36.父との対決
今回のお話は「父のと対決」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
アジールの翌日。あかりの自宅のリビングで諍いの声が上がった。
「引き出し屋って何よ、お父さん!」
「ちょっと、美希!? どうしたの!?」
慌てた母の声がリビングに響く。父に喰ってかかったのは美希だった。美希もあの日から色々調べていた。知らなかった引き出し屋という単語の意味を知り、父の顔を見ると黙ってはいられなかった。
「引き出し屋は何度も訴えられている悪質な業者じゃない! それにお姉ちゃんを無理矢理追い出すなんて私は認めない!」
「美希、どうして怒る? お前は不思議な子だな。お前はいつもできるのに、不思議とあかりを嫌いにならない」
父は怒るでなく不思議そうに下の娘を見ていた。母は自慢の美希が滅多に見せない怒りを父にぶつけていることに狼狽えていた。
「美希、あなた、落ち着いて。あかりがどうしたっていうの? 引き出し屋って何?」
「あかりがこのままなら追い出すと言っただけだ。引き出し屋はあいつを力づくで追い出してくれる。半年ほど施設に入れてその間に俺たちは引っ越す。それであいつとの縁は切れる」
「追い出すって……そんな、みっともない! 近所の人になんて言われるか!」
「お母さん、そういう問題じゃないでしょ! お父さん、私、調べたんだから。引き出し屋を使った親を訴えた子供がいるって、お姉ちゃんがそうしたら私は証言する!」
「美希、どうしてお前は……!」
父は初めて出来のいい美希に怒りの眼差しを向けた。
「せっかくお姉ちゃんが社会復帰しようとしているのにそれを潰そうとしているのはお父さんじゃない!」
「そんなに言うなら、お前があいつを養え! 俺は二十年、いや四十年もあかりを養ってきたんだ! 働けと何度も言ったのに!」
「それなら、いっそ、いっそ、私が……!」
「ストップ」
静かな声が響く。それはあかりの声だった。あかりは美希の声で部屋から出て、ドアの向こうからリビングをうかがっていた。
「お姉ちゃん……!」
「美希、ありがとう。私のために怒ってくれたんだね。でも、私を養うとか考えなくていい……それに前からそうしなければと考えていたんでしょう?」
美希は下を向く。そう、両親がいつかあかりを守れなくなれば、美希にその荷がやってくる。きっと美希がずっと転職しなかったのはそのせいなのだ。
あかりは美希の肩に両手を乗せてにこと笑った。すると美希は顔をあげて驚いたように姉の顔を見た。
「お父さん」
「なんだ?」
あかりは父の振り返る。心臓の音が早い。まだ怖い。
「話があるんだ、お父さんの部屋に行ってもいい?」
でも大丈夫。みんなで立てた作戦があかりにはある。
父の部屋に入るのは本当に久しぶりだった。空気清浄機があるもののタバコの匂いが消えない。賃貸物件だと退去料を取られるだろうかと場違いなことを考える。
「……で、なんだ話ってのは?」
父の眼差しは相変わらず厳しいが少し疲れが見えていた。美希の反抗が完全に予想外だったのだろう。
あかりは父が怖かった。実質、稼げないままでは生殺与奪の権利を握られているに等しい。それでも今は感謝もしていた。ここまで何もしないあかりを養ってくれていたことは事実だからだ。
あかりは深呼吸をして心臓が飛び出ないように右手で胸を押さえた。
「お父さん、取引しよう」
「取引? お前に交渉材料なんてあるのか」
「まず、三ヶ月後に引き出し屋を呼ぶのをやめてほしい。そんなことをしなくても私は数年以内に出ていくから無意味だよ」
「何を言い出すかと思ったら馬鹿馬鹿しい。数年以内に出ていくなんて……信用できるか、二十年もただ養われるだけで何もしなかったくせに」
「お父さん、私は知ってるよ。引き出し屋ってすごくお金がかかるんでしょう? しかも寮に入れたら更に毎月お金がかかる。私が自分で出ていったらそんなお金を払わなくていいと思わない?」
「……」
初めて父に目に戸惑いが浮かんだ。それは雪白の作戦の一つだった。
昨日、あかりが雪白に話した父の性格がある。父はいつも部屋に引きこもって家族と交流しないこと。子供の頃からほとんど会うのは夕食の時間だけだったこと。基本的に換気扇の下だが部屋でこっそり部屋でも吸っていること。
そして夕食の時に牛肉が出ると怒ること。父から言わせれば贅沢すぎる、誰が金を稼いでいるんだと言ったこと。そう、父はケチなのだ。だからあかりを追い出すために引き出し屋の大金など本心では払いたくないに決まっている。
父は一瞬たじろいだがすぐ平静に戻った。
「だからなんだ。お前は二十年も引きこもっていたじゃないか……いや、美希がいうには三年前から外には出ていたようだが、どちらにせよ十七年だ。そんな長い間こもっていたお前が数年したからってまともに出ていけるもんか。あかりは力づくで追い出すしかない」
「お父さん、本当は老後のためにお金を貯めてたんだよね? 引き出し屋のお金はそこから出すの? 本心では払いたくないよね。ずっと貯めてきた自分のお金だもん」
「当たり前だ! だが仕方ないだろう、お前が出ていかないんだから!」
「……!」
父が立ち上がって怒鳴ったのであかりは怯んだ。しかし雪白とブルースのことを思い出してなんとか踏みとどまる。
「今更私を信じられないのも分かる。でも今度だけ信じてほしい。これから二年。その間に出ていく。だから引き出し屋は必要ないよ」
「ふん、そんな言葉を信じる理由がない」
「もし二年以内に仕事が見つからなかったら、私は家を出て生活保護を受ける。一人で暮らす。もうお父さんの前には顔を出さないよ」
「……生活保護?」
あかりは珍しい父の驚いた顔を見た。
「生活保護って……なんだ結局は他人が頼りか」
「そうしている引きこもりの人がいるって知ったんだ。もう長い間引きこもって両親が養えなくなったら生活保護を受ける選択をすることを。私もそれは最終手段にしたいけど、それでも二年経っても自立できなかったらそうするよ。どう転んでももうお父さんは私を養わなくていい」
「……だが」
「役所の人から連絡が来ると思う。でもお父さんとお母さんはもう老後で年金で暮らしているだって言えばそれ以上言われないはずだよ」
「……」
父の迷いを感じた。だからあかりは勇気を出してもう一歩踏み出した。
「お父さん、あと二年だけ、信じてほしい」
「お前を信じろだと!? 二十年もただ食うだけで、話もしなかったお前を信じろっていうのか!?」
父が激昂して立ち上がる。あかりはなんとか踏みとどまった。
あかりは背中に冷や汗が伝うのを感じた。雪白との作戦通りここでそれでも引き出し屋を呼ぶと言われたら、それこそ生活保護の申請に行かねばならない。里中は手伝ってくれるだろうか。いや、相談支援というところに頼むだっけ?
(大丈夫。お父さんがなんて言っても私はこのままポラリスに通って仕事を目指す。それがこのまま家にいるか、生活保護を受けて一人暮らしになるだけ)
安心が一番大切だと教わった。自分を安心させてやらねば。
「どうして、お前、笑っているんだ……?」
「私は……自分を信じてる、きっとなんとかできるって信じる」
父は何かを言おうとしては沈黙した。あかりはそれ以上の言葉は浮かばずそれを見守った。そうして十分以上が経過した。
父は一本タバコを取り出して火をつけた。
「……お前がそんなことを言い出すとはな。誰が何を言っても部屋から出てこなかったのに。まともに話そうとしなかったのに」
父は純粋に驚いているようだった。椅子をキイと鳴らす。
「いいだろう、二年以内だ。引き出し屋の話は一度白紙に戻す。俺も年だ、余計な出費は抑えたい」
「……お父さん!」
「ええい、寄るな。こっちの方が得なだけだ。このままお前を追い出すと美希にも何かされそうだしな」
一歩あかりが近寄ると父は力なく手で追い払った。けれどあかりはそれでも嬉しかった。
「お父さん、ありがとう! ありがとう! 私、二年以内に必ず出ていくから!」
安堵で滲んだ目端の涙をあかりはゴシゴシと拭った。
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次回は「割り切れない想い」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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