52.アジールの終わり
今回のお話は「雪白の予告」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
あかりが涙を堪えていると誰かが先に泣き出してしまった。ミドリだった。隣のブルースがティッシュの箱を差し出してくる。
「こらこら、まだバレたらマズイんだから、堪えて」
「ブルースさん、でも……ううっ」
「……ミドリさん、分かるよ」
桜の蕾が膨らむ頃の春のアジールにて。三人は受付の席で寄り添い合うように座っていた。自己紹介はもう終わり、受付の仕事も半分終わっていた。あかりが会場を見るとミサキの姿もあった。
それでも今日のアジールはざわめいていた。自己紹介の前に雪白が「重大なお知らせがある」と宣告していたからだ。みんなが前に立つ雪白の次の言葉を待っていた。
集中する参加者たちの視線に雪白は柔らかな笑みで応えた。
「突然ですが、みなさんにお知らせがあります」
会場はしんと静まり返った。誰もが雪白の次の言葉を待った。
「これから一年後、来年の今頃にアジールを閉会しようと思います。一度引退した身なのにこうして皆さん集まってくれて本当に感謝しています。今までアジールに来てくれてありがとう」
そんな、という声が会場に響く。ほんの一時間前に聞かされたばかりのあかりも気持ちは一緒だった。ただ予感はあった。
「私は来年で七十七歳になります。健康診断にひっかかり、精密検査をしたところ心臓に病気が見つかりました。もちろん、すぐ命の関わるものではありません。それでも、私は喜寿をむかえてここが潮時だと感じました」
雪白のよく通る声が会場の隅々まで広がる。雪白さん、という小さな声が聞こえてあかりはミサキを振り返った。
「突然アジールが閉会してしまうことはいやでしょうから、一年後とします。それまでアジールをよろしくね……さて湿っぽいのは苦手なので、これも宣言します」
雪白は下げていた鞄から何かを取り出して頭に乗せた。それは金色にカラフルなドットが施されたパーティハットだった。雪白はウインクをして宣言した。
「最後のアジールはパーティにします! 施設を夜まで借りてどんちゃん騒ぎにしましょう! 色んなことがあるけれど、みんなで賑やかにアジールとお別れしてもらえたらと思います。さあ、みんな、最後は笑顔で別れましょうね!」
自然と拍手が起こり、あかりも拍手した。今までのことが万華鏡のように脳裏をよぎった。あかりは先月、四十一歳になっていた。四十二歳になる頃にはアジールがなくなるのだ。
(これから一年間、後悔しないように過ごさないとならないな)
一筋の涙を流してあかりはある計画を考えていた。
「アジール、本当に終わりなんですね」
ズーンと落ち込んだミドリにブルースが近寄る。
「しょうがないさ。なにしろあのお年なんだから。むしろ杖ついてるのに七十七歳までやってくれてありがたいでしょ」
「私、スタッフになってまだ一年経ってないのに……雪白さんに会ってまだ一年くらいなのに……」
「まだ一年あるって。終わるって言っても一年後の話だよ」
「でも、たった一年ですよね?」
まだミドリはぐずった子供のようだった。あかりも二人に近付くとブルースが振り返った。彼女は感心した顔をしていた。
「アカリは意外だね、もっと泣くかと思った。なにしろアカリは雪白さん、雪白さんってばかり言ってたから」
アカリは一筋の涙を流して以来泣いていなかった。
「もうブルースさんったら、私だって……いや、成長してないな。でも、予感はしていたんです。雪白さんは決めたら聞きませんから」
「……そうだね、頑固な人だ。さっき私、雪白さんに言ったんだよ。私が代理で開催して、雪白さんの負担を可能ながぎり減らすからこのままアジールやりませんかって。でも主催者の責務を果たせないならもう閉会するべきだってさ」
ミドリが立ち上がり、あかりに近付くと寂しそうに涙を拭った。
「本当に終わりなんですね。今までのことがまるで夢みたいです。雪白さんの本を読んで、憧れてアジールに来て、スタッフになって……そして終わる。人生が儚いって本当だったんですね」
「それじゃ雪白さんが死ぬみたいだろ、ちょっと表現が違うんじゃない?」
「私にとってはそうなんです〜」
あかりは一度床に視線を落として、ブルースとミドリに向き直った。
「あの、二人とも、話があるんだけどいいかな?」
「どうしたの?」
「どうしました?」
二人が不思議そうな視線をあかりに向けてくる。あかりは胸に秘めた計画を初めて他人に告白した。
「ずっと考えていたんだ。もし二人にも協力してもらえたら嬉しい」
「雪白さん、本当にアジールをやめてしまうんですか?」
あかりに話しかけてきたのはミサキだった。アジールの交流タイムが始まって一時間ほど経過した頃だった。ミサキは迷子の子供のように弱々しく見えた。
「うん、そうみたい。寂しいね」
「どうにかならないんですか?」
「私が決めることじゃない。雪白さんが決めることだよ。雪白さんが病気で辞めるというならスタッフにも参加者にも止められないから」
「そんな……」
ミサキは深い絶望を感じたようにあかりの向かいの椅子に座った。あかりはアジールを失ったミサキの今後が気に掛かった。
「最近はどうですか? 退院した後の生活って大変だって聞きますが」
「別に……親はいつも通りだよ。働けるようになったら稼げってバイト三昧さ。私のお金はほとんど親のギャンブルと買い物に消える」
ミサキは少し変化していた。相変わらず雪白には話せないがあかりには少し心を開くようになっていた。
「前から思っていましたがミサキさんの両親はひどいと思います。何かミサキさんの味方になってくれるような福祉制度を使いませんか?」
「福祉制度? なに言ってるの、私に味方なんていない。精神疾患で自立もできない。辛くてもあの親の家に帰るしかないんだ」
あの親の家に帰るしかない。それはかつてあかりも思っていたことだ。
「福祉制度には色々ありますが、たくさんあって混乱することもあります。ミサキさんはまず障害者手帳を取ったらどうでしょう? 今の状況をお医者さんに相談することで開けてくるものもあると思います」
「そんなの、私には無理だよ」
「こんなものもあります。相談に乗ってくれますよ」
あかりはカバンから三つ折りの相談支援のパンフレットを取り出した。あかりが支援を受けているキリンの運営している相談支援ツバサのものだった。ミサキは顔を逸らした。
「福祉制度なんてどうせ助けてくれないよ」
「そんなことないよ。色んな人が助けてくれる。こっちから声を掛ければいい」
「……どうせ、私なんて奪われるだけで、誰も助けてくれない」
それでもミサキはあかりのパンフレットを受け取ってくれた。
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次回は「あかりの仕事」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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