45.恵まれている者の裏事情
今回のお話は「ミドリの過去」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
秋の木の葉が舞う頃のアジールにて。あかりとミドリはまた受付で話していた。
「アカリさん、就職先フルタイムって決めてます?」
「う、うん……なんで?」
「私はフルタイムかパートタイムか悩んでおりまして……」
しおしおとミドリはまた受付まで椅子を持ってくる。どうやらあかりは就活仲間だと認識されているらしい。
「でもフルタイムじゃないと生活できないんじゃない?」
「でも、アカリさん障害年金申請するって言ってたじゃないですか。それならパートタイムでもいけるのでは?」
「まだ通ってないよ。それに……私は家を出るつもりだから、お金が欲しいし」
「年金とバイトで生活してる人もいるらしいですよ〜」
頭の中がフルタイム一択だったあかりはしげしげとミドリの顔を見た。そんな選択肢があるとは考えたこともなかった。しかし、この前までやっと週四日ポラリスに通えていたあかりはパートタイムの方がいいかもしれない。
「ミドリさんがそういう事いうの意外だな。ミドリさんならフルタイムいけそうなのに」
「うーん、一度鬱になった身としては負担を考えてしまいます。またフルタイムやって鬱になったら元も子もないなって。それならパートでゆるゆるならしていった方がいいかなと」
「お医者さんはなんて言ってる?」
「なんとも言えないって。相性のいい、配慮のある職場なら前みたいに働けると思うけど、そんなの私がどこか知りたいし」
ピコンと通知音が鳴る。ミドリのスマートフォンだ。画面を見たミドリはスマホをポケットにしまうとため息をついた。
「もしかしてお母さん?」
「そうです。全く過保護で困ります」
「でも……優しいお母さんでいいな」
ふとミドリは遠い目をした。天井を見てあかりに視線を戻す。
「罪悪感なんだと思います。お父さんもお母さんも」
「……罪悪感?」
「私、小学校の頃、担任の先生に発達障害なんじゃないかって言われたらしいんです。この子は普通じゃない、一度検査した方がいいって。
お母さんはお父さんに相談して「とんでもない。うちの子は普通だ。ミドリを障害者にするなんて可哀想だ」っていう結論に到達して……結局私が知らない間に検査をする話はなくなったんです。発達障害かもしれないってことも教えてくれなかった」
あかりは驚いた。発達障害に理解のあるミドリの両親。そんな人たちが母のようなことを言っていたなんて。
「そうこうしているうちに私は何も知らないまま大人になって、大学に行って、就職した。するとミスが多くて、何度も怒られた。職場の無言のルールみたいなのも分からなかった。なんで私だけみんなと違うのか分からなかった。
五年は頑張ったけど、結局私は重いうつ病になった。二年休職したけど結局辞めることになった。三年寝たきりになった。その頃です、発達障害の診断が降りたのは」
ミドリは一度視線を床に落とした。
「その時、お父さんとお母さんは私に謝った。小学生の頃、検査を受けさせなかったことも、発達障害かもって私に教えなかったことを許してって言った。私は怒った。なんで教えてくれたなかったんだ、お陰でこんな重い病気になったって……二人とも本当に小さくなってただ許してって言っていた。
それから二人は変わりました。発達障害の勉強をして、医者の講演会に行くようになった。今度こそ私を支えるんだって私より張り切ってさ」
「そんなこと……あったんだ」
「私は今でもどこかでお父さんとお母さんを許せていないのかもしれない。子供の頃診断されていれば鬱病にならなかったのにって。それが二人にも伝わっているのかもね」
ミドリはじっと母の連絡が映ったスマホの画面を見下ろすとすっと顔を上げた。すっと椅子から立ち上がる。
「やっぱり行ってきます」
「いいの……お母さんのこと恨んでるんじゃ?」
ミドリは一度目を閉じて、柔らかく微笑んだ。
「うっすら気付いていたんです。私は恵まれてるって」
どきりと心臓が跳ねた。
「アジールに来て、半年以上経ちました。その間、色んな人と話して発達障害のことを受け入れてくれない親ってこんなに多いんだなと思いました。どうせダメって親には言わない人、言ったけど否定された人、言ったら助けてくれる親になった人……色々です。
昔はどうあれ、今の私は親にたくさん助けられています。就労移行に行くお金も気にするなと言われました。恵まれてると思うなら、恵まれたものらしくしないとなと思ってます。それに恨んだこともありますが、やっぱりお父さんとお母さんのこと好きなんですよ」
ミドリは手を振って廊下へ行った。母に電話をするのだろう。あかりは今までそれが眩しくて、しかし今はそうであってよかったと思う。
(ずっとミドリさんの両親が羨ましかった。でも……)
すっとさっきミドリが座っていた椅子に誰かが座った。前と同じラフな格好をしたミサキだった。
「またあの人、親に電話? 実はマザコンなんじゃない?」
「……ミサキさん、ミドリさんはそういうのじゃ」
「まあ、どうでもいいけどね」
ちっともどうでも良くなさそうだ。ミサキはミドリのことの一度も「ミドリ」とは呼ばず「あの人」と呼ぶ。疲れた表情でミサキは椅子の上で足を組む。
「大人になった後も親に守られて就活なんて気楽だよね、あの人は。こっちは毎日嫌でも働くしかないのに。そう思わない?」
「い、いや、私は」
あかりはミドリと違って働いたこともない。就活だって親に衣食住を保障されているからできることだ。
言い淀んでいるとミサキはどんどん話を続けた。
「私の親は発達障害のことで心配なんてしてくれなかった……ずっと働いて家にお金を入れるしか選択肢がなかった。家が嫌でも自立できるほど稼げなかった。あの子は自分が恵まれてるって知らないんだろうな」
「ミドリさんは……恵まれてるのかもしれない。でもそれを知ってるよ」
「なんであなたがそんなことわかるの?」
「そ、それに……私とミドリさんは同じだよ。私は十七年間引きこもっていた。就活始めたのだって本当に最近なんだ」
「……え?」
ミサキの目がすっと細くなる。背筋がすっと冷たくなったあかりに声がかけられた。
「アカリさん、受付は大丈夫?」
雪白だった。いつものようにスタッフに気を配っている。
「あら、あなたはミサキさんね。どんなお話してたの?」
「雪白さん、私は……いえ、なんでもないです」
雪白を眩しそうに見上げるとミサキは椅子から立ち上がり、去っていった。
アジールが閉会に近づくと雪白はあかりにそっと耳打ちした。
「アカリさんにお知らせがあるのよ」
「ええ、なんですか?」
あかりが首を傾げると雪白はいつもように微笑んでいた。受付の方に誰かが歩いてくる。
「ミドリさん?」
「来月からスタッフになってくれるミドリさんよ」
「ええ!?」
普通に驚いて大声を出してしまう。ミドリはにかっと笑うと大袈裟に敬礼のような仕草をした。
「不詳、このミドリ、スタッフ始めさせていただきます!」
「み、ミドリさん、どうして?」
あかりが雪白を振り返るとウインクをされた。
「アカリさんも就活が忙しくなってきたでしょう。アジールも二十人は集まるようになったし、アカリさん一人がスタッフじゃ大変だとずっと思っていたの」
「私もそう思っていました! それに私は前からアジールのスタッフをやりたかったのですが、まずは常連さんになってからと思って……アカリさん、私じゃダメですか?」
「た、確かに助かるけど……」
受付は一人だと離れにくい。会場の設営だって二人でやれば早いだろう。それに二人ならいざという時休みやすい。雪白なりにあかりの就職活動を気にしてくれたのだ。
自分の母のことを思い出す。
(私はまだミドリさんが羨ましい。そばに居たら妬んでいることに気付かれないか怖い……でも、ミドリさんだって悩んでいるって分かった。今なら大丈夫?)
あかりは少し作り笑いをしてミドリに手を差し出した。
「ミドリさん、よろしく。ずっと一人でやってたから助かるよ」
「こちらこそ! 先輩として色々教えてください!」
あかりの手をミドリも握って握手する。
「うん……でも大丈夫かな。確かに私も就活だけど、ミドリさんだって就活でしょ?」
「そこは人数が増えれば大丈夫かと」
「人数?」
そこにもう一人、ブルースが現れた。ちょっと照れたような顔をしている。
「私もスタッフに復帰するよ、毎回じゃなくて臨時だけど」
「ブルースさん!? もうスタッフはやめるって……」
ブルースは少し頬を染めて早口で話した。
「だから、今回はあくまで臨時。毎月じゃないよ。基本的にはアカリとミドリの二人にやってもらう。私はあくまで来た時だけ手伝うの……まあ、またLINEも復帰するし、来る時は早めの来るけど」
あかりは両手を組んでブルースをキラキラと見つめた。また彼女が帰ってきてくれるならこんなに嬉しいことはない。ブルースは頬をかきながら斜め上に視線を逸らす。
「……それにアカリの就活、私も見ていて心配だしね」
「ブルースさん、ありがとう! すごく嬉しい、就活頑張ります!」
「だからぁ、大袈裟だって!」
あかりがブルースの両手を握ってブンブンと振る。ミドリはそれを見て目を輝かせた。
「お二人の友情、眩しいです! あれ、ブルースさんって前もスタッフだったんですか?」
「色々あったのさ、自助グループじゃないか、過去のことは言いっこなしだよ」
「そういうものですか?」
あかりはブルースの手を話して考え込んだ。ミドリのことを気にする自分も自助グループに通うものらしくないだろうか。
(でも苦しいと過去に囚われてしまう。私だけじゃない)
ふと会場にミサキの姿を探す。もういなかった。さっきのことで帰ったのだろうか。
前に本を持っていたから知っている。ミサキは雪白の本が好きなのだ。それなのにいつも雪白には話しかけず帰っていく。
ブルースは手を握ったままのあかりを不思議そうに見た。
「あかり?」
「あ、いや、なんでもないです。とにかくブルースさん、帰ってきてくれてありがとう」
「だから臨時だって……それに二人は就活だからね。私なりに手伝いたいのさ」
「ブルースさん〜」
「だから、あんたは近いんだって!」
そうブルースが笑うとあかりはミサキのことを忘れてしまった。
やはり人手があるのはいいものです
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次回は「祖母という存在」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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