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58.あかりの船出

今回のお話は「あかりの船出」について。

同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。

 あかりは新居で段ボールを片付けていた。ある程度片付けるとあっという間に夕方になり、慌ててベッドの周りを中心に片付け始める。日が暮れると疲れ果てベッドに寝転んだ。


(やった、本当に私、家を出ることができた)


 まだ片付いていない新居を見下ろすと達成感を感じた。五年前、家を出たいと願った。それを本当に果たしたのだ。


 スマートフォンを見ると美希から段ボールだらけのマンションの写真が送られてきていた。《やってもやっても終わらないよ〜》というLINEのメッセージと涙目のスタンプが送られている。あかりは返信すると美希がくれた引越し祝いのマカロンの袋を見た。美希とはこれからも会う約束をしている。


 あるものを取り出すとあかりは手を合わせた。


「色々思うとこもあるけど……ありがとう、お父さん」


 それはあかり名義の通帳だった。五十万円が入っている。「美希にもやった。手切れ金だ、もう迷惑をかけるなよ」といつもの父らしくドライに別れた。父にとってはそんなものなのだろう。母もああ言っていたし美希以外の家族にはこれからは冠婚葬祭で会うことはあるまい。


「これで洗濯機と冷蔵庫が買える……こっちに手をつけなくていい」


 あかりは自分の通帳を見る。百万円貯まっていた。実家にいてこその貯金だと分かっていたがそれでも自分の力には違いない。


(私、少しは強くなったかな?)


 しんと一人きりの家で考える。もうすぐ四十二歳になる。四十一歳までにあの家を出ることができた。この五年間、必死だった。たくさん挑戦も失敗もした。それでもやり遂げることができた。


 桃プリンにメッセージを送る。《引越ししました。これで家を出ることができて感無量です》と送るとすぐにいいねがついた。ずっとネットの向こうか支えてくれた名も知れぬ彼女には感謝していた。桃プリンがいなかったら発達障害の診断を受けることも家を出ることもできなかった。


 天井を見て初めてアジールに行った日のことを思い出す。


……「私は……あの家から出たい。でも私なんかには無理……」……


 無理じゃなかった。自分の願いを叶えることができた。


「無理じゃなかったよ、私」


 言い聞かせるように自分に声をかけた。雪白のメモからここまでくることができた。たくさん助けられたけど、それでもあかりの頑張りの成果であることも変わりない。


 またしんとした一人暮らしの家を見ると寂しさと不安を感じた。これから本当に一人で暮らしていかねばならない。四十一年、四人で暮らしてきた身としてはやはり寂しい。


(本当にこれで良かったのかな?)


 将来の不安は尽きない。


 あかりの収入は相変わらずローラの給料十万円と障害年金七万円だ。本当にこれでずっとやっといけるだろうか。働けなくなったら? 町田医師は大丈夫と言っていたが年金は本当に打ち切られないのか? 


 考えても未来のことは分からない。それでも世界中の人がそうなのだ、と今ではその不安と付き合えるようになっていた。


(でも、私は一人じゃない、だからなんとかなる)


 スマートフォンが光る。ブルースとミドリからの連絡だった。引越しのお祝いと次回のアジールの話だった。


「さて、アジールのお別れパーティーの準備しなきゃ」


 最後のアジールは二週間後だった。その頃には誕生日も過ぎてあかりは四十二歳になる。美希が誕生日パーティーをしてくれると言っていた。







 桜が咲き、夜空にわずかに桜吹雪が舞う中、あかりはその光景をぼうっと眺めていた。


 今日はアジールの最後の日。雪白の計らいでお昼の一時から五時ではなく、夜の九時まで会場は開いている。最後だからと会場にはパーティー用の食事が並び、参加者はお菓子を持ち寄っていた。ホールケーキを持ってきた人もいた。


「最後の日だからこそ盛り上がっていきましょう!」


 雪白は素なのかフリなのかいつになくハイテンションで会場中を駆け回っていた。ミドリはやっぱり泣いてしまったし、ブルースはその背を撫でていた。


 パーティーは賑やかであっという間に夜になり、施設の窓から夜空を見上げてあかりは一人で立っていた。


「アカリさん? ここにいたのね」

「雪白さん、ちょっと夜風に当たりたくて」


 パーティーはすでに半分以上終わっていた。あかりは会場から出て、桜の見える廊下でオレンジジュースを飲んでいた。雪白は何も言わず、ウーロン茶の入ったコップを持ってあかりの隣に立った。


「やっぱり最後はしんみりしちゃったのかしら?」

「その……ミサキさん、最後まで来なかったなって」


 雪白の視線が静かになる。あかりは桜が揺れながら花びらをこぼしていく姿にミサキの事を思い出す。


「ミサキさん、来て欲しかったわね……自助グループでは本当に辛い人は救われない。そうじゃないって反論する機会もなかった。彼女の言うことも本当かもしれない。自助グループだけでは救われない人もいる。でも……」

「雪白さん、私は救われましたよ」


 あかりが笑顔で振り返ると雪白は微笑んだ。


 あかりの頬から涙が溢れる。


「私、ずっと孤独だった。ずっと寂しかった。でも雪白さんに会って全てが変わった。自分にも自分を変える力があるって教えてくれた。

 だから今日でアジールがおしまいで……寂しいです」


 涙が止まらないので袖で拭うがそれでもなかなか止まらない。


「そんなアジールが無意味だなんて言わないでください。今、私はこんなに寂しいんですよ」


 雪白はあかりの顔をじっと見て、最後は笑った。散っていく花びらに少しだけ似ていた。


「そうね……そうね。アジールはあなたの避難所にはなれた。きっと意味があった」

「当たり前じゃないですか……雪白さん、私、ずっと雪白さんに隠していたことが二つあったんですよ?」

「あらあら、いつも私になんでも話していたアカリさんがどうしたのかしら?」


 あかりは母の診断書の事をやっと雪白に話した。診断書を返したことも含めて。雪白は意外そうな顔をした。


「黙っておけば隠しておけたのにどうして私にそれを話したの?」

「ずっと雪白さんに相談したくて仕方なかったんですよ。でも返しなさいって言われるのが嫌で、返すまで話せませんでした」

「そうねえ……確かに告白されたら返すように薦めたかも知れないわね」

「やっぱり、だから言えなくて……雪白さんが言うことにはつい従っちゃいますから」

「アカリさんも変わったわね」

「そうですか?」

「ええ、大人になったわ。隠し事をするなんて」

「そりゃもう四十二歳ですから」


 雪白がイタズラっぽく笑うとあかりは照れて鼻先をかいた。


 微かな沈黙が降りて、あかりと雪白は電灯に照らされた夜桜を並んで眺めた。花びらの一つが地面に落ちるとあかりは口を開いた。


「もう一つ雪白さんに黙ってたことがあります。聞いてもらえますか?」

「もちろん、今度は何かしら」

「……私、この場所で自助グループをはじめます」


 あかりは雪白に向き直るとペコと頭を下げた。


「ずっと考えていたんです。居場所は永遠じゃない。自助グループも地域活動支援センターも、いつかは変わってしまう。それは人の事情があるから仕方ない。

 なら私はどうすればいいのか。そして私自身が誰かの居場所になればいいと思いました」


 雪白はじっとあかりの目を見ていた。その顔に驚きが混じっていたのであかりは手品の種を明かしたように満足した。


「ゲンさんやリンダさんにも宣伝を手伝ってもらうことにしました。このために自助グループ研修も受けました。不安はいっぱいありますが頑張ってみようと思います」

「アカリさんが……自助グループを?」

「ええ、こう見えてこの一年、ずっと頑張って来たんですよ」


 あかりは一度目を閉じて、勇気を出した。


「それで雪白さんにお願いがあって……アジールって名前、もらってもいいですか?」

「アジールを……アカリさんが続ける?」

「ええ、私、アジール、誰かの避難所であることを続けていきたいんです」


 あかりが笑うと雪白も笑った。桜吹雪が舞う。季節はまさに春だった。

感想・ご意見など気軽にお寄せください。

次回は「エピローグ 一年後」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。


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― 新着の感想 ―
お疲れさまです……! きゃーーーー!ああ……ああ……こうして差し伸べられる手というのは回って、巡っていくのですね。 振り返ったとき、いままでの道のりが見えたような気がしました。これを人は足跡と呼ぶので…
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