42.彼女はミサキと名乗った
今回のお話は「比較する気持ち」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
あかりはぐったりと疲れていた。
ポラリスに週四日、朝から通所することは予想以上に疲れた。朝から働くことがこんなに大変なのかと先が思いやられる。もう三ヶ月やっているがだんだん疲れが溜まってきたと感じる。
(雪白さんが言う通り、休み方が大切なんだろうな。でも休むってどうすればいいんだろう?)
あかりはつい時間があるとスマホでSNSを見ていた。みんな光り輝いていて落ち込んでしまう。YouTubeで動画を見ることもあるが人気がある人を見ると自分を比べてまた落ち込むようになってきた。
今のままではダメだと思う。しかし自室でスマホを見て寝転ぶ以外のやり方を知らなかった。
だから先月はまたサードプレイスに行った。ゲンタは前のように笑いかけてくれて、またナツミとも話すことができた。
疲れているのに外に出るなんてどうかと思っていたが、話すことで気持ちの疲れがかなりとれた。外に出て人と交流することには疲労回復の効果があるなんて知らなかった。
だからあかりは余裕があると感じると土日に出かけることが増えていた。行き先は図書館、しまむら、カフェ、外に出て過ごした。発達障害の本を買って、カフェで数時間読んで過ごすなんて過ごし方は楽しかった。
(家で寝ているより、外で元気が出るなんて不思議だな。やっぱり、ベッドで寝ているとスマホを見ちゃって目が疲れるからかな。いつか、アジールとサードプレイス以外に自助グループに行ってみてもいいかも)
カフェのアイスティーを飲みならがら体重のことを考える。今は七十四キロだ。一時期はハイペースで減ったが最近はあまり減らなくなってきた。これ以上を望むならダイエットが必要だろうか。
(体重減ったからかな、外に出て楽しい。体力も前よりはあるし。それにポラリスも行けて自信がついたから人目が前ほど怖くないのかな)
色々と考えて手帳に「カフェ、読書」と書いた。最近は日記代わりにつけている。書き終わるとカフェを後にした。
あかりはそのまま努力を続けた。その後、ポラリスに朝から通い続けて半年が過ぎ、なんとか挫けることなくやり切った。
そしてあかりは就職活動を始めることにした。ポラリスには通っている間、履歴書の作成をしてもいいと言われてほっとした。
アジールにてあかりは決意表明をしていた。
「ついに就職活動です! ……ふう」
「あらあら、ため息ついて。やりたくないの?」
「……本心で言えばやりたくないです」
自己紹介が終わって受付で雪白と話す。あれから彼女はアジールの終わりの話はしない。ただあかりは前よりも雪白の負担が少ないようによく動いていた。
「でも、これはやらなきゃいけないことですから、ポラリスの力を借りて頑張ります。まずハローワークに行って、若者しごとサポートってとこにも行ってみます。最近は四十歳の人も受けてれてくれるみたいです」
「確かに就活は面倒ね、好きな人なんていないんじゃないかしら」
「これでも最近は就活に備えて、メイク道具も揃えて頑張ってるんですよ〜」
実は父に少し相談した。スーツを買いたいが自分の収入では心許ないというと渋い顔をしたものの二万円を差し出した。
「お前が就活とはな、ちゃんと靴も買えよ」と冷たい口調だったが応援してくれている。あかりはユニクロで大きいサイズのパンツスーツを買い、通販で幅の大きい黒いパンプスを買った。あとは自分で買った。これでメイクをすれば最低限の就活の準備はできたはずだ。あかりなりに貯金もしている。
「就活に向けてメイクも最近は頑張ってるんです。化粧って難しいですね。おでかけ向けと就活向けは違うなんて」
「就活の話ですか?」
話しかけてきたのはミドリだった。ミドリは相変わらず雪白が大好きでよく一緒にいるあかりにも話しかけられる。ミドリは折りたたみ椅子を持ってきて受付の邪魔になりにくい位置に座る。
「私も就労移行で就活してて……でも苦戦してます」
「あらあら、もう就職活動しているの?」
「いや、主には訓練で就活は一社受けただけですが……落ちたもののほっとしているところもあります。また働くかと思うと気が重いっていうか……配慮とかされるのかなーと。だからアカリさんとは最近、メイクの話とかしてて」
「……そうなんです。就活にはナチュラルメイクってミドリさんが教えてくれたんです」
あかりはミドリと話すことが増えていた。ミドリの憧れの雪白のそばにいるからだ。
ミドリ自身も頭の回転が早く就活やメイクのことを話していて楽しかった。就活中ということで共通の話題も多い。あかりが内心で暗い気持ちを隠していなければもっと心を開けたかもしれない。
ミドリ自身はそんな暗い感情のことは知らず、あかりに話しかけていた。
「そうなんです。アカリさんとは就活向けメイクの話とか最近していて」
「私が本当に世間知らずで、メイクの違いすら分かっていなかったんです。TPOに応じて違うんですね。ミドリさんに教えてもらえて助かりました」
多少、卑屈な物言いになってしまう。雪白は少しあかりの方を見た。
「雪白さん」
「ああ、そうだったわ。ごめんなさいね」
呼ぶ声に雪白は立ち上がる。また遠方から雪白に会いにきた参加者がいたのだ。
必然的にその場にはミドリとあかりだけが残される。
(大丈夫、私はミドリさんとちゃんと話せる。就活のことだって話せるのは嬉しい。親のことは……複雑だけど、大丈夫、本当の気持ちは隠しておけばいい)
幸いなのか、ミドリの母親は二回アジールの開催前に現れて菓子を渡して以来、姿を見せていない。
あかりはミドリに向けて笑った。作り笑いになっていないだろうか。
「ミドリさん、履歴書のことなんだけど……」
「ここ、いいですか?」
突然、違う声に呼ばれる。背の高いあかりと同じ年頃のショートヘアの女性だった。暗い茶色のカットソーと黒いズボンを履いている。まだ暑いのに珍しく長袖だ。
名前シールには「ミサキ」と書いてあった。何回もアジールに通っていて、いつもあまり話さず隅でみんなを眺めている。
「うん、いいよ。どうしたの?」
ミサキは立ったままボソボソと話した。聴覚過敏で集団での音を聞き取りにくいあかりには正直聞き取り辛かった。
「ううん、えっと……今ね、就活の話してて」
「雪白さんは……いないですか?」
「え? ああ、雪白さんならあっちで話してて」
「いいです。本人には認知されたくないから……話すの苦手だから好きに話しててください」
ミサキは黙ってしまった。あかりとミドリは顔を見合わせたが、自助グループにうまく話せない人は時折に来るのでそのまま話すことにした。あかりはミドリに踏み入らないように就活とメイクの話だけをした。
「だから面接ってなんであんなにしんどいんでしょうね……あれ、電話? お母さん?」
あかりは身体を硬くする。ミドリはスマートフォンを片手に立ち上がった。少し迷って通話を切るとしばらくLINEに何かを書き込む。肩をすくめるポーズをした。
「またアジールで友達はできたかだって。お母さんは三十超えた娘をなんだと思ってるんだろうな〜。お父さんも似たようなこと言ってるし」
「お、お父さんもそうなんだね」
父親もこんなに違う。また醜い感情が湧いてしまい、あかりは必死に隠した。疲れた口調でミドリはスマホを見下ろす。
「就活始めた途端、前の職場で倒れた時みたいにならないか、二人とも心配して心配して……ありがたいけど、うんざりしちゃうよ。私より発達障害の勉強もしてるし、過保護だな〜」
「……そ、そうなんだ」
父には心配などしてもらえず、母には発達障害を否定されたあかりは声が小さくなっていく。ミドリは特に気付かず文句を言い続け、ミサキは立ったまま二人を見ていた。
「やっぱ、電話してくる。アカリさん、ミサキさん、また後で」
最終的にミドリは電話をしに会場から出て行った。二人取り残された形のあかりとミサキは無言になってしまう。
「……あの人」
「え?」
ポツンとしたミサキの呟きがこぼれる。聞き取るのは苦手なのに不思議とその声は聞こえた。ミサキの視線はミドリが消えた先を見ていた。
「あの人、恵まれてますよね。親が発達障害を理解するのが当たり前みたいに思ってて。そうでない人がどんな思いをしてるか考えたこともなさそう……正直、腹立つ」
ズキリと胸が痛む。それはあかりが思っていたことでもある。ミサキは堰を切ったように喋り続けた。
「ああいう人っていますよね。就活してるっていっても前は正社員だったみたいだし、就活もなんだかんだうまくいくんでしょうね。親だって優しくて……どうして同じ発達障害なのにスタート地点がこんなに違うんだろう?」
内容よりも話すスピードの速さにあかりは目を丸くした。ミサキがこんな風に思っていること、そしてそれが心の中と同じで何も言えなくなる。
「ミドリさん、結構うまくやってるし……本当に発達障害なのかな?」
「そ、それはそうだよ。診断受けたっていってたし、そもそもアジールは診断の有無は問わないから」
ようやくあかりが話すとミサキは再び黙ってしまった。
入り口からミドリが戻ってくる。電話は終わったのだろう。するとミサキは席を立った。
あかりが手を伸ばすとミサキは首を横に振った。
「恵まれている人の横にいると……惨めになる」
あかりは何も言えず、ミサキは去って行った。
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次回は「母の野望」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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