偽りの英雄の災難
第一師団の一件から数日経った夜、ダリオの家には、小さな灯りがともっていた。
木の机の上にはスープとパン。それから、妹のミラが慎ましく盛りつけた野菜が乗っている。二人きりの食卓は静かで――どこかぎこちない。
「お兄ちゃん頑張ったんでしょ?村の人たちみんな、お兄ちゃんが村を守ったんだーって……」
ミラが少しだけ微笑む。だがダリオはスプーンを握ったまま、うつむいていた。
言葉を返そうとして――その瞬間、
コン、コン。
扉が二度だけ叩かれた。
「え……こんな時間に?」
ミラが不思議そうに扉を見る。
ダリオは体が跳ねる。まるで背後から刃を突きつけられたかのように。
「ま、待て、ミラ!出るな!こんな時間に来るやつなんて――!」
しかしダリオの制止よりも早く、扉の前に立ったミラが取っ手に手をかけてしまっていた。
扉が開く。
「こんばんは」
そこに立っていたのは――ロイドだった。
月明かりの中、無表情のまま。両腕には、湯気を立てる鉄鍋と、塊のまま焼かれた肉、そして茹で上がっただけの野菜が木皿に山のように積まれていた。
「ロイドさん!えっと、これ料理、ですか?」
ミラの瞳が輝く。
ダリオの背筋に冷たい汗が走る。
ロイドは静かに頷いた。
「そうだ。感謝の意を表した。友人として、適切な礼をするのが普通だと判断した」
「……とも、だち……?」
ミラは嬉しそうに繰り返す。そしてダリオを見る。兄を尊敬する目だ。
ダリオは「いやだめだやめてくれそれは誤解だ」と叫び出しそうになりながら、声にならない悲鳴を飲み込んだ。
「ま、待ってくれロイド!な、なんで料理なんだよ!?なんで今なんだよ!?ていうか、友人って――」
「友人は、困っているときに助けるものだと、レクトが言っていた。お前は恐怖に直面していた。だから、これは正しい行動だ」
淡々とした声。感情の色がないのに、“確かな善意”だけが空気を満たす。
ロイドは鍋を机に置き、肉の塊をナイフで真っ二つに割り――その断面から、肉汁がじゅっと音を立てた。なお、無断で家の中に入っていることは言うまでもない。
「塩と水だけで煮た。純粋な栄養がある。強くなる。妹のためにも、お前は強くなければならないだろう」
ミラがうっとりとした顔で呟く。しかし、それは料理ではなくただの素材である。
「……お、おいしそうです……!」
一方ダリオは震えが止まらない。
こ、こいつ……俺を脅してるのか?それとも本気で優しさのつもりなのか!?どっちだ!?読み取れねぇ!!
ロイドは席につくこともなく、立ったまま淡々と言った。
「まだある。戦闘の訓練をしよう。お前には才能がある。妹を守る戦力は必要だ。俺が指導する」
「や、やめろ…………死ぬ…………俺が…………!」
「ああ、それは困る。死んでは困る」
ロイドの声はいつもと変わらず静かだった。
そして静かに、こう続けた。
「――お前は、俺の“友人”だからな」
ダリオの世界が止まった。
ミラは、目を潤ませて微笑んでいた。尊敬の眼差しである。
ロイドはただ事実を述べたという風に、淡々とそう言っただけだった。
「では、早速明日の早朝から始めよう。朝ここで待っている」
それだけ言い残すとロイドは満足したように去っていく。
扉が閉じた。
「お、お兄ちゃんすごい!!!」
ミラは嬉しそうに瞳を輝かせている。
ダリオは椅子に崩れ落ちるように座りこんだ。
胃のあたりが冷たくなる。
――友人だから。
その一言で逃げ道は全部塞がれた。
あれを断った瞬間、俺は“友人じゃない”ってことになる。
ミラの前で、そんなことは言えない。なんなら言ったほうが危険度合いが増してしまう。
ダリオはゆっくりと天井を仰いだ。
「お兄ちゃん?」
「な、なんでもない……もう寝ろ。明日、早いからな」
それは、覚悟とも諦めともつかない、小さなため息だった。
こうして――
ダリオの地獄みたいな訓練が幕を開ける。




