60.灯りを繋いで
今回のお話で最終回です。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
ミサキはばっと花柄の紙袋を指し出して頭を下げた。
「あの時は……ごめんなさい!」
ミサキの目端には涙が滲んでいる。あかりとブルースは顔を見合わせた。袋にはクッキーの詰め合わせが入っていた。
「ミサキさん、まさかまた会えるなんて」
「あの時は私……色々追い詰められていて、酷い事を言ってごめんなさい」
ミサキは変わっていた。以前より髪が短くなり、明るい色に染めていた。服も暗いものから明るいパステルカラーのものを選んでいる。それに姿勢が良くなり、視線がまっすぐになった。
「ミサキさん、いいよ。もう会えないって思ってたからまた会えたことが一番嬉しい。私もきっと無神経なこといっぱい言ったし、役に立たないことばっかり言って偉そうだった」
ミサキは首を横に振った。
「ううん。あの後、あなたの言葉に助けられた。手帳を取ることで医者に実家のことを相談して、家を出た方がいいって言ってもらえて助けてもらえた。私、あの家を出たよ。たくさん福祉に助けてもらった」
「……本当に?」
驚いた。あかりはミサキに言ったことが役に立たなかったからミサキはもう姿を現さないのだと信じていた。
「まあ、相談支援は使えなかったけど。福祉サービスを使わないと契約できないって知らなかった?」
「ええ!? や、やっぱり、ごめん……」
「ああ! いえ、そうじゃなくて……私はこんな言い方しかできなくて。
でもキリンって場所は相談支援と契約できなくても来てくれれば何度でも相談していいよって言ってくれた。だから電車に乗って何度も相談を続けた。河村さんにはすごく助けられた。親に受け入れられない辛さを話すことで親を手放すことができた。私が家を出る背中を押してくれたんだ。
だからアカリさんの言葉で助かったんだよ、私」
その時、あかりはミサキから初めて名前を呼ばれた。
「私が……ミサキさんの助けになれた?」
「本当ですよ?」
あかりは視界がぼやけていた。目に涙が滲んでいることに気づいたブルースが青いボーダーのハンカチを目に押し当ててくれる。
「ああ、あなたもいた! 本当にごめんなさい!」
「ええ、なんですか!? ……ってミサキさんじゃないですか!?」
飲み物コーナーから戻ってきたミドリにもミサキは頭を下げた。あかりと同じくクッキー缶の紙袋を差し出している。
「いいんですよ。私は傷つけられたっていうよりびっくりして何が何だか分からないままに終わったって感じでしたし」
「あなたが恵まれるとか何も話したこともないのに決めつけて、ごめんなさい」
「うーん、ではこのクッキーで手を打ちます。では!」
ミドリは明るく笑うとまた飲み物コーナーの設営に戻っていく。ポカンと取り残されたミサキはあかりを振り返ると笑う。
「ミドリさん、ああいう人なんだよ」
「そ、そうなんだ、よかった……傷つけたと思っていたから。
言っても仕方ないけど……雪白さんにも謝りたかった。私はあの日、ルールを破ってグループを台無しにした」
ミサキは遠い目をして天井を見た。あかりは目を丸くした。
「ミサキさん、あのね」
「ああ、あんなに避けてたけど……雪白さんに会いたいな。もう会うことはできないのに……」
ミサキはもう戻らない過去に思いを馳せて立ち尽くした。
ミサキの後ろでコツコツと足音がした。二つの足音に混じって三つ目の音がする。
「ちょっとちょっと、勝手に殺さないでちょうだい」
「……雪白さん?」
ミサキの後ろに立っていたのは、いつものように黒いワンピースを着て花柄の杖を持った雪白だった。
自己紹介が終わると雪白はミサキの隣に移動してきた。
「全く困っちゃうわ。アジール辞めてから雪白月絵は死んだとか言われて、やれやれよ」
「ゆ、雪白さん……」
「この前もセカンドアジールで「ええ、雪白さん!?」ってまるで幽霊を見たみたいに言われたのよ。失礼しちゃうわ。確かに喜寿は超えたけどまだ平均寿命じゃないってのに」
雪白とミサキは会場で隣あって座っていた。ミサキはあれほど話したかった雪白の目の前にいて頭が真っ白になる。
「あの、ど、どうして……ご病気じゃなかったんですか? だからアジールを辞めたんじゃ?」
「だから主催者は辞めたわ。今はただのセカンドアジールの参加者。毎月来てるわけじゃないし気楽な隠居生活よ。心臓の病気はすぐに命に関わるものじゃないしね」
「で、でも、相当なご覚悟でお辞めになったんじゃ」
「そんな大仰なものじゃないわ。もちろん、アジールは私にとって大切なものだったけど他に自助グループはいっぱいあるし、年も年だったから五年を目処に辞めただけ。それだけなのよ、失望した?」
「……今は分かる気がします。人にはそれぞれ事情がある。あの頃の私はそれが理解できないほど追い詰められていた。自分の事情で精一杯でそれを他人にぶつけていた」
そう語るミサキに雪白は力が抜けたように微笑んだ。
「でも、今日はセカンドアジールに来てよかった。あなたにまた会えたから。毎月来てるわけじゃないからこれも偶然、巡り合わせかもね」
「雪白さん……私も! 私も雪白さんに会えてよかったです! あの頃は……私はあなたに憧れるばかりで近づこうとしなかった。遠く見上げるばかりで話そうとしなかった。あんなにアカリさんが話そうと言ってくれたのに、眩しくて近づくことができなかった。
後で、アジールを飛び出した後に、すごく後悔しました」
「そうなの……あの後どうしていたの?」
「……すごく悩みましたが、アカリさんのアドバイス通り、福祉を頼りました。福祉って難しいですね、相談がスタートなんです。私は本当に相談が苦手で、人に頼ることが怖かった。どうせ私なんて見捨てられるって決めつけてた」
「そうねえ、自助グループなんて意味ないって言っていたしね」
「い、いえ! あれは本当に八つ当たりで……相談しなくても居場所があるアジールは私の支えでした。でも私の状況を変えるにはやはり相談するべきところに相談するしかなかった。
アジールを飛び出して、もう行く事はできないって思ってから本当に気持ちの行き場がなくなって、私は自棄のように医師に自分の家の問題を話していました。すると君の両親はおかしい。生活保護を使ってでも家を出るべきだって……だから、私、今は生活保護なんです」
ミサキは俯く。生活保護のことは医師以外には初めて雪白に話した。あんなに雪白と話すことを恐れていたのに初めてでいきなりこんなことが話せるなんて不思議だ。
雪白の力だろうか。それともこの場所、セカンドアジールの力なんだろうか。
「すいません、突然こんなこと話して……だから今は一人で暮らしています。親とはもう会ってません。住所も教えていません。訪問看護の人にも来てもらって支えられてばかりです。それでも……昔のようになれもしない他人を陰で羨んで自分を慰めるようなことはしなくなりました」
それでも誰にも話せないことだから誰かに一度聞いてほしかった。雪白はマイペースにウーロン茶を飲みながら返答した。
「生活保護ね。大丈夫、自助グループに来る人には結構いるから」
「ええ!?」
「本当よ。みんな黙ってるけど、苦労してきたんだもの。二次障害が酷くて働けない人って結構いるわ。特にあなたは親がいると病気が治らないんだから、生活保護を使って逃げることだって必要よ。もちろん、なかなか人に話せないことであるのは理解するけど生活保護は恥じゃないわ」
ミサキはまだ目を丸くしていた。そしてその目からポロリと一筋の涙がこぼれる。
「よかった。やっぱり雪白さんは私の思っていた通りの人だった」
「あらあら、どんな私を想像したのかしら。私は今、目の前にいるでしょう?」
「はい……あの、私、今少しずつバイトしてるんです。だからきっと早く生活保護から抜け出せます」
「あまり無理をしないでね。あなたの二次障害は重いものだと思うから」
「医師と同じことを言うんですね、不思議です……私、今でも雪白さんの本を全部持っているんです。不安な夜に読み返すと元気になるのでよく読み返しています。私は一方的に雪白さんに憧れて、それで逆に壁を作ってしまっていたけれど、それでもやっぱり雪白さんの本は好きです」
「おやおや……それじゃ、これは知ってる?」
雪白はカバンから一冊の本を取り出した。ハードカバーで、タイトルは「老いも若きも発達障害」、著者は雪白月絵。
ミサキは椅子から飛び上がって驚いた。
「ええ!? これ知らない、雪白さんの本は全部持っているのに!」
「実は先月末に発売したばかりなの。ミドリさんは何冊も予約して家族に配ってたみたい。やれやれね。引退してから執筆は再開したの。これでもまだ少し出版社から声がかかっていたから……それにミサキさんみたいに私の本を支えにしてくれる人もいるって分かったから」
「すみません、私、生活が手一杯で全然本屋に行ってなくて……今日帰りに絶対買います! あ、本屋さんにまだあるかな?」
「大丈夫、電子書籍にもなってるから」
ミサキはスマートフォンで雪白の本を検索して表示すると大切そうにそれを眺めた。
「ねえ、ミサキさん、これからも私たちお話しない? きっと私たちまだまだ話していないことがあると思うわ」
「もちろんです!」
「それじゃあ、またセカンドアジールで会いましょう。私は大体来ているから、きっとまたこうして会えるわ」
「今日来て……本当によかった。生活が落ちついた頃にセカンドアジールという名前を聞いて、まさかと思ったんです。何か雪白さんと関わりがあるんじゃないかと思って……思い切って結に行って、リンダさんに聞いたらアカリさんがやってるって聞いたんです。だから謝りたいと思ってきたんですが、雪白さんとこうして話せるなんて」
「自助グループも終わったり、始まったりすることで人の縁に繋がるのね」
二人は微笑みあって穏やかに会話を続けた。
あかりは雪白とミサキが話している光景を受付から眺めていた。その顔には春の暖かさがある微笑みが浮かんでいた。
「ミサキさんと雪白さん、話せてよかったな」
ずっと願っていたアジールでは果たせなかったことだった。それがセカンドアジールで叶ったことがあかりは嬉しかった。
セカンドアジールは新しい避難所になれただろうか。
「よく話し込んでるね、まるで昔のアカリみたいだ」
「あれから随分経ちましたから積もる話もあるんでしょうねえ」
ブルースとミドリはあかりの両隣で同じように微笑んでいた。立ち去っていったミサキのことは二人も気にしていたのだ。
あかりは二人と振り返り、春の花のように笑った。
「あの二人が話せてよかった。それだけでも私、セカンドアジールを始めてよかったよ。だって私がやってなかったら話せなかったかもしれないんだよ?」
「だね。一年めげずにやってきてよかったじゃないか」
「セカンドアジールって名前も来るきっかけになったかもしれませんね」
雪白が本を出したことでミサキが椅子から飛び上がったところでクスッと笑みが漏れる。やはり知らなかったのだ。ミサキは姿を表さなかった間ずっと必死だったのだろう。
「帰ったら雪白さんの本をまた読もうかな。雪白さんたら結構文章で笑わせようとするんだから癖になっちゃって」
「いいですねー」
太陽のように笑うミドリが寄ってくる。ブルースはじっとあかりを覗き込む。
「アカリ、いいのかい? あんたは雪白さんと話さなくて」
「先月話せたし、いいよ。私は雪白さんがちょくちょく顔出してくれるだけで十分幸せ。それにずっとミサキさんと雪白さんに話して欲しかったしね」
「そうか……あ、誰か来た」
「遅れてきた参加者さんですね」
新しい誰かをブルースとミドリが迎える。
二人も雪白もミサキも日々変わっていく。あかりだって来年はどうなるか分からない。だからこそ、今この瞬間にこの場に集まっていることを奇跡のように感じる。
あかりは席を立って主催者として参加者を迎える。
「こんにちは。自助グループは初めてですか?」
「は、はい、発達障害って診断されたばっかりでどうすれいいのか分からなくて」
「その気持ち分かります」
六年前、あかりは世界のどこにも自分の居場所はないと思っていた。
今は違う。一歩踏み出すごとに世界と繋がることはできる。けれど繋がった場所は永遠ではない。
「でも大丈夫です。仲間がいますから。ようこそセカンドアジールへ!」
世界は変わっていくが、それでも自分もきっと誰かの居場所になれる。誰かの避難所になれる。そう信じてあかりは今日もセカンドアジールにいた。
終わり
最終回を書き上げられてよかったです。
雪白から受け継いだ灯りをあかりが絶やさないように別れはあるけど人生は続いていきます。
世界はそう悪い場所ではないと思う。
だから、誰かと出会うための一歩になれる小説であったなら、と願います。
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