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7. あの家を出たい、その方法を教わる

今回のお話は「家を出る方法」について。

同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。

「大丈夫?」


 どれだけ泣いていただろう。随分長い間だった気がする。


 ようやく落ち着きが戻ってきたあかりは会場の時計を見た。三十分が経過していた。


 その間、あかりは母への恨み言と未来への絶望を涙交じりにうめき続けた。それを雪白は励ましも咎めもせず、ただそばにいてくれた。


「大丈夫です。すみません……こんな長い時間聞いてもらって」


 雪白のハンカチはすでに水浸しになっている。雪白が会場から借りてきた箱ティッシュも半分ほどなくなってしまった。大量のティッシュの塊が恥ずかしくてゴミ箱を探す。


(なんだろう、不思議。大分、楽になった。ただ、聞いてもらっただけなのに、何も変わってないのに、少し自由になれた気がする)


 SNSで「話を聞いてもらうだけでも違う」という言説をあかりは馬鹿にしていた。話なんて聞いてなんになる。現実が変わらないと意味がない。そう信じていたのに現実は全然違う。


(そうだ、これもお母さんが言ってたんだっけ。無駄だって。小学生まではお母さんの後ろにばかりついて行ってた)


 雪白がゴミ箱を持ってきてくれた。本当に足はもう平気らしい。あかりがティッシュの塊を捨てるタイミングで雪白は口を開いた。


「私の意見だけどアカリさんはカミングアウトして良かったと思うわ」

「え……ど、どうして?」


 こんな辛い気持ちになるなら言わないほうが良かったに決まっている。あかりの母はダメな方の親だったのだ。けれど雪白はテーブルに肘をつくと少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「だってアカリさん、すごく言いたかったわけでしょ。受け入れて欲しかったんでしょ。だったら早いか遅いかだけの話だと思うわ。辛いでしょうけど、親が分かってくれないことが分かった。それだって前進だと思う」

「わ、私は、そんな風に思えません。こんな想いをするなら診断を受けなかった方がいいと思ってしまいます」

「それじゃ、私ともこうしてお話ししてないわね」


 苦笑する雪白にあかりは心を反芻した。確かに雪白の言う通り、母に、家族に理解して欲しくてたまらなかった。だから、遅かれ早かれこの気持ちは味わっていただろう。しかし、母があれでは父と妹は絶望的だろう。


「はは、確かに……私はお母さんに、家族に許して欲しかった。引きこもっていることを、これからも私は変われないことを許して欲しかった。でも、そんな家族は最初からどこにもいなかったんですね。

 雪白さん、私、これからどうしたらいいんでしょう……もう家には帰りたくないです」

「あなたがこれからどうしたいか次第ね」


 あかりは口を噤んだ。それは嫌いな言葉だった。

 部屋に篭り始めたばかりの頃は母に、父に扉越しに「将来どうするつもりだ」と散々聞かれた。これからどうすればいいか、そんなの自分でも分からない。ただあの部屋で全てから目を閉ざして揺蕩っていたい。


 けれど、雪白なら、本心を言ってもただ聞いてもらえるのではないか。そんな感情が湧いてきて、本心がこぼれる。


「私は……あの家からでたい。でも私なんかには無理……」

「それならそうしましょう」


 雪白があまりに自然にそう言うのであかりは不思議なものを見るような目で彼女を見返した。雪白はあくまでマイペースで紅茶を一口飲んだ。


「プランがあるわ。すぐには無理だけどやってみない?」

「わ、私には無理です。今だってこうしてあの部屋から出ること自体、怖いのに」


 自分の口で家から出たいと言ったのに、いざ肯定されると逃げる理由しか考えられない。


「でも家から出たいんでしょう?」

「そうだけど……怖い。嫌でもあの家に帰るしかないんだ」

「あのね、私は発達障害の人にたくさん会ってきた。全ての人じゃないけど、元気になっていった人もたくさんいるわ。夢を叶えた人もいる。どんなきっかけでそうなったか知りたくない?」

「どうやって……?」

「共感と知識よ。聞いてもらうことと知ることできっかけが掴める。どうする?」


 あかりは今の自分は嫌いだ。引きこもって世間と関わらず、家族から忌み嫌われている。でも変化することも怖かった。今まで世の中を恨んで暗い部屋でインターネットだけをしていた。そのままでいたい。変わることが怖い。自分なんかには無理……。


「……やってみたいです」


 それでもあかりは顔をあげて雪白をまっすぐに見つめた。

 雪白はノートを取り出して、そこにいくつかの単語を書いていった。にっと笑う。


「まずこれをやってみて」


 彼女は書き終わるとそのノートの切れ端を差し出す。あかりはその紙面をじっと見つめた。


・まず、病院に通って、ちゃんと薬を飲むこと。

・昼だけでも家から離れる。地域活動支援センターに行ってみる。

・来月もアジールに来ること。


「これだけ……?」


 拍子抜けした。こんなの簡単すぎる。もっとアルバイトをするとか派遣会社に登録するとか、そういう労働の話をされると思っていた。


「それはまだアカリさんには早いわね」


 そう言うと雪白は苦笑した。


「地域活動支援センターっていうのは分からないですけど、他は簡単すぎません?」

「そう? 診断さえ後悔しているなら、病院に行くのもやめようとしていない? それはおすすめしないわ。自覚がないみたいだけどアカリさんは鬱の傾向があると思うわ。まずそれをちゃんと病院に通って治さないと」


 事実だった。あかりはもう病院に行くことをやめようとしていた。

 鬱の症状。それは診断をしている時に医師に指摘された。鬱の治療もしましょうと言われ、大袈裟だなと思ったが違ったのだろうか。

 

「アカリさん、いつも眠れてる? 食事は取れているのかしら?」

「え、えーと、寝るのはいつもゲームしながらで……昼夜逆転してます。食事は……お母さんが冷蔵庫に入れてくれてるけど最近は食べてない。たまに冷蔵庫に残ってるやつを食べるけど、だいたいお菓子を夜に食べて寝ちゃう……」


 改めて話してみるとまずい生活をしている気がしてきた。


「まずは外に出ることに慣れることからね。朝起きて、夜寝ることからやってみましょう」


 雪白の口調はあくまで真面目なものだった。あかりは自分の話をこんなに真剣に聞いてくれたのは桃プリン以来だと気恥ずかしくなった。


「朝起きるなんて簡単ですよ。今まではやる気が出なかっただけで」

「アカリさんは簡単だっていうけど、きっと簡単じゃないわ。まず半年、これをやってみれば変わるわ」


 確信したように雪白が言うのであかりはまたそのノート紙片を見下ろした。


 確かに病院に行くのはやめるつもりだった。アジールには雪白がいるならまた来たいと思っているが、月に一度やっているだけの自助グループに来てそんなに変わるだろうか。


 それとも地域活動支援センターという知らない場所が何か特別なんだろうか。


 自分の心を見下ろす。もうあの家にはいたくない。でも出て行くことが怖い。


「自分なんかに……何かできるとは思いません」

「そんなことないわ。今日、足が痛い私の代わりにテーブルと椅子を並べてくれたじゃない。ここに来たあなたにしかできなかったことだわ」

「あ……」


 自分にも何かできる。それは長い間、あかりが失っていた存在の実感だった。

 

 その日のアジールはこうして終わった。無力なあかりは出て行きたい家に帰るしかなかった。ただ雪白の脱出プランだけを手にしていた。


 こうしてあかりはアジールに通うようになった。それは長い付き合いになることをまだあかりは知らない。



 余談。

「ところでアカリさん、お金持ってる? 参加費があるんだけど……」

「あ! しまった、五百円……スマホしか持ってなくて。すみません、必ず、来月お金持ってきます!」



一章を読んでくださってありがとうございました。


今回は「あかりの願いと決意」について書きました。

創作ではありますが、誰かの心に少しでも寄り添えたら嬉しいです。


感想・ご意見など気軽にお寄せください。

次回は「地域活動支援センター」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。


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お疲れ様です! おおおお、規則正しい生活と、新しいチャレンジ……あかりちゃんの新しい生活が始まりますね! 第二章で何があるのかわくわくです!
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