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矛盾する視察

 いつもの森とは違った雰囲気だった。鳥の声も、風の通りも、どこか張り詰めている。


「ここです……こ、この辺りで、その……」


 ダリオは額に汗を滲ませながら、震える指で森の奥を示した。バルドは小さく頷き、第一師団の精鋭三十名に手を上げる。


「周囲警戒。痕跡を見逃すな」


 ラグナと呼ばれた若い槍騎士が前に進み、鬱蒼とした木々を押し分けながら声を上げた。


「師団長……こちらです!」


 その場に近づくと、周囲の空気がぴたりと止まった。


 ――巨大な熊の魔獣の死骸があった。


 すでに血は黒く固まり始めているが、腐敗は進んでいない。何より、その死に様が常識から逸脱していた。


「……これは」


 バルドの声は低く落ちる。


 クマの首は、まるで職人が仕上げたかのような滑らかな断面で切断されていた。骨も肉も、一点の乱れもなく一直線に。


 ラグナが膝をつき、断面に指を滑らせる。すぐに顔を引き締め、報告する。


「師団長。普通の剣による斬撃とは思えないです。骨も肉も、同じ角度、同じ深さです。反動も、外傷痕もない……刃を押し当てただけで“肉が逃げた”みたいな……そんな切断です」


 周囲の騎士たちがざわめく。


「押し当てただけ……そんなことが可能なのか?」


「いや、ありえん。どれほどの膂力があれば……」


 そこへ、後方から静かな足音が響いた。


「魔力の残滓はありません。魔術による切断ではないですね」


 そう告げたのは、真紅のローブを羽織る宮廷魔術師アリア・フェルニス。腰まで伸びた銀の髪が揺れる。表情は穏やかだが、その瞳は研ぎ澄まされた刃のように冷静だった。


「魔獣は魔力の抵抗値が高いため、魔術の効果は薄い。ですから使わなかった、と言うのであれば理解はできますが……」


 バルドがダリオに問う。


「これを、君がやったのか?」


 その問いは、責め立てるものではなく、ただ事実を問うだけの声だった。


 ダリオの肩が震えた。唇が乾き、声にならない息を漏らす。


「お、俺は……おれは、その……」


 アリアがダリオを見据える。


「あなたは初級火系の魔術が使えますね?魔力の漏れから性質を見抜くことは容易いです。なぜ痕跡が一切ないのです?」


「……っ、それは……!」


 ラグナが追い打ちをかけるように断面を示す。


「魔獣だから魔術に耐性がある。だが……問題は“どうやって死んだか”ですよ。ダリオ殿。この切り口を生み出す武器を、技術を、あなたは持っているのですか?」


 ダリオは息を呑み――そして、視線を逸らした。


「……ロイド、という名の男がいるのではないか?」


 バルドの問いに、森の空気がさらに冷えた。


 ダリオはその名を聞いた瞬間、明らかに呼吸を乱す。視線が泳ぎ、何かを言おうとして――唇を噛んだ。


 バルドはその様子を見て、目を細める。


 やはり、いるのか。


 だが、ダリオは首を振る。


「……知らない……そんなやつ、俺は知らない」


 森に沈黙が満ちる。


 ラグナが口を開きかけた瞬間、バルドが手で制した。


「――よい。詮索は後だ」


 その声は、冷静でありながらどこか優しかった。


「まずは正当な褒賞を与える。民を守った功績は事実だ。立場は王が保障する」


 ダリオの目が揺れる。“助け舟”だと気づく。


 バルドは馬に戻り、静かに命じた。


「村に戻る。ロイドという人物について、住人から聞き取りを行う」


 一行は村へと続く道を進み出した。

 まだ見ぬ“異質”に向けて、一歩ずつ。


---


  村の中央に入ると、空気はすでにざわめきで満ちていた。

 村の男たちは鍬を肩に、女たちは洗濯桶を抱え、だがその動きは落ち着きがない。王都の紋章を掲げた第一師団の姿が、彼らの日常に小さな波紋を投げているのだ。


「では、私とラグナ、アリアで村人に聞き取りを行う。無用な威圧は慎め」


「了解しました、師団長」


 三人が歩き出すと、ほどなくして井戸端に集まる若い娘たちの声が耳に入った。


「え?ロイドさんのこと聞きたいの?」


 ひとりの娘が目を丸くし、隣の娘と顔を見合わせる。

 彼女たちは以前、鹿を担いで帰ってきたロイドを見て黄色い声をあげていた面々だ。


「か、かっこいい人よ!無口だけど優しいし、子どもにも人気だし!」

「そうそう、野菜は切れないけどね!包丁の持ち方がなんかこう……違うのよ!」


「野菜が切れない?」とラグナが怪訝な顔をする。


 娘たちはこくこくと頷いた。


「うん!この前なんて、キャベツを真っ二つに割っただけで、切るってことができなくて……」

「でも、火の起こし方はすっごく上手なのよ!あと、薪割りは村で一番早いし!」


「野菜は切れぬが薪は割れる、か……」とラグナが呟くと、アリアがふっと笑みを漏らした。


「あら、じゃ魔術師ではなさそうですね。火は魔術で起こせますし」


「えーどうなんでしょう。魔術とか使ってるところは見たことないですね〜……実は……あんまり近寄れないんですよ!セレナさんのお気に入りなので!」


「セレナとは……?」


 バルドが静かに問いかけると、娘たちは一斉に頬を染めた。


「村でもすごい美人!ロイドさんとよく一緒にいるの!」

「もうね、セレナさんが唾つけてるようなもんよね!」

「ちょ、ちょっと!そういう言い方は――でもまあ、そう!」


 娘たちのはしゃぎ声の奥に、わずかな妬き火が燃えている。


 アリアがバルドの横に並び、小声で囁いた。


「師団長。セレナという女性が、この村でロイドという男と親しくしているようです」


「そのようだな。まずはその者に話を聞くとしよう」


 娘たちにセレナの家の場所を尋ねると、みな我先にと指をさした。


「あっちの道を抜けて、白い花が植えてある家よ!」

「セレナさん、今は雑貨屋の準備をしてるはずだから、きっと家にいます!」


「助かった。感謝する」


 バルドが礼を言うと、娘たちは一斉に背筋を伸ばし、顔を赤らめる。


「きゃっ……!」

「かっこいい……!」


……第一師団の鎧は、村娘の心をも断つか。


 ラグナが内心でため息をつき、それを尻目にため息をついてるアリアをよそにバルドは静かに歩き出した。

 その背中には、村の人々の期待と不安、そして見えない“存在”への警戒が、重くのしかかっていた。

 

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