日常の距離はゆるやかに………
騎士団が村を去ってから、いくつかの日が過ぎた。
村の暮らしは目に見えて変わったわけではないが、空気がどこか少しだけやわらかくなっていた。
朝になれば畑に人が出て、昼にはパンとスープの匂いが家々から立ちのぼる。
夕方には子どもたちの笑い声が通りを走り抜ける。
ロイドもまた、変わらない日を過ごしていた。
畑を手伝い、小屋に戻れば道具の手入れをし、簡素な食事を取り、眠る。
ただその行動ひとつひとつが村に馴染むようになっていった。
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ある日の午後。
村の通りを、三人の子どもたちが駆けていた。
「ロイドさんち行ってみようよ!」
「えー、怒られないかなあ……」
「いいじゃんいいじゃん!きっと秘密基地みたいになってるんだ!」
年の近い、六歳から十歳くらいの子どもたち。
棒きれを剣に見立て、転びそうになりながらも進んでいく。
その途中、籠を抱えた少女の姿があった。
「あ、ノエルちゃんだ!」
「ノエルちゃーん!」
名前を呼ばれた少女が振り向く。
亜麻色の髪を白いリボンで結び、薄い青のワンピース姿――ノエルだった。
「どうしたの?そんなに慌てて」
「ロイドさんの家の探検行くの!」
「一緒に行こーよ!」
子どもたちに腕を引かれ、ノエルは少しだけ目を瞬かせた。
ロイドさんの……お家。
頭の中に、あの日の光景が浮かぶ。
鹿を担いで帰ってきた背中。
荷運びを手伝う姿。
そして――通りの隅でこっそり言った「いいなぁ、ああいう人」という自分の声。
「え、えっと……私、買い物の帰りなんだけど」
「すぐすぐ!ちょっとだけ!」
「ロイドさん怖くないよ!ダリオ兄ちゃんとも友達になったらしいよ!」
ノエルは苦笑し、籠の中身を一度見た。
傷みやすいものはない。日が暮れるまでには戻れる。
「……少しだけだよ。ちゃんと、お邪魔しますって言うんだよ?」
「やったー!!」
「ノエルちゃんも一緒!」
子どもたちは歓声を上げ、ノエルを先頭に丘の方へ駆け出した。
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丘の上の小屋は、今日も静かだった。
風が草を撫で、小さな畑の葉が揺れている。
軒先では、ロイドが布を広げていた。
磨き終えたナイフ、研ぎ石、油布。
動きは静かで、無駄がない。
「ロイドさーん!!」
子どもたちの声が駆け上がる。
ロイドは手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
「なぜここに?」
「この前、ダリオにいちゃんが教えてくれた!」
「“変な人の家だから行くな”って言ってた!」
ロイドは少しだけ首を傾けた。
「……ダリオの評価は、今後修正が必要かもしれないな」
その時、子どもたちの後ろからノエルがおずおずと顔を出した。
「あの……お邪魔しても、いいでしょうか?」
ロイドの視線がノエルに向く。
亜麻色の髪に白いリボン。
通りでセレナと話していたとき、後ろでひそひそと囁いていた娘の一人だと、すぐに照合された。
「……以前、通りでセレナと話したときに後ろにいた娘か」
「えっ!?き、気づいてたんですか……!」
ノエルの顔が一気に赤くなる。
「それで何の用だ」
ロイドが問うと、子どもたちが一斉に両手を上げる。
「探検!!」
「ロイドさんの家見たい!」
「騎士団の人の家だから、きっとすごいんだよ!」
「騎士団ではない」
「そうなの?」
「第一師団の人じゃないの?」
「そう“言われているだけ”だ」
子どもたちは「ふーん?」と首を傾げ、すぐに興味を失ったように小屋の方へ走り出す。
「ちょ、ちょっと待って!勝手に入っちゃダメだって!」
ノエルが慌てて追いかける。
ロイドはナイフを布で包み、静かに息を吐いた。
「……危険な場所はない。ただし、触れていいものといけないものの線引きは必要だ」
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小屋の中はいつも通り質素だった。
机、椅子、粗末な棚、寝台。
窓からの光が斜めに差し込み、埃がきらきらと舞っている。
「なにも、ないね……」
「もっとこう、宝物とかさー!」
「これなにー?」
子どもたちがそれぞれ散る。
一人の少年が、机の上に置かれていた布に手を伸ばした。
「だめだ」
ロイドの声が、落ちた。
少年の手首を掴む動きは速かったが、力は加えられていない。
少年がびくりと震える。
布の下には、刃があった。ロイドが愛用しているナイフだ。
普通の短刀の形なのに、どこか妙だった。刃は短刀というには長すぎる。そしてそれは持ち上げれば驚くほど重いものだった。
「それはお前たちが触れてはいけないものだ」
ロイドは布をめくり、ひと目だけ見せた。
子どもたちの瞳が丸くなる。
「わぁ……本物だ……」
「さわってみたい……」
小さな呟きに、ノエルが慌てて割って入る。
「こ、こら!危ないでしょ!ロイドさんの道具なんだから!」
ロイドは一度だけ目を閉じた。
子どもたちの表情――興味と好奇心、そしてほんの少しの恐れ。
「……少し待て」
ロイドは刃を布ごと包み、腰に戻した。
そして外へ出ていく。
子どもたちもぞろぞろとついて出る。
ロイドは小屋の脇に積んであった薪の中から、節の少ない枝を選び取った。
片手で枝を持ち、もう片方の手で刃を抜く。
光が刃に走り、次の瞬間には木肌が静かに削られていた。
削る音は静かで、早すぎもしない。
ただ淡々と、必要な分だけ木が落とされていく。
子どもたちは息を飲み、ノエルも思わず見入っていた。
やがて、枝は短い柄と、丸く削られた刃先を持つ“木の短剣”になった。
刃と言っても先は丸く、指で押せばへこむ程度だ。持ち手になる箇所に布を撒いた。
「……これを持て」
ロイドは一番先に布に触れようとした少年に、それを渡す。
「本物の代わりだ。これなら振り回しても、人は死なない。少し痛いだけだ」
「すっげぇ……!」
「ぼくも!」「いいなー!」
ロイドは無言で枝を取り換えながら、同じ形の木の短剣をもう二本、三本と削っていく。
子どもたちの手に収まるたび、歓声が上がった。
「いいか。約束だ」
木の短剣を持った子どもたちを見渡し、ロイドは低く告げる。
「刃物は人を傷つける。お前たちが扱っていいのは、今渡したそれだけだ」
「……わかった!」
「ぜったい触らない!」
「この木の剣で戦う!」
返事は大きく、迷いがなかった。
ノエルは胸を撫で下ろし、静かに微笑む。
「よかった……ロイドさん、ありがとうございます。こんなに丁寧に作ってもらえるなんて」
「安全に遊べるものがあれば、刃物に触れようとは思わなくなる。合理的だ」
「そういう言い方するんですね……でも、優しいですね」
ノエルがそう言うと、ロイドは少しだけ視線をそらした。
子どもたちは木の剣を振り回し遊び始めていた。その笑い声は、丘の上に軽く響く。
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しばらく遊んだ後、子どもたちは「見せびらかしてくる!」と村の方へ駆けていった。
残ったのはロイドとノエルだけ。
「……本当に、ありがとうございます」
ノエルが丁寧に頭を下げる。
「助かりました。もしあのまま本物に触ってたらって思うと……」
「止めるだけなら簡単だ。子どもは動きが読みやすい」
「そういうことじゃなくて……」
ノエルは困ったように笑い、籠を抱え直した。
「ロイドさん、やっぱり、優しい人だと思います」
「そうか」
ロイドはその評価を、そのまま“事実の一つ”として受け取る。
否定も肯定もしない。
「そろそろ戻らないと。……また、子どもたちがお邪魔するかもしれませんが」
「危険なことをしなければ問題ない」
「ふふ、じゃあ今度は、木の剣に飾りでもつけてあげようかな」
ノエルはそう言って微笑み、丘を下りていった。
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ロイドは小屋の前に一人残る。
風が草を揺らし、さっきまで子どもたちがいた場所に足跡だけが残っていた。
木片がいくつか、足元に転がっている。
手に一つ拾い上げ、感触を確かめる。
「……任務、か」
そう呟き、小屋の中へ戻る。
耳の奥にはまだ子どもたちの笑い声が残っていた。
報告には必要ないやわらかな残響だった。




