2話 人ならざる者との出会い
「随分面白い気配がするわね」
そう言ってゆっくりと近づいてくる足音。跪き、地面を見つめていた私の視界に黒い着物が映ったときそのひとは言った。
「そこのあなた、顔をあげてみてちょうだい?」
柔らかな優しい声に体が震える。こんな声で呼ばれるのはいつぶりだろう。先ほどまであった緊張と恐怖がすっかり溶けてしまったようだ。おずおずと顔を上げた私の目にその声の持ち主の姿が映る。
すごく背が高い。長い灰色の髪をした、白い布を面のように垂らしたひとだ。頭の横からは鹿のような大きな耳がせり出し、根本は羽毛のようなもので覆われている。黒い布地に彼岸花が乱れ咲くような着物を着ていて、足は見えず代わりに黒いナニカが蠢いていた。明らかに人ではない姿。
しかし私が胸に抱いたのは恐怖ではなく、泣きたくなるような安心感だった。感情の変化についていけず、ただ呆然とそのひとを見ていると、顔は見えないのに目があったとわかった。そのひとは私の顔を見てはっと息を呑んだ。
「っ……….!、そう、あなた…「おお、我らが救い手が降臨なされた!!」
興奮し切った様子で村長が躍り出る。
「どうか、どうかこの雨を止ませてくだされ!」
「…….あなたがわたしを呼んだのかしら」
今気づいたとでも言うように村長達に顔を向ける。
先ほどとは打って変わり、ひどく冷たい声で発せられた声に村長は怖気付いたのか一歩下がる。
その姿を睥睨し、少し首を傾げて言う。
「この子が贄ということね?」
「え、ええ、そうです。なにぶん役立たずで見窄らしいですが、見目だけは良いので。どうぞ、お好きなように使っていただければ」
「…..そう。この傷もあなた達が?」
「少々反抗的な態度が目立つところがありまして….、し、しかし、良い反応を致しますのでお楽しみいただけるかと」
村長から次々と出てくる言葉に震え、地面に目を落とす。
「よくわかったわ。この子は貰い受けます。あなた方の願いも叶うでしょう。」
そう言うと、ふわりと私を抱き上げた。痩せているとはいえ150センチはあるであろう体を持ち上げられたことに驚き、とっさにその腕にしがみついてしまう。
「ふふ、突然抱いてしまってごめんなさい。しっかり捕まって、目は閉じていなさいな」
そう言うと彼女の足元から目玉のついた黒い影のようなものが這い出し、あっという間に私達を包んでいく。覆われる間際、最後に見えたのはさっきまでの雨が嘘だったかのように晴れわたる空と、それに歓喜する村人達だった。
◆
「もう開けていいわよ」
そう言われて恐る恐る目を開けると、そこは古びた寺跡のようだった。先ほどまでずぶ濡れだった体が乾いている。
「ようこそわたしのねぐらへ。と言ってもここへ来たのは3日前だけれど。悪いけど少し待っていてくれるかしら」
そう言って中へ私を連れて行くと、床に降ろされた。筋力も弱っている私はペタンと座り込んでしまう。彼女は棚をゴソゴソ探し始めた。
……..うう、居心地が悪い。何か言った方がいいのかな、でも声が、
そう思いながら意味もなく口をはくはくさせていると、彼女が振り返る。
「そういえば、名を名乗っていなかったわね。わたしは灰。灰と呼んでちょうだい?」
!灰さまと仰るんだ。名前を呼びたいが声が出ず慌ててしまう。みじろぐと灰さまが目の前でずっとしゃがんだ。
「あら?あなたもしかして声が出ないのかしら」
「…….っ!」
コクコクと頷く
「そう…。それは生来のものかしら」
「……」
やや躊躇いながら小さく首を横に振る。
「わかったわ。答えてくれてありがとう」
そう言ってどこか上の方に顔を向けた灰さま。部屋の隅の闇がざわっと動いた気がして不安になる。気分を害してしまっただろうか…。思わず着物の裾を小さく掴む。
「ん…、そうね。とりあえず、身体を清めてお着替えしましょうか。」
そう言うと先ほど見つけていた着物を出してきた。白い布の上に小さな紅色の花が咲いている。
きれい………。
これを着れるのだろうか。見つめていると灰さまの足元からにょーんと黒い影のようなものが伸びてきた。着物の他に水桶と石鹸らしきものを持っている。
…あれ、これ洗われて着させられるやつでは⁈
「だーいじょーぶよぉ。ぱぱっと終わるわ」
「……っ、…っ!!」
手を突き出して首を必死に振るがじわじわと近づいてくる。あ、この影よく見ると何本かに目がついている!しかも全部笑ってるし!!
わあ
あ
ぁあ
あーーーーーーー
「あら、似合うわね」
抵抗虚しく、影に囲まれあっという間に丸洗いされ着替えさせられた。何か大切なものを失った気がする…。
床に手をつき灰色になっていると、灰さまは私の姿をまじまじと見つめ
「後はその身体、治さないとね。」
そうごちると長い指を私の額に当てる。
「…?」
きょとんと白い面布を見上げると、
「大丈夫。少し寝ましょうか。目が覚めた頃にはだいぶ良くなっているはずだから」
そう言われた途端ぐわんと視界が回る。抗いがたい眠気の中、面布からちらり唇が見える。
形の良いその唇はたおやかな笑みを浮かべていた。
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