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偽りの英雄

今回はやや長めですが楽しんでください

 夜風が通りを撫でていた。

 家々の灯がぽつぽつと灯り、遠くでは犬が吠える。

 ロイドは小屋の前で刃の手入れをしていた。磨かれたナイフが月光を反射し、薄い光の筋を描く。


 ──コン。


 戸を軽く叩く音。

 人の癖、呼吸の間、立ち位置。

 すぐに誰かはわかった。


「……ダリオだ」


 扉を開けると、ランタンを片手にしたダリオが立っていた。

 その光が顔の半分を照らしている。

 笑みはあったが、目が笑っていなかった。


「こんな時間に悪ぃな。寝てたか?」


「起きていた」


「そうか。ならちょうどいい。狩りに行かねぇか?」


「夜にか?」


「そんなにビビるなよ。戦場帰りだと随分と臆病になるんだな」


 軽い口調の中に、薄い棘があった。

 ロイドは黙ってダリオの顔を見た。

 ダリオは笑いながら、言葉を重ねる。


「ほら、経験者の腕ってやつ、見てみてぇだろ?俺らだけじゃ心許ねぇしさ」


「人数は?」


「三人。お前入れて四人だ。今、外で待ってる」


 ロイドは短く考えた。

 “狩り”――表向きは村の生活行為。拒否する理由はない。

 任務上の不自然な動きにもならない。


「……2分だ」


「さすが几帳面だな、戦場帰りは」


 ダリオが鼻で笑い、ロイドは無言でランタンを手に取った。


---


 森の中。

 月が木々の合間を縫って、白い光を落とす。

 湿った土と夜露の匂い。

 足音は四つ。ダリオ、仲間二人、そしてロイド。


「おい、“あの娘”のこと、村じゃ話題だぞ」

 

 ひとりが言った。

 

「誰だ」

 

「セレナだよ。あんた、ずいぶん懐かれてるじゃねぇか」


 もう一人が笑う。

 

「昼間なんか、女たちが力強くて男らしい〜って騒いでたぞ。モテる男はちがうなー?」


 ロイドは歩調を変えず、前方を見たまま言う。


「そうか」


「……それだけかよ」


「返答にそれ以上の必要があるか?」


 会話が途切れる。

 ロイドの声に棘はなかった。だが、どこか“冷たい”。それが、彼らには気に食わなかった。

 重い雰囲気のまま一行進んでいった。


---

 

 ロイドはわざと息を荒げていた。額に手を当て、少し前かがみになる。足音も重く、歩幅を半分に落とす。


「どうした戦場帰り? この程度で息切れか?」

 

 ダリオが振り返り、にやついた。

 取り巻きの一人が笑う。

 

「こりゃ獣どころか、野ウサギにすら逃げられるな!」

「セレナちゃん、見る目ねぇなぁ。鹿持ち上げたのもなんかのイカサマだろ」


 ロイドは無言のまま、荒い呼吸を続けた。肺の動きを演じるように、深く、浅く、乱す。

 ただの演技。だが完璧だった。


「ほら、情けねぇ顔してる。戦場でもこんなだったんじゃねぇのか?」

 

 ダリオの声に嘲りが混じる。その奥にあるのは、優越。自分が上だと証明したい子供のような欲求。


 だがその笑い声は止まる。


 森の空気が変わる。

 

 風が途切れ、夜の音がすべて消える。

 虫の声も、木の軋みも、呼吸の音すら吸い込まれたように。


「……なあ、静かすぎねぇか?」

「おい、やめろよ、そういうの」


 ロイドだけが、変わらず息を切らす呼吸を続けていた。

 視線は落としたまま。

 

 土の匂いが変わる。

 重い息。

 前方の闇の奥――黒い塊が、ぬるりと動いた。


「……っな、なんだあれ」


 月光を裂いて現れたのは、巨大な熊。

 体毛の間に黒い筋が浮き、目が赤く光る。異様に発達した爪と牙。その隙間から垂れる唾液は土を溶かす。


 魔獣化していた。


 取り巻きの一人が、悲鳴を上げた。

 

「う、うわぁぁっ!!」

 

 その声で魔獣の視線が動く。

 取り巻きは弓を放り出して走った。もう一人も、腰を抜かしたまま這うように逃げる。


「……っ!」


 ダリオは動けなかった。

 足が震える。

 視界が狭まる。

 耳の奥で、過去の声が蘇る。


 「逃げろ、ダリオ!」両親の叫び。血の匂い。

 あの時の熊も、こうだった。


 そして今、その熊が、魔獣熊が――ロイドに向かって歩き出す。


 ロイドは、まだ弱者のように息を荒げていた。

 視線を落とし、背を丸め、まるで気付いていない。

 その様子にダリオは歯を食いしばった。


「おいっ、逃げるぞ!!ロイド!!」


 魔獣熊が咆哮を上げ、ロイドに向かって巨腕を振り下ろす。


 その瞬間――

 

 ロイドの世界は弱者から本来あるべき姿に反転した。

 その視線は獣の動脈を捉える。腰に携えたナイフを抜き、刃を相手の首筋に沿わせるように入れていく。

 魔獣熊が巨腕を振り下ろす体重を利用し刃を流すように滑らせた。抵抗はなく、音も立たない。筋が裂け、血が噴くより早く、巨体は自らの重みで崩れた。

 

 頭部が胴体から離れた──断面は驚くほど整っている。技術の産物によるものだ。何年も続けた反復運動を行った結果にすぎない。

 

 足下に血が広がり、森の静寂が重くなった。

 ロイドは刃を拭うことなく、ただ短く息を吐いた。


「……反射だ」


 村に来てから初めて生きているものを意図して殺した。ロイドはそれが組織から下された任務に抵触するか、一瞬だけ考えた。

 殺してはいけない。バレてはいけない。普通の生活を送る。


 全てに抵触する可能性がある。


 これは報告義務が発生する事案か……。

 ロイドは刃を払うこともせず、ただ立っていた。

 その沈黙が、ダリオには恐怖よりも深い“理解不能”として響いた。


「な……何なんだよ……お前……」

 

 震える声。

 ダリオは後ずさり、地面に足を取られて転んだ。

 ロイドは視線だけを向ける。冷たく、無音のまま。


「これは――お前がやった」


「……は、はあ!?俺が!?ふざけんな、誰が信じるかそんな――」


 ロイドの靴が血を踏む音がした。

 一歩、近づくだけで夜の空気が凍る。

 月明かりが刃の断面を照らした。


「……妹がいるそうだな」


 その言葉で、ダリオの喉が音を立てて詰まった。

 ロイドの声は淡々としていた。感情が削ぎ落とされ、ただ事実だけが並ぶ。


「今回の件が露見されば働き口はなくなるだろう。国から正式に慰安するためにこの村に来た兵士を魔獣が出る森におびき寄せた。事実がどうであれ俺がこのように報告した場合どうなるかわかるな?」

 

 ロイドは続ける。


「お前はまず間違いなく国から取り押さえられるだろうな。両親は魔獣被害により死亡。残ったのは妹のみ。その妹はどうなるだろう」


 沈黙。

 ダリオの肩が、静かに震え始めた。


「余計な詮索は不要だ。お前は村を救った“英雄”。妹から向けられる眼差しも、村人から向けられる眼差しも変わるだらう。それでいい。俺はこのまま普通の生活を送る。お互いに不利益はないはずだ」


「……わ、わかった……」


 ロイドはそれだけ言うと、視線を落とした。

 

 地面に転がる魔獣の牙を拾い上げると形を確かめるように指先で転がした。


 数秒の沈黙。

 次の瞬間、ロイドは左腕を差し出し、その牙をためらいなく突き立てた。

 肉を裂く音。温かい血が流れる。


「……っ!」


 ダリオが息を呑む。

 だがロイドの表情はまったく変わらない。

 ただ手際よく傷口を指で押さえ、出血量を確認する。


 深さは十分。痛覚は許容範囲内だ。


 心の中で淡々と確認しながら、血に濡れた手を地面の泥へ擦りつけた。

 それを自分の服の裾へ塗り、返り血のように散らし汚す。


 そして最後に、切り口に土を押し当てて止血を始めた。


「……偽装完了。火で毛皮を焦がせば完璧だが、魔獣化した個体にそれは不要だ。これで十分、整合は取れる」


「な、なにやってんだお前……!」


 ダリオは震え声で呟いた。

 ロイドはその言葉に何の反応も示さず、血のついたナイフをゆっくりと鞘に戻した。


「帰るぞ」


---


 夜の村。

 駆け出した取り巻きの二人が「魔獣が出た!ロイドとダリオがまだ森にいる!」と叫び、村中は混乱に包まれていた。

 松明が灯り、男たちが集まって走り出す。


「森だ!」「武器を持て!」「誰かレクトを呼べ!」


 その喧噪の中、二つの影が現れる。

 血に濡れたロイドと、そのロイドに肩を貸すダリオ。


 村人たちの声が一斉に上がる。


「ロイド!」「ダリオ!無事だったのか!」


 ロイドは無表情のまま、淡々と口を開いた。


「……魔獣は倒した。ダリオが仕留めた」


「な、なんだって……!?本当か!」


 歓声があがる。

 ロイドの服には血が滲み、左腕には応急的に包帯が巻かれていた。

 その痛々しさが、言葉に確かな信憑性を与えていた。


「ロイドさん……!」

 

 駆け寄ったセレナが声を震わせた。

 彼女の視線はロイドの傷に釘付けになる。

 だがロイドはただ静かに言う。


「問題ない」


 その横で、ダリオは声を詰まらせながらも胸を張った。


「ああ……俺が……倒したんだ。ロイドが囮になってくれた……それで、なんとか……」


 その顔は勝者の、英雄になる男の顔ではない。だが村人たちは歓声を上げる。

 

 「やったぞ!」「村を救った!」

 

 ダリオの肩を叩く手が何本も伸びる。


 その熱気を避けるようにロイドは一歩引く。

 視線の先――血のついた自分の手。

 痛みはもう引いている。

 ただ、わずかに残った鉄の匂いだけが現実を教えていた。


「……支障なし」


 小さく呟く声は、歓声に紛れて届かなかった――ひとりを除いて。

 ロイドは空を見上げ、夜風の冷たさを確かめた。

 冷たい風が、腕の血を乾かしていく。

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