26.作業所に行ってみよう
今回のお話は「作業所」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
ブルースはスタッフは辞めたがあかりの友達になってくれた。こうして日曜日に待ち合わせをする程度には。
「ブルースさん! ブルースさん! なんか作業所って搾取されるらしいですよ! 辞めた方がいいです!」
「うわ、絵に描いたようなネットの切り貼りを間に受けてる」
あかりとブルースは定番になったファミレスで話していた。あかりはスマートフォンでブルースにSNSのポストを見せている。
「見てください、作業所は低賃金で福祉から搾取される場所だって書いてあります! こっちには動画も!」
今度はショート動画を見せ始めるあかりにブルースはストップをかけた。あかりはいつものオレンジジュース、ブルースはコーヒーがテーブルに並んでいる。
「ストップ、ストップ。落ち着いて。たまにそんな場所もあるらしいけど、基本的には作業所はそんな場所じゃないよ」
「でも」
「アカリ、まさかと思うけど、そんな風にネットの噂を間に受けてるの?」
「え、え……ネットに書いてあることは本当じゃないんですか……?」
声が小さくなるあかりは誤魔化すようにオレンジジュースを啜る。もちろんインターネットのことが全て真実だとは思っていないが、こういう口コミのようなものは信じてしまう方だった。
(もしかして私、騙されやすい?)
落ち込むあかりのよそにブルースはサバサバと話題を元に戻した。
「そんなことより、どうだった? あの美容院?」
あかりは発達障害に配慮をしているとホームページに書いてある美容院に行ったばかりだった。
あかりはずっと人に接する美容院が苦手で、引きこもりも相まって髪が伸ばし放題になっていた。腰まで伸びた髪は洗うのも乾かすのも面倒で、なんとか風呂には浸かるものの髪を洗わない日も珍しくなかった。
無論、キリンやアジールにいく日は頑張って洗っていたのだが……それを聞いたブルースが「発達障害に配慮した美容院がある」と勧めたのだ。
「いいところでした。BGMもないし、どんな髪型にしたいか以外は何も話さなかったので楽に過ごせました」
あかりの髪は今は肩を少し過ぎた程度の長さになっている。全体もすいてもらってスッキリと軽くなった。終わった時は床に落ちた髪の量がすごいことになっていた。
「よかった、似合ってるしいいじゃん」
ブルースが笑ってコンパクトの鏡を見せてくれる。不思議なもので髪を切っただけで少し痩せて見えた。これがヘアセットというものだろうか。
「教えてくれてありがとうございます。我ながら、髪を洗うのをサボるのはどうかと思っていたので、見た目以外の意味でも助かりました」
「いいって。鬱の時は風呂に入るのが大変だからね。私もそれで短いし」
「そうだったんですか? ブルースさんは、その、別の病気だと」
「昔は長かったね。そうだね、まず鬱になって動けなくなって酒に手を出して……って感じだった。精神科では最初に鬱の治療をしたよ。もちろん依存症の病院にも並行して通ったけどね」
今のブルースはワンレンのボブのような髪型だ。髪が長いブルースが想像できなくてあかりは不思議な気がした。
「それはそうと結局、作業所ってなんなんですか?」
「まずはA型とB型っていうのがあってね……」
作業所とは昔の呼び名で今は就労継続支援というらしい。
ブルースの話を聞きつつ、あかりは悩んでいた。一週間前に三十九歳になった。ついに四十歳が見えてきた。それなのに家を出る目処はついていない。あかりにとって簡単なことではないと思うが、とても遠い道のりに思えて時々挫けそうになる。
(キリンには週四日通ってる。病院も通ってる。アジールのスタッフもやってる)
なら次はなんだろう?
アルバイトのことも当然考えた。無料の就職情報誌は使わないのに何度もコンビニから持ち帰っている。けれどどうしても履歴書が書けなかった。履歴書の空白期間を面接で説明すると思うとどうしてボールペンを持つことができなかった。
(面接、怖いんだな、私……)
ブルースの声にハッとする。せっかく説明してもらっているのにぼんやりしてしまった。
「確かにB型は時給二百円くらいだけどさ、何も搾取なんて言わなくていいと思うんだよね。配慮されながら就労訓練できるし、午後からも通える。B型なら週一日からだって行ける場所が多いし休みやすい。人によってはある種の居場所かもね。それに少ないけど工賃が貰えるって結構嬉しいものだよ」
あかりはそうなんですねと相槌を打ちつつ、B型作業所というところでは家を出るのは無理そうだなと思った。
「それにB型には履歴書も面接もいらないし……」
「そうなんですか!?」
そんな場所があるのか、と思い切り食いつくあかりだった。
三ヶ月後、あかりは日々をキリンとアジールで過ごしつつ、とある郵便物を待っていた。
(受給者証ってどんなものなんだろう?)
結局、あかりは作業所、就労継続支援B型にいくことにした。
自立のためにアルバイトと迷ったが、どうしても履歴書を書くと手が震えた。それに過去でコンビニのバイトで「なんでこんなこともできないんだ」と責められた記憶が蘇り進まない。
それををキリンやアジールで相談して、まず作業所に半年通ってみることにした。時給二百円では自立はできないが、まず通う場所で作業することに慣れることを選んだ。
(貰えるお金は安くても、厳密には仕事じゃないとしても。行く場所があってやることがあれば、少しずつ怖い気持ちも薄れていくかもしれないし)
するとすぐには使えないのだと知った。まずは区役所の福祉課で申請して、受給者証というものを発行しないと作業所には行けないと知った。他にも色々なサービスが受給者証で受けられるらしい。あかりは精神保健福祉手帳を持っていたので手続き自体は比較的スムーズに進んだ。
しかし、時間がかかるらしく最長で三ヶ月はかかると窓口で言われた。結構ショックだったがキリンで里中に「その間にあちこち見学に行くといいですよ。この辺りは色々な作業所があるから合うところを見つけた方がいいです」と優しく教えてもらった。その時、作業所は一つではなく、多様なのだと知った。
ブルースに話すと「なんだかんだ仕事と同じで通いやすい方がいいよ。やりたいことがあるならいいけど、遠すぎると勧められない」と言っていた。通所距離というものを知り、調べると徒歩で通えるところに一つ、バスで通えるところに三つ見つけた。幸い、神戸市は障害者手帳を持つ人に福祉乗車証を発行してくれているのでバスは乗り放題だ。待たされることには失望したものの、その間に一つでも多く見学に行こうと決めた。
(色んなところがあったなあ。チョコレート作ったり、カフェやってたり、軽作業? ってやつをやってたり、パソコン作業だったり)
仕事ではなく作業というらしいが作業自体かなり多様だった。華やかだったがカフェは対人業務がありそうであかりには無理かもしれない。見学すると雰囲気自体が作業所ごとにかなり異なっていると知った。
どうせすぐには通えないので週に一度のペースで見学を続けると「ここは無理だな」や「ここならいけるかも」という場所を見つけることができた。不意に仕事自体も同じであかりに向く場所、不向きな場所を選ぶことが大切かもしれないと思う。
(それにどこも午後から通ってもいいって、ありがたい)
改善しているもののまだ午前中に活動することが難しいあかりだった。十時には起きるようになっていたが活動するとなると難しい。九時から始める作業所もあると思うと本来仕事をするならそれに間に合うくらいに起きることも求められるのだ。
(仕事ではないとはいえ……仕事みたいなところもある。朝から行けるようになったら私も仕事できるかも)
三十九歳になったことを気にしていた。四十歳になる頃には仕事をして家を出る目処はついているだろうか。
「きっと四十になる頃は毎日行けて、今度こそ仕事ができる」
気合いを入れるためにポツリと声を出す。
「どうしたの、あかり? 何か言った?」
「ううん、作業所のこと考えちゃって。まだ受給者証来ないなあって」
あかりはキリンにきて、いつものように小百合と過ごしていた。小百合は里中にギターを教わり、かなり練習に励んでいた。キリンのプログラムで利用者の前でギターを披露する機会もあった。あかりは見る側として小百合を応援した。実際、彼女の腕前はメキメキと上達していた。
小百合は視線を落とし、あかりではなくギターの弦を眺めた。
「……作業所ってとこに行くんだね。仕事なんてすごいね、あかりは」
「そんなことないよ。まだ行ってもいないし、厳密には仕事じゃないらしいよ」
実際ブルースに何度か確かめてみたが、仕事でもあり、そうでもないらしい。就労訓練というのが正確らしい。あまりスピードを求められる場所でないと聞いて心のハードルが下がった。
あかりは作業所という新しい世界に意識が向き、小百合の暗くなった視線に気付かなかった。
「そうだ! 小百合も行ってみない?」
「……え」
「私も小百合が一緒なら、嬉しいし!」
いいアイデアを見つけたとなったあかりに小百合は視線を外した。ギターを握る手に力がこもる。
「ごめん……私、まだそういうのは、興味持てなくて」
「そうなの? 小百合ならどこでも行けると思うよ」
あかりの表情が明るくなると対照的に小百合は視線を遠ざかっていった。
「それより、私……あかりがキリンに来るのが減っちゃうのが寂しい」
「そんなはず……」
「ないの?」
「……ある、かも?」
厳密には違うとはいえ、働くのだ。まだピンときてないがあかりにとってはかなりの疲労になるだろう。
週三日から始めるつもりとはいえ、行く義務のある作業所に行けば行く義務のないキリンを天秤にかけるとこなくなる日が増えはずだ。キリンが好きなあかりは動揺した。何かを得るために何かを捨てるかもしれない。
「その……キリンは土曜日もあるし、もしかしたら来ることは減っちゃうかもしれないけど、来るよ。ここには小百合だっているんだし」
「……」
「小百合?」
「応援してるよ、あかり。新しい場所で頑張って」
あかりは頷いたが、小百合は優しいが影の拭えない笑みを浮かべた。まるで一人ぼっちの転校生が置き去りにされたみたいに。
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次回は「あかりの妹」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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