25.友達が増える
今回のお話は「あかりの価値観の変化」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
翌月のアジールにはブルースはこなかった。あかりはすでに雪白にブルースがスタッフを辞める意向を伝えていた。
アジールが始まり、会計と自己紹介が終わる。受付であかりはしゅんとしていた。隣には雪白が座っている。
「ブルースさん、やっぱり来ませんでしたね……」
「そうねえ……でも、また来るかもしれないって言ってたんでしょ。ひょこっとまた来る日もあるんじゃないかしら」
「雪白さんは強いですね。ブルースさん突然いなくなったのに」
「そもそも自助グループってそういうことの繰り返しでもあるわ。すごく共感して話した人と二度と会えないなんてよくあることよ。私からするとブルースさんって遠い昔に会った人に突然再会したようなものだし」
「……そうですね、一度しか来ない人も多いですよね」
あかりは会場を見回した。あかりはあまり参加者と話さないが、それでも見知った顔がいる。自助グループは何度も来てくれる人もいれば、一度しか来ない人も多い。そう思うとあまり話さなかったことが寂しく思えた。
「雪白さん、ごめんなさい」
突然立ち上がり、雪白に頭を下げる。雪白は目を丸くした。
「どうしたの、突然?」
「ブルースさんのことを社会のお荷物だって言ったこと、それを嗜められたら怒って立ち去ったこと……ごめんなさい。私はどうしても自分がみじめで、でも誰かに分かって欲しくて、勝手に自分の同じみじめなカテゴリーに入れていました。
でも違う。ブルースさんは自分と戦っていて、私なんかとは違った。自分と一緒にブルースさんを見下げるようなことをして本当にごめんなさい」
あかりは長く頭を下げていた。かなりの時間を経て、頭を上げると雪白はいつものように穏やかな表情を浮かべていた。
「見えづらいだけで、誰でも懸命に生きているわ。ブルースさんだけじゃない。アカリさんも必死に戦っているわ。でもそれがまだアカリさんには見えないのね。
でも変わっていっているわ。ブルースさんのことは「働いていないから一律にダメ」じゃないと分かった。きっといつか自分の頑張りのことも理解できる日が来るわ」
「私……頑張っているんでしょうか? とても普通にはなれなくて、そんな風には思えないくて……」
「ブルースさんにもそう思う?」
あかりはハッとして、首を横に振った。ブルースは、誰もが、自分のフィールドで懸命に生きている。いつか、自分のこともそう思えるようになる日が来るだろうか。
「雪白さん、私、いつか、少しは自分のことを好きになれるでしょうか」
「なかなか難しいわ。私もそうだった。発達障害で周囲と違うことを責められたら、誰だってそのままの自分を好きでいるのは難しい」
あかりは俯いた。雪白でさえ難しいのだ。
「でも、誰かのことを好きになることはできる。アカリさんが今ブルースさんを想っているように。そんな風に誰かをことを少しでも好きになれれば、その「誰かを好きな自分」のことは好きになれる。アジールはそういう場所にしたいと思っているわ。個人的には世界もね」
今日はあかりはちょっと大胆だった。十五時を周り、受付を一旦離れると参加者の輪に加わった。
「話、入れてもらっていいですか?」
アジールの参加者は交流の時間は席は決まっていないし、自由に移動していい。だから途中から会話の輪に入りやすい。
「私、バイトならできると思ったんですけど、雑談の輪に入れなくて……」
そしてそんな立派な「働いている」人の話を聞く。前なら辛くて、すぐ離れるか心を閉ざしていたかもしれない。でも今のあかりはその人の話をじっと聞くことができた。
しばらく、そんな話が続いた。大抵の発達障害の人は職場でのミスや人間関係で悩んでいる。そんな話が続いて人の輪が大きくなると、小さな輪に分かれていく。
あかりはどの輪に入るか悩んでいるとポツンと一人の女性が隣にいることに気づいた。しゅんと俯いている。確か自己紹介で花の写真を撮るのが好きだと言っていた人だ。名前が思い出せなくて名札を見てマリエだと思い出す。
「あ、スタッフさんですか……隣、いいですか?」
「はい、もちろん」
マリエはわずかに顔を上げるとあかりに向き直った。
「あの、みんな立派ですよね……私、一年前にバイト辞めてから、ずっと働いてなくて……」
「……」
「こんなこと言っちゃいけないけど、働いている人の悩みを聞くと自分がみじめになるんです」
ブルースの言う通りだ。アジールに来ている人に働いていない人はたくさんいる。ただ言いにくいことだからなかなか聞こえてこないだけだと。あかりのように輪に入ることを拒絶していると分からないままになってしまう。雪白にもさっき働いていないという悩みを持つ人が多いことは確認している。
あかりはマリエに微笑みかけた。
「大丈夫ですよ」
「でも……」
「私も働いてないですから……内緒ですよ?」
あの時、ブルースもこんな気持ちで話したのだろうか。
次の月、ブルースがアジールに現れた。大きな花が印刷された紙袋の菓子折りを下げて雪色に頭を下げた。あかりは嬉しくてたまらなかった。
「ブルースさん! また来てくれたんですね、よかった!」
「やっぱり、一度謝りたくて……雪白さん、ごめんなさい」
「いいのよ。スタッフのことについて今後参考になったわ……今日は、普通の参加者でいいのよね?」
「……はい、まだ自分のことが信じられなくて」
「自分の限界を考えているっていいことよ。もちろん、アジールにはいつでも参加していいのよ。もしスタッフをまたやりたくなったらその時は言ってくれればいいし、毎月じゃなくてもいいの。スタッフって無理してまでやるものじゃないわ」
「……ありがとうございます」
ほっとした表情のブルースにあかりが寄る。距離が近い。
「ブルースさん〜、よかった。もう会えないかと」
「大袈裟だよ……いや、大袈裟じゃないのか。自助グループに限らず、自分の生活圏が違えば二度と会えないのも珍しくないし」
「そうですよ、一期一会です! だから……また会えてよかった」
「それでもアカリは大袈裟すぎ〜」
多少近寄って笑い合う。そんなことができる人が自分にもできたのだとあかりは柔らかな気持ちだった。
そのまま立ち話をしているとまた会えたのだと喜びが湧く。ブルースも楽しんでくれているようで他愛無い話をした。
しかし、ブルースからポロリとこんな言葉が溢れた。
「だから行ってる作業所がいいとこなんだけど、業務が合わないのかなって」
「……作業所?」
「うん、アカリ知らない? 今は就労継続支援って言うんだけど……」
「それって、それって、業務って……ブルースさん、働いてるってことじゃないですか〜!」
「ええ? まあ人によるというか、働いていないと言えばそうだし、働いているといえばそうなのかな?」
「騙された! 騙された! 仲間だと思ったのに〜!」
「こら、働くだけが人間の価値じゃないって分かったんじゃないかったの?」
「そんなの屁理屈です〜」
一歩進み、もう一歩進みきれないあかりであった。
そんなあかりは来月で三十九歳を迎えることになる。
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次回は「作業所ってどんなとこ?」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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