30.買い物に行こう
今回のお話は「地道な努力を積み重ねる」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
「お客様、お似合いですね」
買い物とは? とあかりが美希に連れられて場所はスタッフの笑顔が眩しい三宮の洒落た服屋だった。
百貨店ではないが大きなビルに入ってる店であかりはその時点で気後れした。そこで美希が見繕った服をあかりは鏡の前で次々身体に当てていく。
「ちょっと、ストップ、美希。だから急にどうしたの? なんで服?」
「だってお姉ちゃんパソコン使う仕事してるんでしょ? なら上下スウェットじゃダメでしょ?」
あかりの服は基本的に家でも外でも同じだ。上下の色が違うスウェットでそのまま寝れる。上下の色も白、黒、グレーの三色だ。あかりは太っているので大きなサイズを取り扱っているしまむらで買っていた。
「だ、ダメなの?」
「うーん、最近は職場によるかな? でも家で着ている服そのままはどうかと思う」
美希は胸元がフリルになったワイシャツをあかりの前に当てる。流石にそれはお断りするとそこは納得してくれた。
「ちなみにここの会計は……?」
「もちろん、私が払うよ! お姉ちゃんと私の未来のために!」
どうしよう。こっそりさっきのフリルのシャツの値段を見るが五千円もする。
美希なら払えるだろうが流石に申し訳ない。しかしあかりには高すぎて買えない。ここは一枚だけ美希の顔を立てて受け取るべきだろうか……?
「お客様、申し訳ありません。当店ではお客様のサイズがないようで……すみません」
幸いというか、試着の段階であかりの入るサイズの服がその店にはないことが判明した。
ちなみにあかりの体重は現在七十七キロである。毎晩体重計に乗っている効果かようやく七十キロ台になれた。地味な変化だが減って嬉しいのでサイズがないことにそこまで落胆せずに済んだ。
美希は明らかなほど落胆した。
「ご、ごめん、お姉ちゃん。ここ私がいつも使ってる店だから……大丈夫、上に大きいサイズのお店があったはず!」
「美希、美希、大丈夫だから。それにもし、本当に買ってくれるなら行きたいお店があるの」
JRに乗って姉妹は神戸駅に降りた。
地下道を通った先にあかりが何度か服を買いに来たしまむらがある。ここは店の規模が大きくてどんな服でも手に入り、何より当然のように大きなサイズの展開がある。
そして安い。これなら美希に買ってもらってもそこまで心は痛まない。
「ここ、たまに来るんだ。ここなら安いし、サイズもあるから」
「……本当にここでいいの?」
美希はファストファッションであることが気にかかるらしい。
「私にとっては慣れた店だから、この方が落ち着くよ。ほら、ここが大きいサイズのエリア」
しまむらにはどこでも大きなサイズのエリアがあって、そこだとあかりにも選び放題だ。しかも安いし、デザインも多様だ。もちろんオフィスカジュアルの服もある。
あかりはオフィスっぽい生地の黒いズボンを棚から取り出した。サイズは3Lで腰のところがゴムになっていて楽に履ける。値段は千四百円。これなら罪悪感少なく買ってもらえる。それに美希の言う通り、パソコン作業をするなら一つくらいこういうものを持っていた方がいいのかもしれない。
「……これだけでいいの?」
「私には明日からすぐ使える方がいいから」
「ダメだよ」
美希はさっきと違う焦った声を出した。
「お姉ちゃんがせっかく外に出るようになったのにこれだけじゃダメだよ!」
あかりは美希の目を見て悟った。美希はずっとあかりに外に出て欲しかったのだ。だから自主的に外に出てきたこのチャンスを逃すまいとしている。
美希ははっと我に帰るとあかりがズボンを取り出した棚から同じサイズのズボンを取り出す。
「これは買うよ。でも一つだけじゃ足りない。さっき週三回行ってるって言ってたじゃない。それに上も買わないと」
「そ、そこまでしなくても」
「それにしまむらならさっきのお店のブラウスの値段でそれくらい全部買えるよ。あ、色違いも買わないと……お姉ちゃん、試着できるよね?」
「う、うん」
美希の迫力に負け、彼女が持ってきたシャツを試着するあかりであった。
結局、その日、あかりはしまむらで四着の服を美希に買ってもらった。黒いズボンが二つと白とライトブルーのワイシャツが一枚ずつあかりのクローゼットに追加された。
「もしもし、はい……今日はしんどくて、休みます……はい、次は大丈夫です。すみません」
美希と買い物をした次の水曜日のお昼、あかりはポラリスに電話をかけていた。休みの電話だった。
月曜日は作業所に行けたのだが、厳密には仕事ではないとはいえ、決まった作業をコツコツするということは思った以上に疲れた。この三週間の疲れが出たのかもしれない。
結果、今日は休んでしまった。ブルースが言っていた通り、作業所という場所は休みやすい。だが罪悪感はあった。
(せっかく美希が服を買ってくれたのに……情けない)
月曜日は美希が買ってくれたライトブルーのシャツと黒いズボンを着ていった。それが少し誇らしかったのに二日後にはこの有様だ。
ベッドに寝転んでスマホを放り出す。あんなに期待していた絶対に美希には言えない。雪白とブルースから休むこともあるだろうから気にしすぎないようにと言われた。心配してくれるのは分かるがそんなに自分は虚弱に見えるだろうか。しかし、現実にそうなっている。
(ええと、そんな時どうするかも相談したんだっけ。キリンに行く? でもポラリスに行けなかったのに……まず、休むことに集中する。そっちだな)
あかりはスマホの電源を落とし、本棚から本を取り出して静かに過ごした。自立とはこういう地味なことの繰り返しなのかなとぼんやり思い浮かべた。
その後、半年は似たような日々が続いた。時々休みつつ、あかりはポラリスに通うことを諦めなかった。徐々に午後から週三回の通所が安定して、もらえるお金も五千円を超えるようになった。
工賃はわずかでも小遣い以外に自分で稼いだお金があることがあかりはとても嬉しかった。工賃をもらった日はしまむらに行って、美希に買ってもらったような服を数枚買ってパソコン作業の時に着て行った。
「あかり……あんた、どうしたの?」
「いや、別に……なんとなく」
その間にも別の形で努力した。あかりは朝九時には起きるようにして、自室だとまた寝てしまうのでリビングで過ごすことが増えた。調子がいい時はキリンや図書館に行ってみた。
一ヶ月続けられたら、ポラリスの始業時間の十時、いや、まず十一時から通うことにチャレンジしてみよう。それで時給だって増えるし、自信にもなるはずだ。
「お母さん、もしよかったら家事手伝おうか? 毎日は無理かもだけど」
「……どうしたの、急に」
母の冷たい視線にたじろぐが、母にだってプラスになるはずだと勇気を出す。
「い、家にいるんだから多少は手伝おうかと思って……嫌ならいいけど」
「……」
最終的にあかりは洗濯物を干すことを任された。洗濯カゴを持って朝日の中、洗濯物を干していく。正直、まだ眠い。
(いい天気だなあ)
物干し竿にかけられたハンガーで揺れる洗濯物を見て、ベランダに出ることが数年ぶりであることに気づく。
これも雪白の受け売りだった。可能な範囲で家事を手伝うこと。家事はいつか家を出るなら自分でしなければならない。その時にいきなりやるより手伝いながら学ぶことも最終的にあかりのためになることなのだ。
もちろん、母のことはまだ恨んでいるので複雑だが、家を出るためだ。
(それに美希には心配をかけた。期待されてる分頑張らないとな)
母から多少小言は言われたが洗濯物を干すことは概ねうまくいった。洗濯物が風になびく姿に家を出て行こうとしていることが酷く不思議に思えた。
(不思議だな。家を出て行こうとしているのに、こうしているとここから出ていくなんて想像もできない)
あかりは生まれてからずっとこの家に住んで、暮らしてきたのだ。一人暮らしとはどんな世界だろう。
こうして時々、家事を手伝うようにしながら、あかりはアジールと病院に通い続けた。
キリンにはやはりいく量が減ってしまったが時々顔を出した。小百合は相変わらずギターを里中に習っていて、美しい旋律をあかりに聞かせてくれた。
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次回は「誕生日パーティー」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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