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もしも願いが二つ叶うなら…  作者: KANATA
第六章 季節の色
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雨空から落ちる雫

 梅雨に入り、雨の日ばかりが続いていた。


「今日も雨か……」


 チカは美容室の店内から、ガラス越しに外を眺めてぽつりと呟いた。

 その声を近くで聞いていたミサキも、曇った空に目をやる。


「明日はデート?」

「うん! お台場に行く!」

「誰と?」


 わざとらしい口調で聞いてきたミサキは、今にも吹き出しそうな顔をしている。


「ケン君に決まってるでしょ!」

「てか、まだ“君”付け?」


 途端にミサキが目を丸くし、当惑したような表情を浮かべる。

 付き合って3か月――

 まだ「ケン君」と呼び続けている自分が、少し子供っぽく思える時もある。

 “ケン”と名前だけで呼ぶのは、どこか気恥ずかしい。

 けれど、いつかは呼んでみたい。

 そんな思いが心の奥で芽生えながらも、胸の内でくすぶっていた。

 今さら変えるなんて……

 そう考えた瞬間、頬がほんのりと熱を帯びた。

 

 そして翌日――

 梅雨の合間、奇跡のように広がった青空。

 朝から空気は澄みわたり、陽ざしが心地よく肌を撫でる。

 当初の予定では電車で向かうはずだった。

 けれど、あまりにも気持ちの良い天気と、「バイクに乗ってみたい」というチカの小さな願望を、ケンがさりげなく叶えてくれた。

 バイクに乗るのは、これが人生で初めて。

 ワクワクよりも先に、足元から不安がじわりとこみ上げてくる。


「電車にする?」


 ケンが優しく問いかける。

 その目に宿るのは、いつものようにあたたかな光。

 チカは勢いよく首を横に振った。

 そのあと、少し間を置いてから何度も縦に頷く。


「大丈夫?」


 そう重ねて聞かれた時も、チカは迷いなく首を縦に振り続けた。

 するとケンの顔が、すっと近づいてくる。

 彼の顔が目の前で止まり、おでこにそっと温もりを落としたあと、ヘルメットがやさしく被せられた。


「これで、大丈夫」


 魔法をかけられたチカは、ふわりと笑って頷き、バイクの後ろに跨った。


「俺の体に手を回して、ぎゅっと掴んでれば、心配ない」


 言われた通りにケンの背中へしがみつく。

 ドキドキと心臓が跳ねながらも、不思議と恐怖は薄らいでいった。


「じゃあ、出発するよ?」


 その声に合わせて、チカはさらにぎゅっとケンに抱きついた。

 ケンはバックミラー越しに、静かに微笑んだ。

 しばらく走るうちに、バイクのスピードにも慣れてくる。

 風が心地いい。

 陽ざしはあたたかい。

 そして何よりも――背中が、優しい。

 赤信号で止まるたびに、ケンは振り返ってこう聞いてくれた。


「大丈夫?」


 そのたびに、チカは小さく頷く。

 もう怖くなんてない。

 あなたと一緒なら、何も怖くない――。


「気持ちいいね!」


 チカの声は、走る風にかき消された。


「んっ?」


 ケンが振り返って聞き返す。


「気持ちいいね!!」


 今度は風に負けじと叫んだ。

 ケンは何度か頷いてから、そっと微笑む。

 その優しさに、チカの胸はじんわりと熱を帯びていった。

 そうしているうちに、バイクはお台場へと到着する。

 ウィンドウショッピングを楽しんだあと、二人はカフェに入った。

 しばらくして店を出ると、空はすでに朱から藍へと変わりはじめている。

 海辺を並んで歩くうちに、あたりはだんだんと薄暗くなっていった。

 やがて空が夜の顔を見せはじめた頃、チカはそっとケンの手を握った。


「最後に、観覧車に乗ろう?」


 彼女の言葉に、ケンは微笑んで頷く。

 二人は手を繋いだまま観覧車へ向かった。

 ゴンドラに乗り込むと、静かに扉が閉まる。

 ゆっくりと上昇するそれは、まるで宙に浮かぶ時間の箱だった。

 夜景が徐々に広がり、二人だけの小さな空間を優しく彩っていく。

 東京タワーの時とはまた違った美しさ。

 けれど、それ以上に輝いて見えたのは、向かいに座るケンの表情だった。

 観覧車が頂上に差し掛かる頃――

 彼の目は、少年のように無邪気な光を湛えていた。

 その輝きに見惚れたチカは、ふと勇気を出して声をかける。


「――ケン」

「どうした?」


 恥ずかしさを紛らわすように、チカは対面していた席からケンの隣へと移る。

 横に並びながら、そっと尋ねた。


「今、何を考えてるの?」


 その言葉に返すように、チカの額にそっと温かな唇が触れる。

 ふわりと、優しい感触が残る。

 チカは照れくささを紛らわせるように夜景へ視線を向け、そっとケンの肩に寄りかかった。

 胸の奥で、ゆっくりと願う。

 ――時間が止まればいい。

 この幸せな時間が、永遠に続きますように――。

 

 帰り道、空模様は急変した。

 突然降り出した雨に打たれ、二人が家に辿り着く頃にはびしょ濡れになっていた。

 玄関でケンは濡れたシャツを脱ぎ、タオルを手に取ると、チカの頭にそっと被せた。

 撫でるように濡れた髪を拭き、頬に触れて、雨粒を指先でそっとぬぐう。


「風邪ひいちゃうよ?」


 そう言って、微笑んだチカは自分の腕をケンの腰にまわす。

 ケンも同じように、柔らかな笑みを返してチカを引き寄せた。


「これで風邪ひかない?」


 互いに照れくさそうに笑い合う。

 その笑みの中に、心からの温もりが宿っていた。

 そのとき――

 ケンがチカの耳元で、吐息にまぎれるような囁きを落とした。


「……愛してる」


 言葉が、心にまっすぐ届いた。

 嬉しかった。

 幸せだった。

 でも同時に、少し怖くなった。

 その瞬間、チカの瞳に涙が滲む。

 思わず強くケンに抱きついた。

 それに気づいたケンが、そっと優しく問いかける。


「どうした?」


 温かい胸に顔をうずめたまま、チカは小さく呟いた。


「……幸せで、少し怖くなっちゃったの」

「大丈夫。ずっと一緒だから」


 ケンは、チカの体を力強く、けれどどこまでも優しく包み込んだ。

 胸の奥で、もう一度祈る。

 ――この幸せが、永遠に続きますように。

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