8. 地域活動支援センターって何?
今回のお話は「地域活動支援センター」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
あの家にはもういたくない。しかし、働いて自分でお金を得ることができないあかりはあの家にいるしかない。暖かい部屋があって、ご飯が食べられるのは親のおかげだと理解していても恨む気持ちは消えなかった。
なら諦めるしかないのか。しかし雪白は全てを諦める必要はないと言った。
「一気には離れるのは難しいわ。でも昼間だけでも離れてみるのはどう? デイケアでもいいけれどお金のこともあるでしょうし」
雪白にスマートフォンで見せてもらったのが地域活動支援センターだった。
結局、あかりは家に帰ってきた。どんなに母の言葉が辛くてもあかりには今は力がない。生きていくためには帰りたくない家に帰るしかない。
幸い、家の鍵は持っている。母にも、他の家族にも会わないようにそうっと自室に帰る。母が何か言って来るかもしれないと不安になり、小さな棚を動かしてドアを開かないようにする。こんな風にコソコソとしか暮らせないのかと惨めな気持ちになる。
けれど今のあかりには雪白のもらったノートの紙片がある。
「……あった」
自室にはノートパソコンがある。型は少し古い。それでブラウザを開き、検索ワードを打ち込んだ。あかりは電子機器には強かった。新しい単語を検索するなどわけもない。
「地域活動支援センター」と検索するとあかりが在住している神戸市のホームページが出てくる。他にも「地域活動支援センターとは」というどこかの会社のサイトも表示される。
それを読んでみると、障害を持つ人が平日の日中を過ごす場所だと書いてあった。仕事のように毎日通う場所ではなく、好きな日に行くだけでいいらしい。
「え……それだけ?」
そんなの簡単すぎないだろうか。
あかりは「地域活動支援センター」に加えて自分の住所を打ち込んだ。すると「地域活動支援センター キリン」というサイトがヒットする。クリックすると可愛いキリンのイラストが表示され、優しい雰囲気のホームページが現れる。簡単とはいえ、外に出ること自体は怖いのでそのホームページの雰囲気にホッとする。
キリンのページを一通りみるとアクセスのボタンをクリックする。すると住所が表示された。一緒に建物の入り口の写真が表示される。結構、近い。これなら歩いていけるのではないか。
(知らなかった、うちの近くにこんなところあったんだ。あ、書類が必要って書いてある。……手帳って何?)
検索していくうちに「障害者手帳」というものの存在を知る。障害者の世界で分からないことばかりだ。
(でもよかった。これなら簡単そう。毎日通って、来月のアジールで雪白さんを驚かせよう)
あかりは安心してその日は早くに眠りについた。外に出ることと母のことで随分疲れていたらしい。
二週間後。
あかりは緊張して椅子に座っていた。書類を持ったスタッフの老人が優しい声で話した。禿げた頭に綺麗な白髪がきっちり揃えてあり、細い体は物腰穏やかだ。
「はい、書類は揃っていますね。地域活動支援センター『キリン』へようこそ」
「は、はい!」
思わず大きすぎる声ではいと言ってしまった。思ったより書類を集めることに苦労した。障害者手帳というものを発行してもらうには時間がかかるらしく、医師に一筆書いてもらったのだが、それで大丈夫らしい。
(久しぶりに字なんて書いたな)
いつも入力ばかりで文字など久しく書いていない。登録の書類では何回も住所氏名を書いたので手が疲れた。役所に電話したところ手帳の発行にも実際に出向いて書類を書かねばならないらしく、今から疲れてしまう。
「それではセンターの中を案内しますね」
「はい。よかったです、地域支援センター、じゃない活動支援センター……と、とにかく家から歩いてこれる場所にあって、とても助かります」
なにせ収入源は嫌いな両親からの月一万円の小遣いのみ(本当に辛い)。電車代を払わないで済む事は有り難かった。登録代も一年間で一千円で済んだ。
「はは、少し覚えにくい名前ですからね。ただキリンと呼んでくださればいいですよ。もしくは地活と略して呼ぶ人も多いです」
「きりん」
一度、口の中で呼んで覚える。キリンと覚えよう。
スタッフの老人は里中と名乗った。地域活動支援センターは障害を持つ人が日中の居場所とする場所だ。居場所と言われても最初あかりは何をする場所なのかさっぱり分からなかったが、プログラムというものがある以外は本当にただ「過ごす」だけの場所らしい。
どうしてそんなものを国が作っているのかよく分からなかったが、とにかくあかりには都合がいい。
里中は手で室内を示した。学校の教室を少し小さくした程度の広さでそこにテーブルが三つとそれぞれ椅子が四つ配置されている。本棚もあり、上にはオセロなどのボードゲームが積んである。奥にはベージュのソファが置いてあった。
「午後にはプログラムと言って、希望者でお菓子を作ったり、小物を作ったりします。無理に参加する必要はありませんが楽しいですよ」
あかりは中を見渡した。キリンの中には今日はあまり参加者がいないらしく、一人だけが古いデスクトップパソコンの前に座っていた。もう中年の女性であかりと対照的に病的に痩せている。あの人も同じ障害者なのだろうか?
「ああー!」
かなり大きな声が上がってあかりはビクッと一歩後ろに下がった。中年の女性は一度だけあかりを見ると即座にディスプレイに顔を戻した。無意識に近寄ってしまったのがまずかったらしい。里中はあかりのそばでこっそりこう言った。
「ごめんなさい、池田さんは人が苦手でゆっくりそばに寄らないと叫んでしまうんです」
「そ、そういう病気なんですか?」
あかりも小声で里中に尋ねる。自分もそうだが障害者とはやはり怖いものなのだろうか。里中はいかにも好々爺の笑みで親切に答えた。
「ある意味そうかもしれません。池田さんはまだ人間に慣れていないのです。それでもここに通うことで人との繋がりを取り戻そうと努力されている最中なのです」
「そうなんだ……」
そのまま、里中はキリンの中を案内した。といってもそんなに広い場所ではないのですぐに終わる。
「あの、ここって本当に何もしなくてもいいんですか?」
「ええ、それでも構いません。ここは過ごすための場所ですから。ただ、それでも物足りない人に向けて午後はプログラムがあります。今日は池田さんだけなので中止になってしまいましたが」
黄色い紙に印刷されたプログラム表を渡される。そこには菓子作りや手芸などと書いてあった。今日は合唱と書いてあったが人がいないので中止らしい。
「あの、本を読んでいていいですか?」
「ええ、もちろん。好きな時間に来て好きな時間に帰っていいんですよ」
里中は受付に戻っていった。ホッとしてあかりは池田から離れた位置のテーブルに座った。こっそり池田の方を見る。
(年上かな、私と同じように引きこもりだったりして……あの人も外に出るだけで精一杯なのかな?)
さっきは怖かったがシンパシーを感じる。パソコンばかり見ているのも人が怖いからなのだろうか。あかりも予告なく人が近づいたら叫ぶかもしれないと想像した。そしてそんな人にはキリンに来なかったら会えなかったと思うと不思議だ。
(さて、どうしよう)
プログラムがないということはやることがない。家から昼間だけも離れられるのはありがたいが、流石に手持ち無沙汰だ。
(ちょうどいい、読んじゃおう)
あかりは本を三冊持ってきていた。全てこの前のアジールの帰りに買った発達障害の本だ。あかりは自分は発達障害と知ったが詳しくはさっぱり分からない。勢いで買ってしまったのでいい本なのかは分からない。今度、雪白にあったらおすすめの本を聞いてみよう。
あかりは一冊を手に取ってページをめくる。それはある女性が発達障害と診断されてからのノンフィクションエッセイだった。ある女性は大学を卒業して就職したもののミスばかりして徐々に疎まれうつ病になっていった。そして休職して精神科に通ううちに発達障害だと診断される。
(今更、そんなこと言われたってってこの人も思ってる。私と同じだ。私より若いけど)
そして戸惑う中、両親にカミングアウトをする。両親は彼女に気づいてやれずすまなかったと謝り、一緒に生きる道を探し始める。そして彼女は職場を辞めて、自分の強みを活かせる居場所を見つけるのだった。
(……私と全然違う。私のお母さんもお父さんもこんなじゃない)
あかりは半分ほどでページを閉じてしまった。どうして自分の母親はこの人の母親とこんなに違うんだろう。どうして自分の母親がこの人じゃなかったのだろう。
「すみません、時間ですよ」
里中に声をかけられてハッとした。思ったより熱中していたようでもう終わりの時間の十六時だった。あかりは慌てて本をしまうと荷物をまとめた。里中はあかりを急かすことなく他の場所をテキパキと片付けていた。いつの間にか池田はいなくなっていた。
「さようなら」
あかりは一つ目的を果たした。ちゃんと挨拶をする。それが今日の一つの目的だったのだ。
「また来てください。今日は私一人でしたが、いつもはもう一人スタッフの河村さんがいます。また紹介しますね」
里中は最後まで優しくドアの前で手を振ってくれた。
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次回は「想像していなかったあかりの現実」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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