13話 固まる心と崩れる身体
「………な、」
な?とルブロンさまは面白そうに首を傾げる。
「なんだ……そんなことですか…」
思わず脱力して背もたれに寄りかかる。はぁ…緊張が解けてお腹空いちゃった。あ、お菓子発見。ポリポリ
テーブルに用意されていたクッキーをかじりだした私にルブロンさまは耐えきれなかったようで肩を揺らした。
「ふっ、ふふふふ。初めてお会いしたときから思っておりましたが、緋奈殿は中々変わっておられる。自分の身体が得体の知れないものに変化していると知ってその反応とは」
「?」
「ではその灰殿があなたを置いていった理由について話をしましょうか」
そうだ、それが一番知りたいこと。私と一緒にいた方が灰さまはもっとお強くなるはずなのに。…やっぱり私が邪魔になったのかな…。クッキーをかじる手を止めて肩を落とす私に向かってルブロンさまは言う。
「恐らく灰殿はあなたの変容を避けたかったのでしょうな。灰殿と離れればそれだけ影響も少なくなるでしょうから」
「え…?なんでそんなこと」
わけがわからない、というのが顔に出ていたのかルブロンさまは肩をすくめて言う
「さあ、そこまでは吾輩にもわかりかねますな。緋奈殿には悪いですが完全に人間でなくなった方が逃げ出す心配もないと思っていたのですが」
腕を組んで首を傾げるルブロンさまを半眼で見つめる。ちょいちょい失礼なこと言ってる気がするんだよな、このひと。
「でも、わかりました。ってことは、私が要らなくなったわけじゃないってことですよね。なら、大丈夫です」
席を立った私にルブロンさまは言う。
「もう行かれるのですか。ああ、一週間お会いしていないそうですが再会はお早めに。あの方の力はあなたと離れたことによって減少し続けているでしょうから」
「…はい」
首に下がるペンダントをそっと握る。ずっと流れ込んでいた灰さまの力は私の中で揺蕩っている。その暖かな揺らめきに意識を向ける。ふわりと髪が波打つ。周りの音が消え力がざわめき始める。同時に目が紅く輝き始めた。
…灰さま。あなたの側にいることが私の全てなんです。形が変わっても、人でなくなっても、変わらず私は貴女のそばに
足元から渦巻く紅い闇に飲み込まれるなか、思い浮かぶのは美しいあのひとだけだった。
◆
なぜあの子を遠ざけたのか、わたしにもわからない。
初めてみたあの子はぼろぼろで薄汚れていて、そこらの人間と大差なかった。目が赤く、ようやく待ち望んでいたのが現れたとわかった。あの子でなくてもよかったのだ。人間を知りたいだけだったから。ただ、生贄として差し出され、他の人間に傷を付けられているのを見たとき胸がざわついた。ソレハワタシノナノニ
洗って傷を治すと随分と見違えた。声を戻すと鈴の音のようだと思った。澄んだ瞳で真っ直ぐ見つめてくるのが新鮮だった。人間は地面を見つめる習性があるんじゃなかったのね。名前が無いというので名付けてみた。そんなに喜ぶことかしら。でもその顔は悪くない。
なんとなくで飛んだ先はあの王国の近くだった。これも因果かと家を作ることにした。あのトカゲ、前に続いて二度もわたしを煩わせるなんて。どうにかならないかしら。あの子がいるからか昔の力が蘇りつつある。泣きそうなあの子を見ると体の奥が静かに軋んだ。わたしの手を取るなんて恐れ知らずね。頰が緩むのはなんでかしら。
出来た家での生活はおおむね順調だった。あの蜘蛛がわたしに助言なんて。あの子の視界に入らないでほしかった。妙なこと吹き込まれたら困るから。…あの蜘蛛が最後に言った言葉。あの子の笑顔が思い浮かんで返事ができなかった。
視線を感じる。人間か。…あの国の者どもだったから殺さなかった。今度は騎士か、面倒臭い。あの子が怯えてるじゃない。殺すか。あら?あの子が行ってみたいと言ったわ。願いを言うようになったのは良いことだ。二度と行くつもりの無かった国だけれど。…わたしに隠れる姿が可愛かったからでは、断じて、ない
国王から面倒な依頼を持ちかけられた。まだわたしを忘れ去ってないなんて。呆れた妄信ね。でも丁度良かった。あの子と離れられたから。これ以上わたしのそばに居ると人間の形から逸脱してしまう。初めはそのつもりだった。嫌がったら手折って閉じ込めて仕舞えば良い。部屋も用意してあった。でもいつからかしら。あの輝きを曇らせたくないと思ったのは。わたしが消えても良いと思ったのは。
だから___
ふう、と息を吐く。既に本来の姿に戻っていた。大きく迫り出した角、腕には艶やかな鱗、足元では闇が蠢いて目玉がギョロギョロと動いている。日が暮れ夜の闇の中、月の光が惨状を浮かび上がらせていた。
「まあ、だからと言って人間風情に負けるわけはないのだけれど」
吐き出した言葉にはありありと嘲笑が込められている。周りに倒れ伏している人間が十余人。一様に手足を折られてうめき声を上げていた。
「五月蝿いわねぇ」
鋭く尖らせた触手で頭蓋骨を砕いていく。
「が……ぁ」
「う゛……っ」
残ったのはリーダー格と思わしき男。腕を折られ木に括り付けられている。
「さてと、あなた何処の差し金かしら?こんなものを持ち出すなんて」
男の前で取り返した本を揺らす。
「……っ」
男の目には恐怖が滲んでいるが忠誠心故か口を開かない。…はぁ。昔からこの手合いの者は口が堅くて面倒なのよね。
「早く話した方がいいわよ?あなたの指が残ってる間に」
一本一本関節ごとに指を切り落としていく。
「……っがぁぁぁ!!!…ごの、化け物が…!!!!っぅあ゛」
「あら久しぶりに聞いたわその言葉は」
痛みで発狂しかかった脳なら操れる。頭を触手で覆い口だけ外に出す。
「それじゃ、さっきの質問に答えて?」
「…ぁ、俺たチはレオニア王国かラ命を受ケた」
レオニア王国ねぇ…。人間の国なんて興味ないから覚えてないけれど国王にでも伝えようかしら。
「それはなぜかしら」
「レオニア王国ハ近年不作にアる。長年豊作ガ続くクレオール王国を調べタところ妙な女神の信仰ニよるものダと」
「ふふ、それでこれを盗んだわけ?愚かなこと。それが何であるかも知らずに」
普段は形の良い唇が歪み大きく裂ける。さながら紅い月のようだ。口から言葉にならない音を垂れ流す男に顔を近づけて囁く。
「おまえは生かす。精々国に戻ってことの顛末を伝えなさい。そのあとは…そうね。用はないから自害でもしなさいな」
「……ァ」
触手を離すと糸で操られた人形のように立ち上がって森へ消えた。
息をついて身体の力を抜く。方々に広がっていた闇が足元へ戻ってくる。……今日であの子と離れて一週間か。まあ戻るつもりもなかったけれど。あの時の約束を破ってしまってあの子は怒るだろうか、……いや、静かに泣くのでしょうね。あぁ、けれど。わたしはひとでなしね。申し訳なさよりもその顔を見なくて済むことの安堵の方が大きいなんて。
ボロボロと身体が崩れ始める。全く、天も用心しすぎね。あの子と離れるだけでわたしの力の大部分を奪うなんて。失礼するわ。……はぁ。冷えるわね。吐き出した息が白いもの。…あの子の側はいつも暖かかった。
もう一度会いたかったわ…………緋奈




