小さき偽りの英雄
朝霧がまだ村の屋根を包む頃、ロイドは村長宅の前に立っていた。
扉の前に立つと、内側から低い声が聞こえた。
「入ってくれ。待っていた」
扉を開けると、奥の広間にはすでにダリオが座っていた。
背筋は無理に伸ばされているが、指先は膝の上で小さく震えている。
目がロイドに向いた瞬間、ダリオは小さく肩を揺らした。
村長はその様子をちらと見た後、穏やかな声を出した。
「席につきなさい。朝早くから呼び出してすまんな」
ロイドは無言で椅子に腰を下ろす。
村長は深く息を吸い、二人に向き直った。
「魔獣の件は、もう村人の間で大きな話題になっている。昨日のうちに王都へ正式な報告を送った」
ロイドが眉を動かす。
「王都に報告するのか?魔獣が1匹出ただけだろう?」
ロイドのその言葉に村長もダリオも「何を言ってるんだ?」という顔をする。
「魔獣がそう何匹も発見されたらたまったもんじゃない。野菜を洗わずにそのまま食べたやら、シカを2匹も持ち上げてくるやら、どうなってるんだ常識は」
ロイドの一端を知るダリオは、村長の発言にビクビクしながらも続けた。
「ま、魔獣の皮膚や毛皮は鉄並の強度がありながらそれよりはるかに軽い、だから重宝されるんだ。あ、あんたも戦場で身につけてたんじゃないか?」
「……そこまで活用されるものとは知らなかった。いい情報だ」
ダリオは胸を撫で下ろす。
「しかし、この小さな村で起きたことだ。来るにしても鑑定士数人と運ぶための兵士が数人くらいだろう」
村長は視線をロイドへと向けた。
「そこで2人を呼んだ理由についてだが、2人には討伐者として現場に付き合ってもらわねばならん」
ダリオがロイドを見る。
その目には、恐怖が混じっていた。
ロイドは静かに息を吸い、淡々と答える。
「俺は囮になっていただけだ。ましてや戦場から離脱し休息をとるため一線を退いている。そんな有様を同僚兵士に見られるのは気が引ける。ここは英雄ダリオに一任するのはどうだろう」
ロイド自身、自分の口からすらすらと無い話を作り上げれてる事実に驚いていた。
レクトの影響か……。
一方ダリオは驚愕と恐怖の入り混じった顔でロイドを見ている。
「う、うーむ。確かに配慮が足りていなかったな。すまない。この件はダリオに任せよう。頼まれてくれるか」
「わ、わかった……」
そんなダリオを尻目にロイドは思考を巡らせる。
村長の話す内容的に、王都には慰安の兵士と村の1人が魔獣を討伐した、こう言った内容だろう。来るのがただの鑑定士と兵士であれば誤魔化しは効くかもしれないが、危険な橋を渡る必要はない。
村長の話を終えると、ダリオとロイドは家を出た。
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「なぁ、待てよ!ロイド!」
ダリオは納得のいってない顔のままロイドを呼び止める。
「兵士として見せる顔がないって言ってただろ。それならお前が魔獣を倒したことを正直に兵士に話せばいいじゃないか。それで信頼も回復!全部解決するんだろ!!」
ダリオの中でおそらくロイドはまだ"兵士"という認識なのだろう。であれば、こちらから情報を話す必要はない。
「そういうわけにはいかない。俺に関する余計なことを話す必要はない。お前は聞かれたことにだけ答え、そして報酬を受け取る。それだけだ」
「……そ、そんなこと言ったって、兵士が来るんだぞ!?下手なことになれば、俺が疑われるじゃねぇか!」
ダリオの声は震えていた。叫びというより、縋るような掠れ声だった。
ロイドは振り返ることなく答える。
「大丈夫だ。お前は英雄だ。疑われる理由はない」
「っ……その“英雄”ってやつをやめたいんだよ……!」
声が裏返る。
その目は血走り、恐怖で顔が青ざめていた。
ロイドの言葉は一見優しげだが、それが逃げ道を潰す鎖であることを、ダリオは知っていた。
「なぁ、ロイド……!お前がやったって言えば、全部終わるんだ!俺だって、妹だって……」
ロイドが足を止めた。
ただそれだけで、空気が凍る。
「妹のためを思うなら、黙っていろ」
振り返ったロイドの瞳には、一片の揺らぎもなかった。
怒気も、苛立ちもない。ただの事実を告げるだけの瞳。
「もう選択肢は提示した。お前は黙っていれば守られる。逆らえば、失うだけだ」
ダリオの喉が鳴る。声にならない悲鳴。
膝が震え、地面に崩れ落ちそうになるのを必死に堪える。
「わ……わかった……」
その言葉は服従の宣言だった。
そこには希望も安堵もない。ただ生き延びるための本能的な言葉。
ロイドは再び歩き出す。
背後から聞こえるダリオの足音は、一歩遅れ、二歩遅れ――やがて完全に止まった。
それでもダリオは動けなかった。
立ち尽くしたまま、震える手で自分の喉元を押さえていた。
――そこが、掴まれている気がした。




