欺き方を覚えろ。味方を盾としてうまく使え」


「盾に……」


「視線が素直だ。自分の魔術に自信を持つのはいい。前衛の影に隠れ発動タイミングをずらす、余計な手振りを加えることでフェイントをかける。できることは多い」


 アルウィナは悔しそうに唇を噛み、それでも目は輝いていた。


「……そこまで見てるのね」


 剣を構えたガルドに視線を戻す。


「もう一度だ」


「……はい!」


 その後も何度か、三人はロイドに挑んだ。


 ガルドは正面から何度も弾かれ、そのたびに踏みとどまり。

 フィオは転がされ、掴まれ、地面と仲良くなり。

 アルウィナは魔術をことごとく避けられ、魔力切れを起こした。


 ロイドは無駄な魔術を一切行わない。歩幅と重心、視線と、わずかな気配だけで三人を翻弄し続ける。


「さっきよりはマシだ」


 半ば這いつくばるように立ち上がるガルドに、ロイドが短く告げた。


「前衛が意識して囮になっていた。フィオの奇襲とアルウィナの魔術が活きてくるようになった」


 フィオは地面に倒れたまま、片手を上げた。


「あたし……今日だけで地面と親友になった気分だよ……」


 アルウィナも息を切らしながら座り込む。前衛のガルドにかかる負荷が一番大きいはずなのに、三人とも同じくらいボロボロだった。


 ロイドは三人の様子を見回す。足元には踏み固められた土と、ところどころに残る靴跡。魔術によって隆起した地面。


「……少しやりすぎたか」


 ようやく、そこで自覚が追いついた。

 ロイド自身人に教えることに対する熱があるとは思っていなかった。


「立てるか」


「いや、無理〜……明日全部筋肉痛確定だよこれー……」


「明日どころか三日は引きずるわねこれ」


 フィオとアルウィナが揃ってうめき声をあげる。

 ガルドだけが、なんとか剣を杖にして立ち上がろうとして――その場でふらりと崩れた。


「ガルド!?」


 フィオが慌てて駆け寄る。


「大丈夫……ちょっと、足が……言うことを聞かないだけで……」


「大丈夫って言わないわよ!」


 ロイドは三人を見下ろしたまま、しばらく黙っていた。


 三人が息を切らしながらも立ち上がろうとする姿。何度倒されても諦めないガルド。文句を言いつつもついてくるフィオ。呼吸を荒げながらも魔術式を崩さないアルウィナ。


 それを悪くないと、むしろよいものだと感じだ。


「……ここまでだな」


 結局、三人ともその場では立てなかった。

 ロイドは一度だけ空を見上げ、短く息を吐くと――三人を抱え上げた。ただそうするのが一番早いという判断だったかのように。


「ちょ、ちょっと待って!?」


「え、え、嘘でしょ……!?」


「……ちょっと、降ろしなさい……!」


 三人分の抗議が重なるが、ロイドは気にしない。ロイドにとってはこれが最も合理的だと判断したからだ。

 腕にかかる重さを調整するようにわずかに持ち直し、そのまま村へ向かう。


「はは……ははは……」


 フィオが引きつった笑顔で声を出した。


「……なんかさ、これ……絵面ひどくない?荷物じゃん」


「黙ってなさい……」


 アルウィナがぐったりしたまま返す。

 ガルドはもう声を出す余裕もなく、ただ苦笑していた。


---


 雑貨屋の前に辿り着き、ロイドは扉をノックした。


 ――コン、コン。


「……はい?」


 扉が開き、セレナが顔を出す。次の瞬間、彼女は言葉を失った。


 ロイドの腕の中に、二人と背負われてる男が一人。全員、明らかに満身創痍。


「……え?」


 一拍遅れて、状況を理解する。


「……え?」


 フィオが愛想笑いで手を振った。


「あははー……こんばんは……」


 セレナは目を瞬かせたまま、ゆっくりとロイドを見る。


「……ロイドさん」


「薬を頼む」


「……ですよね」


 深いため息。


 セレナは何も言わず扉を大きく開けた。


「中、入ってください。……三人とも」


「助かる」


 ロイドは淡々と答え、そのまま中へ入る。


 三人が運び込まれたのを確認してから、セレナは扉を閉めた。


「……もう」


 小さく呟きながら、棚から薬瓶を取り出す。


「深くは聞きませんけど気をつけてくださいね?」


「……反省している」


 ロイドはそれ以上返さなかった。


 床に並べられた三人を見下ろし、セレナはまた一つ息を吐く。


「……今日はまだ寝れなそうですね」


 そう言って、ランプの火を灯すのだった。

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