揺れる馬上と判断
夕陽が山の端へ沈みかけ、騎士団の列は金色の光を背に受けながら王都への街道を進んでいた。
馬の足音は一定のリズムを刻み、誰もが無言……だが、その沈黙には重苦しさではなく、言葉にしづらい何かが漂っていた。
アリアが口を開く。
「……師団長。あの時、反射的とはいえ魔術を使おうとしました。あれは……」
ラグナが横目でアリアを見る。彼も同じことを思っていたのだろう。
バルドは前を向いたまま、淡々と言葉を返した。
「魔術は発動していない。結果として術式に至らなかっただろう」
「それでも……軽率でした」
「魔術師があの距離であの圧を前に反射行動に出るのは本能だ。それを私は短絡だと思わん。むしろ正常な観測だ。それについて言及することはない。報告は穏当に済ませよう」
続けてバルドはラグナを見る。
「お前はあの男についてどう感じた?」
隣を並走していたラグナが苦々しく息を吐く。
「あれは……無理ですね」
「無理、とは?」
後方の若い兵が怪訝そうに尋ねる。ラグナは迷いなく言葉を継いだ。
「勝利の形を“討つこと”だと定義するなら無理です。まぁ、しかし“生還すること”が勝ちであるなら――まだ可能性はあるかもしれませんね。それもかなり望み薄に見えますが」
その言葉が列に小さなどよめきを走らせた。
「……おいおい、ラグナ。お前何を……」
「第一師団が……勝てないと?」
誰かが思わず漏らす。その空気を切り裂くように、アリアが静かに口を開いた。
「私は反射的ではありましたが魔術を使用してしまいました。しかし、術式にも至らず魔力を“なかったことにされた”のです。あれは防御ですらないですね。彼は私に同一量かつ同一質の魔力をぶつけたのです。魔力は波に例えられますが、ただ同じ魔力であれば共鳴します。しかし、彼の魔力は術式に入る前の“私の自然魔力”、そして私の魔力は術式に沿って変質した魔力でした。そうすると魔力は似ているようで微妙にズレた波になります。その結果術式に沿わない魔力が流されたと誤認されることで魔術が発動できないのです。……理解はできても到底信じられませんよ」
その言葉に、周囲の騎士たちは息を呑んだ。
バルドは前を向いたまま、淡々と告げる。
「ラグナの言葉もアリアの言葉も誇張ではない甘えではない。あれほどの存在に、生還を前提とした戦法を取れるだけで称賛に値する。討伐や捕縛など、最初から選択肢にない」
その瞬間だった。
静寂を割るように――
「――ははっ!」
バルドが、声を出して笑った。
それは普段の威圧や重圧のある笑いではない。
ただ、胸の底から自然に漏れた、素の笑いだった。
バルドは少しだけ目尻を緩めたまま、静かに言った。
「恐れるのは悪いことではない。だが、笑える余裕を忘れたら――我々は騎士ではなくなる。“勝てない”と認めた上で、なお剣を携え民の前に立つ。それが第一師団だ」
その言葉に、騎士たちの背筋が自然と伸びた。
「――もう一つ報告したいことがあります」
アリアが小さく手綱を絞る。
「セレナ殿のことですが、彼女の魔力はごく自然に抑え込まれていました。無意識、あるいは特異体質の可能性があります。私が意識的に魔力を探らないと認識できないほどの隠蔽です。魔力量もかなりのものだと思われます。魔術学院が喉から手が出るほどの逸材ですよ。ただ――」
「ロイドと親しい関係にあるのが問題ということだな。そのことを含めて王に伝えようと」
騎士たちの間に小さな期待と不安が混じる。
そんな空気をよんだのか、はたまた素直さによるものなのかバルドが口を開く。
「親しい仲といえば、ラグナとアリアはいつから恋仲に?式を挙げる予定はあるのか?」
「え!?!?」「き、きき急に何を!?!!?」
アリアが全力で馬上で立ち上がりかけ、慌てて鞍にしがみつく。
「王に対して記録を嘘偽りなく、明瞭に記すべきだろう。であれば、必要な事実確認ではないか」
「う、嘘偽りは……ありませんが……っ!」
顔を真っ赤にして俯くアリア。それを見て、また騎士たちの間に笑いが広がる。
バルドは、また――声を立てて笑った。
アリアは両手で顔を覆い、ラグナは嬉しそうでもあり死にそうでもある複雑な表情を浮かべた。
夕陽の中、第一師団の笑い声が街道にこだました。
その笑い声は、確かに“戦場へ向かう騎士”のそれではなく“未来を迎えに行く人間”のものだった。
しかしこの旅路の終着に待つ影を、まだ誰も知らない。




