表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/39

暖かさと冷酷さ

 夜は、静かな音で満ちていた。

 遠くの犬が二度だけ吠え、風が草を撫でる。小屋の壁がきしむたび、ロイドは無意識に呼吸の深さを整えた。

 卓上には水差しと、畳んだ布。それから、ここに来て長らく使っていないナイフ。


 ──コン、コン。


 控えめなノック。音の高さと間で、相手の体格と癖は概ね割り出せる。

 扉を開ける前に、足元の影を一瞥した。


「ロイド、起きてるか」


 レクトだった。片手に鍋、もう片方に布包み。湯気の匂いが夜気に混じる。


「悪いな、遅くに。メリーが“冷めないうちに持ってけ”ってさ。シチューと、パンだ」


「助かる」


 受け取ると、器の温度が掌に移った。熱い。けれど、嫌ではない。


「入っていいか?」


 ロイドは短く頷き、簡素な椅子を指した。レクトは腰を下ろさず、立ったまま帽子のつばをいじる。


「……昼間の件だ。ダリオの。村長にこっぴどく叱られたらしい。噂は早いからな」


「そうか」


「“戦場帰りに手ぇ上げやがって”って年寄り連中にまで言われて、あいつもしおらしくしてた。……両親は魔獣騒動があった時に運悪く死んでしまってな。残った妹1人があいつの家族なんだ。素行がどうあれ、働き口を失うわけにはいかないからな」


 妹──。

 ロイドは器を卓に置き、情報を整然と並べる。


 ダリオ。若く、魔術の痕がある。家族は妹ひとり。両親は死亡。……使える情報だ。

 レクトは、ロイドの表情が動かないことに気づいたのか、少しだけ苦笑した。


「怒ってねえのか?」

「必要ない」

「……必要、ね」

「挑発に反応しても、結果は悪化する。だから反応しない」


 淡々とした言い方に、レクトは肩の力を抜いた。安堵か、諦めか、判断はつかない。


「お前さんは、ほんと真っすぐだな。真っすぐすぎて、たまに心配になるよ」


 ロイドは鍋の蓋をわずかに開け、湯気を逃がした。香りが広がる。野菜と肉、そして僅かなハーブ。

 “温かい”という感覚が、また掌に戻ってくる。


「妹がいる、と言ったな」


「ああ。まだ小せえ。ダリオも、ああ見えて、そこだけは頼りにされてる。……だから、今日のことは、ほんと、すまんな。俺が謝る筋じゃないが、気になっちまって」

 

「謝罪は不要だ」


 レクトは頷き、壁に掛けた空釘を眺めた。何かを思い出すように、視線が少し遠くへ行く。


「そういや狩りの時、25歳くらいだって話してたよな」

「正確にはわからないが多分そうだ」

 

 レクトは小さく息を吸い、ためらいがちに言葉を継いだ。


「俺にも息子がいたんだ。王都へ出て“でっかく稼ぐ”なんて粋がって、帰らなかった。音沙汰もない。生きてりゃお前さんくらいの歳だった。生きてりゃ、な。無事なのかどうなのかも全くわからない……王都にも行ったさ。ただの骨折り損だったよ」


 沈黙。


「似てねえよ。顔も背丈も。なのに、妙に気になっちまう。気にかけてしまうんだ。はぁ……すまん、変なこと言った」

「理解できる」

「ほんとか?」

「人は、近い輪郭に別の誰かを重ねる。合理的ではないが、たぶん普通だ」


 レクトは小さく笑った。

 笑いながら、視線だけが真面目だった。


「ダリオの件、“このまま放っとくと拗れる”って。今夜はなるべく静かに過ごせってお達しだ。……だから様子見に来た、ってのが本音だ。お前さんのあの怪力を村長も見てたんだろ。何か問題起こさないか気にしてるのかもしれないな」

「問題はない」

「だろうな。お前さん、殴られてもあまり困ってなさそうだし」


 ロイドは少し考えてから、事実だけを置いた。


「痛覚は、人より鈍いらしい」

「“らしい”ってなんだよ」


 レクトが思わず吹き出し、すぐに咳払いでごまかした。


「……その調子なら、安心だ。あ、シチューは早めに食えよ。メリーのだし。冷めると、あいつ、俺より怒る」

「承知した」

「お前さんに負担かけたいわけじゃないが、村ってのは、誰か一人の事情で風向きが変わる。そういうところだ」


 レクトは立ち上がり、戸口へ身体を向ける。

 ふと、思い直したように振り向いた。


「なあ」

「何だ」

「怒るのが下手でも、困ったら“助けてくれ”って言っていいからな。言いにくけりゃ、うちの畑の柵折っとけ。すぐ気づく」


 柵を壊すのにはそんな意味があったのか。


「……わかった」


 レクトは満足そうに頷いた。


「いい返事だ。じゃあ、また」


 扉が閉まり、夜が戻る。足音が土を踏む間隔で、レクトの気分の落ち着きが読める。平常。問題なし。


 ロイドは鍋を卓の中央に置き、パンを半分ちぎった。

 スプーンで掬い、口に運ぶ。温度と塩気。噛むたび、香りが増える。


 妹の情報が入ったのは大きい。抑止の材料になる。ただし使用は気をつけるべきだろう。村内の“温度”を損なう行為は、任務の継続性を損ねるのにつながる。

 

 窓の外で、風が草を二度撫でた。


 パンをもう一口齧り、鍋の底をさらう。

 器が空になると、途端に室内の音の層が薄くなる。火の気のない夜は、軽い。


 少しだけ、呼吸が深くなっていることに気づいた。

 食事が“温かい”という事実は、演技の精度を上げる材料になる。会話の速度、視線の置き方、言い直しにかかる時間。今日の誤差は、明日には薄められる。

 ロイドは灯を落とし、闇に目を馴らす癖を一拍だけ短くした。

 棚の奥のナイフには触れない。水差しの位置を少しだけずらす。


「……継続」


 声は小さく、報告のように。

 “普通の生活を送る”という任務。

 ただ、それだけを今夜も続ける。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ