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54.嫉妬を受け入れた日

今回のお話は「あかりの母、ミドリの母」について。

同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。

 あかりの終業は午後四時、家に帰ってくるのは三十分後程度。だからキッチンに母がいることは多かった。


 あかりが空の弁当箱をキッチンに持ってくると母はびくりと振り返った。その視線が少し悲しい。


「お弁当ありがとう」


 そう言って弁当箱だけを置いて去ろうとすると声をかけられた。


「待って、あかり」

「……何?」


 診断書を返せと言われると身構えたが、母は違うことを言った。


「お父さんと美希には言ったの?」

「何を?」

「……私が普通じゃないってこと」


 あかりは俯いた母をじっと見た。怯えていて弱々しい。昔はあんなに大きく見えたのにこの人はこんなに小さかっただろうか。


「お母さんの発達障害のこと? 言ってないよ」


 父は知らないが、美希は勘づいている、とは言わなかった。母の顔はあからさまにぱぁと明るくなった。


「そ、そう、よかった……特にお父さんには言わないで」

「言わないって」

「まともじゃないって分かったら誰にも結婚なんてしてもらえなかった。美希だってそんな血を受け継いでるなんて言えない。……正直、分かってる。あんたは遺伝、私の血だって」


 発達障害は遺伝か。確証はないらしいがアジールでも似たような話は聞いたことがある。


「だったら、私のことはいい加減諦めてくれないかな。そうだよ、遺伝だと思う。私の発達障害はお母さんの子だからだ。だからもう障害者雇用や障害年金を悪く思うのはやめて。そのことでお母さんに迷惑なんてかけてないでしょう?」


 振り返ると母は怯えたようにびくりと身を震わせた。でも、と駄々っ子のように食い下がった。


「あんたはどうして平気なの? まともじゃない、普通じゃないって、生きていけないことよ?」


 叔母の話を思い出す。母にとってそれはずっと人生の真実だったのだろう。


「私は生きていってるでしょ。私とお母さんは違う」

「分かってよ、子供がまともじゃないと母親もまともと認めてもらえないのよ」

「……そう、おばあちゃんに言われた?」


 またびくっと母の体が硬直したので、その隙にあかりは自室へ帰っていった。ドアに椅子を斜めにかけて、診断書はまだ返せないと諦めたように天井を眺めた。







 夏が始まり、蝉の声が神戸の街に響いていた。あかりはいつものようにアジールの会場で設営をしていた。


「お母さんったら〜」


 ミドリのむくれた声がする。今日は久しぶりに開催前にミドリの母親が来て、スタッフに菓子折りを渡して帰っていった。ミドリと友達になってくれますか? と言われてあかりは曖昧に笑い返すしかなかった。


(友達か。ブルースさんとは友達って感じだけど、ミドリさんとはまだそうじゃないかな)


 今でもミドリの母を見ると自分の母との落差に悲しくなってしまう。叔母の話を聞いたからそんなことは無理だと分かっているのだが。


「この会、なくなってしまうんですってね。残念です。ミドリちゃんも寂しがっていました」

「……ええ」


 今回はミドリの母もアジールに参加するようだ。一応、家族でも参加できるようになっている。雪白の了解も取れた。


「ミドリちゃん、何か手伝うことはない?」

「いいからお母さんは座ってて」


 照れたミドリが母を通常席に追い払う。受付に帰ってきたミドリにブルースがからかうように話しかける。


「いいお母さんじゃないか、もっと大事にした方がいいよ」

「何言ってるんですか、こっちは恥ずかしいです」

「ミドリ」


 ブルースの目がシリアスになったのでミドリは押し黙る。ブルースは遠い過去を懐かしむ目をした。


「私の母親も父親もあんな風に発達障害を理解しようとしなかった。最初からそんなの怠け者の性格のせいだって否定した。結構そういう人は多い。それに比べたらミドリの母親は上等な方だよ」

「……私が恵まれているってことですか? だからもっとお母さんに感謝するべきだってことですか?」

「ちょっと違う。もったいないと思うんだ。私は親とは縁を切ったし、葬式に行くかも怪しい。それに比べたらミドリは今から親と仲良くすることができる。発達障害のことだって隠す必要はない。それって豊かなことだよ。それに本当はお母さんが好きなんだろう?」


 親の葬式。あかりは離れて住むようになり、両親と疎遠になったら母の葬式に行くだろうか。それとも長女だから葬式を取り仕切らないといけないのだろうか。


「私だって……」


 ミドリはブルースをじっと見返すと前にあかりに話したことをブルースに話した。ミドリの両親が子供の頃に「可哀想だから」と診断を受けさせなかったこと、それを恨んでいる気持ちが消えないこと。


「そっか……それなら言い過ぎたよ、悪かった」

「いえ……私も本心では親が好きなんです。ただ、子供の頃を取り返すように接せられるとかえってあのことが浮き彫りになるみたいで……親も焦っているんだと思います。私のことに取り返しがつくように」


 ミドリは視線を彷徨わせると席を立ち、母親の元へ向かう。二人はとても仲のいい親子に見えた。


「……いいな」

「アカリ?」

「本心を言えば……私はミドリさんのお母さんが羨ましいです。妬ましい。どうしてあの人が私のお母さんじゃなかったんだろう」


 ポロリともれた本音にあかりは自分で驚いた。雪白にも言っていないし、誰にも言わないつもりの言葉がブルースにはこぼせた。


「そっか……同じスタッフで辛い?」


 あかりは首を横に振って、ブルースを振り返った。


「ミドリさんってずるいですよね、とっても明るくていい人で。とてもそんな理由だけで嫌うことはできない」

「そうかあ? 私はあんなに能天気でこの先大丈夫かなと思うけど……まあ元気ないい子だよね」

「……ブルースさんって本当にいい人ですよね」

「なんだい突然、変なこと言って」


 世界って本当に複雑だとあかりはもう一度ミドリと母親の姿を見た。







「……ダメだった」


 アジールも中盤に差し掛かるとあかりはミサキに話しかけられた。


「どうしたの、ミサキさん? 何がダメだったの?」

「手帳のこと調べてみた。でもダメだった」


 あかりは驚いた。ミサキはあかりの言葉をちゃんと聞いて実行したのだ。ダメ元だったのでミサキが障害者手帳のことを真剣に考えてくれたことが意外だった。


「そうなの、どこがダメだったの?」

「何もかもダメだよ。役所に行ったけど、うまく話せない。私には助けられる資格がないって思ってしまうと何も言えなくなる。どうしたんですかって何度も言われたけど、何も言葉が出てこない。だって私が悪いから……」


 あかりはミサキの気持ちが分かるような気がした。引きこもっていた頃のあかりは何かうまくいかないと「私が悪いからだ」と思考停止していた。自分を責めていればいいと自傷のように思っていた。


「ミサキさんは悪くありませんよ。私の言葉を聞いて、役所まで行ってくれたんですね。それも大きな一歩です。でも役所だとなんでもできるからかえって分からないかもしれませんね」

「……それに手帳が親がいらないって。それにネットでも手帳なんて意味ないってみんな言ってる」

「私は今のミサキさんには必要だと思います。診断書のお金が必要ですが、色んな特典がありますよ」

「……でも」

「相談支援のことも併せて考えてみてください。そうだ、私が渡したパンフレットの場所に直接連絡してください。キリンならきっとミサキさんを助けてくれます。えっと、お住まいは神戸ですか?」

「神戸だけど」

「それなら多分大丈夫だと思います。もしいいと思ったら連絡してみてださい」


 あかりは微笑みながら自分で驚いていた。誰か困っている人に助けてくれる場所を教えるなんてまるで雪白ではないか。


(私にも誰かを助けることができる?)


 アジールに関わって四年、あかりも変わったのだろうか。


 ミサキは「考えておく」とあかりに複雑な眼差しを向けた。


「あの子、また母親を連れてきてる」


 ミサキは離れた場所で母親と一緒に参加者と談笑しているミドリに冷たい眼差しを向けた。ブルースの言葉のお陰かいつもよりミドリは母親に柔らかい態度をとっていた。


「アジールは自助グループって分かっているのかな、母親同伴で来るような場所じゃないって理解してないんじゃない?」

「ミサキさん、私ね、ミドリさんに嫉妬しているんですよ」

「……は?」

「だってあんなに優しいお母さんがいるじゃないですか。私のお母さんはあんな風じゃなかった。発達障害のこと怠け者だって全て否定した。

 ミドリさんのお母さんみたいに発達障害の本を読んだり講演会に行くなんて考えられない。自助グループでも発達障害ことを勉強しようとしている……羨ましいです。どうして私のお母さんがそうじゃなかったのか、何度も考えました」


 ブルースに話したことで何か解放されたのだろうか。ミドリへの嫉妬を隠さなくなった。それにこう思ったのだ。自分のこの苦しみを話せばミサキの苦しみも軽くなるのではないかと。


「……私は別に嫉妬とかはない。あの子のことなんてどうでもいいよ」

「そうなんですね」


 ミサキは目を逸らしている。あかりもそれ以上は追求しなかった。


「それより、アジールは本当にどうにもならないの?」

「前にも言いましたが雪白さんが決めたことです」

「じゃあ私はこれからどこへいけばいいの?」


 あかりは言葉に詰まった。ミサキは雪白に深く憧れている。その雪白が作ったアジールはあと九ヶ月でなくなってしまうのだ。


「ミサキさん、今度こそ雪白さんと話しましょうよ。私、呼んできます」

「いいって! そもそも何話せばいいのか分からないのに」

「来年の今頃はアジールはないんですよ。今しかないんです。話しましょう!」


 あかりが立ち上がって雪白の元に行こうとするとミサキは遮った。


「いいって! いいんだ!」


 ミサキは立ち上がり、ドアを潜って帰ってしまった。

ミサキなりに頑張っているのですが……


感想・ご意見など気軽にお寄せください。

次回は「キリンの異変」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。


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お疲れさまです! あかりちゃん……なんだか成長したなぁ……嫉妬も受け入れて、とてもいい顔をしているのが伝わります。お母さん()は嬉しいよ……大きくなったねぇ……(?) ミサキちゃん!行ったのか!すごい…
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