44.お母さんがまさか
今回のお話は「母の疑惑」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
「ええ、お母さんが勝手に婚活パーティーに申し込んだ? お姉ちゃん、それ本当?」
「本当だよ、信じられないけど」
あかりと美希は三宮のカフェに来ていた。前の個室カフェと違い、最近は普通のカフェで話すようになった。値段も半分になっている。
家には母がいるから話せないというと美希は快諾した。そういえば美希は前から「家ではお母さんがいるから話せない」と言っていたあかりはそれを不思議に思っていたのだが今回の件で痛感した。
「お姉ちゃんって結婚したいの?」
「そんなわけないでしょ。お母さんが勝手にやったの」
ただ母が娘と出かけたかったと信じていたあかりの落胆は大きい。また発達障害を貶めるような言葉も許せなかった。
憮然として運ばれてきたオレンジジュースに黒いストローを刺す。美希はアイスティーが前に並んでいる。美希ははあとため息をつくとアイスティーを一口飲むとため息をついた。
「やっぱりお母さんっておかしいよ。普通さ、そんなことしたらお姉ちゃんが怒って帰っちゃうって分からないかな?」
「知らないよ……また発達障害をことを悪くいって許せなかった。普通になれ、普通になれ、私が普通じゃないとお母さんも普通じゃないみたいで嫌だって、うんざりだよ。……今までお母さんにも自分の意見があるのかなって思ってたけど、もう嫌」
「……」
「お母さんのこと軽蔑するよ」
美希は黙ってアイスティーを啜り、姉の言葉を聞き続けた。
「お母さんっておかしいよ。なんであんなやり方でうまくいくわけないって分からないんだろう……」
「お母さんってさ、発達障害じゃないかな?」
「……え?」
突然の美希の言葉に硬直する。母が発達障害?
美希はベージュのバックからハードカバーの本を取り出す。発達障害の本だ。
「お姉ちゃんが発達障害だから私も勉強してるんだ。お母さんって発達障害の特徴あると思わない? 相手の気持ちが分からなくて、相手の顔色が読めない。自分のやり方にこだわる。これってASDの特徴じゃない?」
「で、でも、発達障害なわけないよ。あんなに自分は普通だって言ってるんだよ?」
「それこそ言ってるのはお母さんだけだよ。私はお母さんを普通だと思わない。だって今回の婚活パーティーの件だって普通じゃないよ。それに発達障害は遺伝する、という説もあるんでしょ?」
「それは、そう、だけど……」
あかりには信じられなかった。母は普通になれと子供の頃から言ってきた。だからあかりは「母が普通」だと信じてきた。美希はアイスティーを飲み干して続けた。
「私もちょっと発達障害っぽいとこあると思うな。ADHDっぽいというか、どこかミスが多くてさ。だから今の会社も転職したいんだけど……お父さんとお母さんの遺伝だと思うとなんかしっくりくる」
「お、お父さんも発達障害なの?」
「なんかASDっぽくない? 休みは部屋に篭って一日中自分の趣味だけして、自分ルールを人に押し付ける。私はお父さんとお母さんは似てるから結婚したんだと思うな」
ついていけない。あかりはずっと自分だけがおかしいのだと思ってきた。それは実は家族はみんな発達障害なんてすぐには受け入れられない。
「み、美希はちょっと大袈裟だよ。病院で診断したわけでもないのに発達障害って決めつけられないと思う」
「そりゃそうだけど、そうなんじゃないかなと思うこと自体はいいんじゃないかな。お父さんもお母さんも家族だから他人事じゃないし」
「ずっとお母さんが言う普通になりたかった。それなのに、お母さんが発達障害なんて信じられ……」
その瞬間、あかりの脳裏にある光景が蘇った。小学生に入ったばかり頃の記憶だ。
……「二度と勝手に触らないで!」……
……「お母さん、ごめんなさい」……
母が怒っていた。
あかりは母がよく物を出し入れするタンスが気になって、中身を取り出していたら烈火の如く怒られた。その頃のあかりは母が好きで何が入っているか気になって仕方なかった。
タンスの中身は他愛のない物だった。アクセサリー、書類、着物など日常では使わない母の私物。母のことが知りたいあかりは中身を全部取り出して、あるものを見つけた。
それは封印するように一番底に入っていた茶封筒だった。そこには数枚の紙が入っていて、あかりは取り出した。
(あれ? ……あの紙にアスペルガーって書いてなかった?)
子供の頃の記憶だから断片的な単語しか覚えていない。しかし一番奥に入っていたその書類を母の宝物だと思ったあかりは結構長い時間それを見ていた。
「⚪︎×病院」「アスペルガー」「小川弓子」。そんな単語が書かれていたことを思い出す。小川は母の旧姓だ。
(アスペルガーって昔のASDの名前だよね。しかも病院って書いてあった。あれは診断書……?)
母は本当に発達障害だったのか? しかも診断されていた?
くらりと視界が歪む。今まで信じてきたものが壊れる予感がした。
(あのタンス、今でもうちにある……もしこの記憶が本当ならあのタンスを調べたらお母さんの診断書が入ってる?)
そのひらめきが自分で怖かった。
「お姉ちゃん?」
「……ご、ごめん。ぼうっとしちゃって」
ならばどうして母は普通にこだわるのか。母が発達障害と診断されているはずがない。それならばあかりの発達障害をあんなに否定する理由はないはずだ。
幸い美希はマイペースに話題を変えた。
「まあ、お姉ちゃんの言うことも分かるよ。お父さんもお母さんも診断なんかしないだろうし、今さら生き方を変えるとも思えない。私は……ちょっと診断受けてみたいな、とは思うこともあるけど、すぐにってわけじゃないし」
「う、うん、あんまり憶測で発達障害って言わない方がいいよ」
「それよりさ、就活の方はどうだった?」
現実にギクリとした。履歴書を書いたあかりはハローワークに行き障害者雇用に応募した。両方ともフルタイムの事務職だった。証明写真は近所の写真館を使った。
「ふ、二つ受けたけど……ダメだった」
履歴書を送って、不採用の書類が送られてきた。がっかりした気持ちとホッとした気持ちがあふれた。
「うーん、厳しいね。でも私も三十社受けてやっと受かったからな〜」
「そ、そんなに?」
「世の中には百社受ける人もいるからね。それにこういうのは個人の努力よりも景気に左右されちゃうし」
景気。さらに分からない。引きこもり歴が長いあかりにとっては世界に分からない単語が多すぎる。
「まあ、お姉ちゃん頑張ったんだから、今日はここは奢るよ! お姉ちゃんの未来に幸あれ!」
「そ、そんな、いいって!」
「出世払いでいいから! 就活大変だろうけど、頑張れ!」
結局、妹に奢られるあかりであった。ささやかなオレンジジュースの金額とはいえより就活に熱を入れねばなるまい。
あかりはその晩、こっそり母のタンスを見に行ったがすぐに部屋に戻った。
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次回は「ミドリの過去」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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