38.羨ましい、と思ってしまった
今回のお話は「それぞれの親事情」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
「えっ、就職活動をしながら通っていいんですか?」
あかりはポラリスの相談室で目を見開いた。目の前にはポラリスのスタッフが二名が座っている。
最近の出来事を洗いざらい話した。今後のことを考えると早めにポラリスを辞めることも視野に入れなければならないなら早めに相談しておきたかったのだ。
「ええ、ポラリスは就職活動を活動内容として認めています。就労移行のように訓練まではできませんが、就労を目指す利用者さんを支援しています。時給は二百円に下がりますが、就職活動をしている間も時給が出ます」
そんなありがたい制度があるとは。あかりは悩んだ。父はあと一年は作業所に行ってもいいと言った。その間にアルバイトを探そうと思っていたが、まさかポラリスが就職活動をしても時給を出してくれるとは思わなかった。
だがあかりはこの話を一度断った。
「あの、ありがとうございます。まさか、そんな制度があるなんて……だったらお願いしたいことがあります」
あかりはポラリスに朝から通うことになった。
元々考えていたことだが朝から通えないと仕事は難しいだろう。思い切って週四日、朝の開始時間の十時から終了時間の十五時まで通うことにした。
「うう、朝起きるなんて私にできるかなあ……」
あかりは自室のベッドに寝転んで天を仰いだ。スタッフに言ったもののできる自信はない。とりあえず明日から土日だから、この二日の間に朝八時に起きるようにしよう。
スマートフォンを取り出して桃プリンにメッセージを送る。《作業所に朝から通うと言ってしまいました。自分で言ったのに正直、自信がありません。それでも案外やればできるのでしょうか?》。
十分後、桃プリンから返信があった。《お疲れ様です。確かにこの一年で作業所に行く時間が急に増えましたね。応援したいけど、私もちょっと大丈夫かなと思っています》。
「だよね……」
納得してスマホを脇に置く。来週から不安だ。それでもB型作業所のこういう仕組みはありがたいと思った。
普通の仕事ならこんなふうにしょっちゅう行く時間を変更することはできまい。ポラリスのスタッフにも相談したが、あまりにきつかったら十一時から行ったり、早退することになっている。
普通だったら行く時間を決めることもできないし、早退も原則しないはずだ。ましてそれをスタッフに応援してもらうなんてできない。
だからこそあかりは今、作業所に通っているうちにその仕組みで朝から通うリズムに慣れようとしていた。
(お父さんはあと一年ポラリスに通っていいって言ってた。お金は引き出し屋に払うつもりだったものよりマシだからやっていいって。だからあと一年でできることをしないと……うーん、半年朝から通えば慣れるかな。それに週五にすることも考えた方がいい?)
残された時間は限りがある。父は発達障害に理解はないが、引きこもりだったあかりが出て行く事には協力的だった。
(そう、お父さんは優しくないけど、協力はしてくれる。お母さんと違って……お母さん?)
いつの間にかそばに母が立っていた。
あまりに気配がなかったのであかりは仰天して、起き上がる。
「お、お母さん、いつからそこに……絶対入るなとは言わないけど、ノックくらいはしてよ」
「あかり」
思わず退いた。母の顔は怖かった。まるでこれから戦場に行く兵隊のようなシリアスさだ。
「あんた、お見合いしなさい」
翌月のアジールで受付を準備しているとブルースに話しかけられた。引き出し屋の件で心配をかけて以来、なんだかんだと前のように毎月顔を見せてくれるようになった。
「お見合い? なんで?」
「知らないよ」
自然と隣に腰掛けたブルースに母の話をする。
「いや、いつもみたいに障害者の施設をやめてほしいって言ってたよ。だからお父さんが行っていいって言ってるし私も行きたいと思ってるからって断った。でもお母さんは結婚すれば働かなくていいんだから、そんな施設は辞められるって意味不明なこと言って」
あの日以来、お父さんが言ってるから、というとヒステリックな母は引き下がるようになった。
「結婚して家庭へ。そりゃ突然だね。お母さんには何かいいお見合いのツテとかあるの?」
「ないよ。お母さん友達いないもん。だからこの話はそれで終わり」
「結婚願望は?」
「ないよ。お父さんとお母さんみたいになりたくない」
あかりは肩をすくめた。母には何度も失望させられてきたが今回は逆に呆れてしまった。何かお見合いのアテがあるのか? と言うと母はハッとして無言で立ち去った。場当たり的な行動だったのだろうか。
(お母さんの気まぐれに付き合っても仕方ない。どうせお母さんは発達障害のこと理解する気がないんだから……)
受付の準備をしていると高い声が会場に響いた。
「お母さん、もういいってば」
「ダメよ、ミドリちゃん。こういうのはきちっとしないと」
ミドリが会場の入り口からやってくる。先月の同じように菓子折りを持った母親が傍らにいる。ミドリの母は白いブラウスに茶色の花柄のスカートを着て、娘と同じように綺麗な人だった。
ミドリ親子が受付に来ると母親が前に出る。ベージュの紙袋の菓子をあかりに渡して深々と頭を下げる。化粧だろうか、いい匂いがする。
「ミドリをよろしくお願いします」
「あ、ありがとうございます、これはみんなで食べますね」
「この子の発達障害のことは私も夫も長い間気付いてやれなくて……私も本を読んで勉強などしておりますがなかなか分かってやれなくて」
「は、はあ……」
ズキリと胸がかすかに痛む。あかりの母は絶対に発達障害の本など読んでくれないだろう。うまく笑えているだろうか。
ミドリの母は微笑んであかりにまた頭を下げた。
「どうかミドリと仲良くしてやってください。発達障害は一生のこと。私たち家族も力になりますが、皆さんのような仲間もきっと娘には必要で……」
「お母さん、だから自助グループってそんな場所じゃないって! 前も言ったじゃない。もう……先月来たんだからもういいじゃない」
「ミドリちゃん、でも、こういう場所で発達障害のお友達を作らないと!」
「私もう三十だよ、お友達って歳じゃないでしょう。ほらほら、もう帰った帰った。いつもみたいにお父さんと映画でも行って」
ミドリがやや強引に母親を会場の外に出す。母親は渋々という表情だったが最後は従った。
「うちのお母さんがすみません」
受付に戻ってきたミドリは参加費を払って、「ミドリ」とニックネームをシールに書いた。ミドリは苦い顔だが笑っていた。
「いつもはあんな風じゃないんですけど、発達障害が分かってからなんか過保護になっちゃって。私はもう三十過ぎているのにな〜」
「……そうなんですね」
あかりの母は過保護どころではない。知った瞬間全てを否定した。
「アカリさんは落ち着いててなんか大人ですね!」
「そんなことないよ」
だってミドリをまっすぐに見ることが出来ない。
(……私のお母さんもあんな風だったらな)
もし自分が母親から同じ言葉をかけられたらと夢想する。
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次回は「雪白さんの異変」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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