6話 蜘蛛の紳士
「あら、ルブロン久しいわね」
灰さまが部屋から出てきた。
「灰殿!いやはや、100年ぶりの気配に居ても立っても居られず、押しかけてしまって申し訳ない」
「わたしはかまわないけど、ってあら、緋奈が驚いてるじゃない。あなた、その顔どうにかしなさい」
灰さまが近くに来て言う。
「おや、これは失礼」
スッと手のひらで顔を覆ったかと思うと、人間の顔に変化した。老紳士、と言う言葉がぴったりの落ち着いた柔らかい雰囲気をまとっている。
「…!」
「緋奈、紹介するわね。これはルブロン。まあ、蜘蛛の化け物と言ったところかしら」
「…いくらなんでも雑すぎますよ、灰殿。」
そう言うと、私の前に来て帽子を胸に当てて礼をする。長い手足が滑らかに動いてとても美しい。
「改めまして、吾輩はルブロン、ルブロン・アラクニドと申す。可憐なお嬢さん、お名前をお聞きしても?」
「…はっ、はい!緋奈といいます!」
慌ててお辞儀をする。
「緋奈嬢。良い名前ですな」
「でしょう?わたしが名付けたもの」
ふふん、と灰さまが少し胸を逸らして自慢する。かわいい。
「おや、貴女様にかようなセンスがあるとは驚きですな」
「うるさいわねぇ…。緋奈、少し外すわね」
灰さまとルブロンさまは客間へ入って行った。びっくりしたけど、蜘蛛のお顔ってよく見るとかっこいいなぁ。
そうだ、お茶をお出ししよう。確か美味しく入れるには、ティーポットとカップを温めて、茶葉をしっかり蒸らす事……、よしできた。
扉をコンコンッと叩いて入る。
灰さまとルブロンさまが向かい合って座っていて、ルブロンさまのお顔は蜘蛛の姿に戻っていた。
「失礼します、お茶をお淹れしました」
「あらいいのに。ありがとね」
「おお緋奈嬢、ありがたい。っと、すまないね」
口々にお礼を言われる。ルブロンさまはまた顔を戻そうと身じろぐ。
「あっいえ、お気遣い頂かなくて大丈夫ですよ。そのお姿、かっこいいです」
ルブロンさまはピタッと動きを止め、まじまじと見つめられる。すごい見られてる。私なんか言っちゃったかな。
「…あの、」
「緋奈嬢は怖くないのですか?見ての通り吾輩は人間ではありませんし」
真剣な声色で聞かれる。
「確かに初めは驚きましたけど、とっても紳士的ですから。それに灰さまとお知り合いの様ですし」
「それだけで?」
「確かに理由としては弱いかも知れませんけど、私は灰さまに救われましたから。私にとってはそれで充分です」
「そうですか…」
しばらく考え込んだ後、顔を上げて肩に手を置かれ、喜色の混じった声で言われる。
「貴女でよかった」
「ちょっと、その手をどけなさい」
灰さまが不満そうな声を出す。
「おっと、怖い怖い」
そう言って手を下ろし、カップを口へ運ぶ。
「うん、美味しい。緋奈嬢は紅茶を淹れるのが上手ですね」
「ありがとうございます…。失礼しますね」
パタンと客室から出る。ふう、紅茶気に入ってもらえて良かった。それにしてもさっきの言葉はどういう意味だったんだろう…?
◆
「本当に現れたのですね」
緋奈の淹れた紅茶を飲みつつルブロンが言う。
「…ええ」
「念願叶った割には冴えない顔をしてますな」
灰の顔は面布で隠れている。にもかかわらずルブロンにはその下の表情が読めるようだ。
「最近あの子がどこか物憂げな顔をしているのよ。環境も食事も人間に合うように整えているはずなのに。」
そうため息をこぼす灰を見て思わずルブロンは笑いをこぼす。
「ッはは、あの灰殿がまさか人間1人の顔色で悩む姿を見られようとは」
「……見ない間に言うようになったじゃない」
カップを取る手が僅かに大きくなり、鹿のような耳が不機嫌そうに震える。みし、とテーブルが軋むのを見てルブロンは早々に両手を上げた。
「失礼、言葉が過ぎましたな」
「あなた人間に混じって暮らしてるのよね、何か無いの?」
その言葉にルブロンは少し驚く。それもそのはず、灰がルブロンに助言を求めるなど長い生の中で初めてのことだ。
「…そうですな、一つ言わせて頂くとしたらもう少し緋奈嬢本人を見てあげてほしいということですかな」
「どういうことかしら…?」
「そのままの意味です。貴女はまだ緋奈嬢を『人間』という一括りで見ているようですから。吾輩が思うに、恐らく彼女はなにか役割りが欲しいのだと思いますよ」
あまり言葉の意味をつかめていなさそうな灰を見て続ける。
「今のあの子は宙ぶらりんの状態で不安なのですよ。おおかた、何も話していないのでしょう?」
「それは」
「吾輩も異形の身ですから、そのお気持ちも多少はわかるつもりです。ただもう少し、…そうですな。例えば家事など、小さな事でも頼ってみてはいかがでしょう」
ふむ…、と考え込む灰を見て、また笑みをこぼす。しかし先ほどまでとは雰囲気が一変し、部屋が一段階重く、暗くなったようだ。
「まあ、」
両手を組み、口からシューシューと糸を吐く音を響かせて言う。
「全てを話すのは、手足を絡め取ってしまってからでもいいと思いますがね」
おもむろに広げた手の間には大きな蜘蛛の巣が張っている。その言葉に灰は沈黙を返した。
◆
灰さまとルブロンさまが部屋から出てきた。
「どうもお邪魔したね」
そう言ってルブロンさまは私に名刺を渡した。何かの布でできているのだろうか、肌触りがよく光沢のある質感だ。
「吾輩はこの近くのクレオール王国で洋服店を営んでいてね。何かあったらそこに尋ねてくると良い」
「わぁ、ありがとうございます…!」
「それでは、ご機嫌よう」
「しばらく来なくて良いわよ〜」
最後に帽子をひょいと上げ、ルブロンさまは去って行った。




