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謁見

 王城の謁見の間は、昼とは思えぬほど静まり返っていた。高い天井、列を成す石柱、その間に揺れる蝋燭の炎――第一師団団長バルド・グラズヘインは玉座の前に片膝をつき、深く頭を垂れた。


「……以上が、エルデの村での魔獣討伐の詳細にございます」


 王――レオハルト・アルメリアは、報告を聞き終えると、長い沈黙を置いてから口を開いた。


「魔獣は確かに討伐された。その功績は村の若者によるものと記す。異論はないな?」


「はっ。虚偽を避けつつ、最も穏当な判断と存じます。続けて報告いたします。ロイドという名の男ですが――」


 その瞬間、王の視線が鋭くなった。


「任務という言葉を用いておりました」


 謁見の間の空気が重く沈む。王は玉座に座ったまま、わずかに息を呑んだ。

 王は口を開きかけた。


「バルド。お前に伝えるべきことがある。お前が見た男は――」


 カツン、と音がした。


 一歩分の、靴音。


 その瞬間、蝋燭の炎がふっと消えた。誰も触れていないのに、一本、また一本と、順に闇が広がっていく。


 空気が変わる。


 玉座の左右に控えていた近衛兵は微動だにしない。彼らの目には、炎はまだ灯っているのだろう。


 だが――バルドには見えた。


 闇の中を“ 何か”が歩いてきている。


 視線を向けることすら、意志ではなく本能が拒絶した。なのに、目を閉じることもできない。ただ“飲まれる”直前の感覚だけが、無慈悲に押し寄せてくる。


「……干渉は不要と伝えてあったはずですが」


 声は穏やかな男の声だった。柔らかな響き。怒気はない。だが、その一音一音が聴覚ではなく魂へ直接落ちてくる。


 王は震える唇を押さえつけ、低く頭を下げた。


「陛下はご健在。村も問題はない。こちらとしては余計な仕事を増やしたくはないのですがね」


 歩みが玉座に近づく。蝋燭が最後の一本まで消え――残されたのは王とバルドの前に立つ“影”だけだった。


「――そういえば、ロイドはどうでしたか?」


 その一言に、謁見の間の空気がさらなる底へ沈んだ。


 バルドの背筋が、勝手に震えた。


「……報告によると彼はただ、普通の生活を続けたいと望んでいるように……」


「“望んでいるように見える”。それは陛下の解釈ですか?」


 低く、愉悦すら感じさせぬ声。


 だが確実に“何かを見つけた獣の反応”が混じっている。


「この場で自分の解釈を述べるほど愚かな王ではありませんでしたね。彼が自分の意志で選択しようとした……なるほど」


 王は何も答えられなかった。ただ、震えている。


 男は静かに息を吐いた。


「ロイドが……感情を“観測し始めた”……そうですか」


 その感情はどこへ向かっているのか理解し得ないほど深く暗い。


 だが、ほんのわずかに――本当にわずかに、声に“温度”があった。

 

 男の足が一歩、バルドの方を向いた。


 視界の端で、バルドは影を見た。人の形をしている。しかし“人”の理からあまりにかけ離れている。


「"そうしたくはないのだと思う”と言われたのはあなたですね?」


 ロイドの言葉だ。


 バルドは息を呑んだ。


「は、はい……どういう、意味なのか……」


「いいのです。あなたが理解できなくても。重要なのは――」


 影が微笑んだように見えた。


「“自分の意思でそれを選ぼうとした”という事実。干渉の件は咎めません。今後もある程度までは許容しましょう。ロイドに関して関係者であれば多少の情報共有は許可します。ですが、深入りは身を……国を滅ぼすことをどうか理解いただきたい」


 言葉が、謁見の間全体に染み込んでいく。


 次の瞬間には影はいなかった。蝋燭が何事もなかったかのようにすべて灯り、近衛兵も微動だにせず立っていた。


 だが、玉座の前で跪くバルドの呼吸は浅く、背には冷たい汗が伝っている。

 玉座に座る王の指先も、僅かに震えていた。


「……陛下!お顔の色が……!」


 近衛が駆け寄ろうとするが、王が手を上げて制した。


「下がれ。……バルド、すぐに私室へ来い。近衛長、ラグナとアリアを呼べ。急ぎだ」


 近衛は訝しみながらも命に従い、足早に謁見の間を出ていった。


---


 重厚な扉が閉じられると同時に、外界の喧噪は完全に遮断された。

 王は深く息を吸い、ぐったりと椅子に背を預ける。バルドは正面に立ち、沈黙のまま待機していた。


「バルド、席に。今から話すのは戦の話ではない。“国の裏側”の話だ」


 二人が向かい合って座ると、すぐに扉がノックされた。


「ラグナ・ドレイク、アリア・フェルニス参上いたしました!」


「入れ」


 扉が開き、二人は緊張に満ちた面持ちで入室する。王の表情を見た瞬間、その空気の異様さに気づき、言葉を失った。


「すぐに説明をする。ここから先のことは、第一師団の中でもお前たち三名のみに留める」


「「はっ!」」


 王は静かに目を閉じ、言葉を紡ぐ。


「我らの国は……表向き、独立している。だが実際には、ある組織と取引している。魔族との戦争や他国家との戦争の影響で、各地の治安維持、裏社会の制圧、他国の諜報活動――すべてを国の兵力だけで賄うのは不可能だった。だから、依頼をしていた。暗殺、抑止、殲滅。その報酬として膨大な金と、国家機密の一部を差し出してきた。簡単にいえば殺し屋組織だが、その枠には収まらないだろう」


 ラグナが息を飲む。


「……我々が呼ばれたということは、ロイド殿が――」


「そうだ。ロイドは、おそらく……いや、間違いなくその組織に属する人物の一人。だが――」


 王はそこで言葉を止め、バルドに視線を向けた。


「お前は見たのだな。人として普通の生活をしようとしているところを」


 バルドは頷く。


「はい。あれは偽りではありません。任務のための演技ではなく――いえ、その面もあったかもしれませんが、たしかに“そうしたい”という意志を、持ち始めているように見えました」


 アリアが僅かに身を乗り出す。


「陛下。もしそれが事実なら……ロイド殿は今まさに変わりつつあるということですか?」


「そうだ。それこそが問題であり、希望でもある」


 王は三人を見渡し、それぞれの瞳を確かめるようにしてゆっくりと言った。


「国としての立場を明言する。ロイドに対して敵対するな。彼は“国家にとって最大の脅威であり、同時に最大の救いとなり得る人物”だ。軽はずみな行動はとるな」


 ラグナとアリアは緊張の面持ちのまま頷く。


 バルドは深く頷き、大きく息を吐いた。


「第一師団団長バルド・グラズヘイン。命に従います」


「よかろう。ただし――」


 王の声が、わずかに低くなる。


「彼が自ら助けを求めてきた時だけは、全力で応えよ。それこそが、我々が“人間である”という証である」


 三人の胸に、熱いものが灯った。


 アリアがそっと呟く。


「……ロイド殿は我々を拒もうとはしませんでした。ただ普通に生きる努力をしているだけ……そう、思います」


「だからこそ、彼の意志を尊重するのだ」


 王はそう言って深く息を吐き……そこで、わずかに表情を緩めた。


「最後に――お前たちの婚約の件だが」


「え!?」「ちょ、陛下までそれを――ッ!?」


 王の私室に、小さな笑い声が広がった。


 それは緊張や恐怖をやわらげる、確かに“人の温もり”を取り戻すひとときだった。

 

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