24.ブルースの病気
今回のお話は「ブルースとの会話」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
雪白は大丈夫と言っていたがあかりは安心できなかった。結局、その日ブルースは会場に戻ってくることはなく、あかりは雪白と二人で会場の片付けをした。
(ブルースさんに電話してみようかな……)
家に帰って、自室のベッドに転がる。スマホを取り出してLINEに登録されたブルースの名前を見る。一応、スタッフになった時にあかりとブルースも連絡先を交換しておいたのだ。もっともほとんど使うことはなく、最後の履歴はあかりがアジールがなくなるとパニックになった時の不在着信だけだ。
電話のボタンを押そうとして、指先が震えて止める。
(ダメだよ、だって今日は私のせいじゃん)
あの時、ブルースに全てを押し付けてしまった。知らなかったとはいえ、倒れた人がいて慌てたとはいえ、ブルースを追い詰めたきっかけはあかりなのだ。思い出せば何度も雪白がそれとなく会計をあかりに任せていたのに気付かなかった。
(人と関わったことが少ないから……こんな時なんて言えばいいか分からない)
迷っているうちにLINE画面がすっと表示された、ブルースからの連絡だった。
ブルース《アカリ、今日はごめんね》
ブルース《突然、ごめん。話したいことがあるから前のファミレスに明日来れないかな?》
翌日、あかりとブルースは前に来たファミリーレストランで向かって座っていた。午前中だからか人が少ない。今日はいつもの彼女らしくない、グレーのスウェットに淡いジーンズというコントラストの低い服装だった。
あかりの前にオレンジジュース、ブルースの前にホットコーヒーが運ばれてくるとブルースは口を開いた。
「……昨日は本当にごめん」
ブルースは深々と頭を下げる。あかりは慌てて遮る。
「違うよ、私こそ……ごめんなさい! 計算障害のこと知らなくて!」
あかりは自分で驚いた。ごめんなさいという言葉は高校の頃からずっと言えなかった。それが今言えた。身体がこれが必要だと分かったからかもしれない。
「それは私が黙っているように言ったせいでしょ、アカリは何も悪くない。自分でもどこか忘れていたかったのかもね」
ブルースは自重気味に淡く笑った。
「……アジールのスタッフを辞めようと思うんだ。アカリには雪白さんにそう伝えて欲しくて」
「そんな、ブルースさん……どうして? 私、これから気をつけるよ。もう会計をブルースさんに押し付けたりしないから!」
「これくらいなら私でもやれると思っていたんだ。自分でもどこかで計算障害のことを甘く見ていた。でも結果がこれ……それに元の病気の症状が出そうになって」
「病気?」
ブルースは一度顔を上げ、そして下を向いた。
「アルコール依存症。私さ、前の会社で特性上無理に近い業務に変わって、そしたらあんなに大好きだった会社に行けなくなって……ある日から酒を飲んで会社に行くようになった。雪白さんから聞いてない?」
「……ううん、雪白さんはただブルースさんは計算障害があって、会計はできないってだけ」
「そっか、雪白さんが勝手にいうわけないか。何年かで私はボロボロになった。もちろん、仕事なんてまともにできやしない。
それでも私は自分のできないことを受け入れられなかった。数年すると限界が来て救急車で運ばれた。何年か休職したけど、治療で精一杯で退職するしかなかった……信じられなかったよ。
私は自分を強い人間だと信じていたから、依存症を受け入れるのにそれから何年もかかった」
ブルースはコーヒーカップを口だけをつけてソーサーに戻した。
「前言ってた他の自助グループってのは、アルコール依存症の会。通ってないと酒飲んじゃうからさ。もう一生飲んじゃいけないんだから」
「一生? そんなずっと?」
「そういう病気だからね、二度と酒は口にしちゃいけない」
ブルースは俯き、一度窓の外に視線をやった。
「それなのに……昨日、一つだけ酒を買ってしまったんだ。自助グループ、断酒会でいつも仲間ともう飲まないって約束しているのに。計算障害のことも、それをいつまでもアカリに黙っていることも、昨日のことも、何もかも自分がみじめだった。そのみじめさを誤魔化したかった。……昔みたいに」
あかりは言葉が出てこなかった。それはブルースにとって大切な決意だったのではないだろうか。それをあかりが会計を押し付けたことで無にしてしまった?
ブルースはさらに深く俯き、懺悔しているようだった。
「……家に帰って、酒を開けようとして、断酒会の仲間のことを思い出した。私は、一度だけ飲もうとして、結局シンクに全部捨てた」
彼女は片手で目を覆い、天井を仰いだ。
「それで断酒会に行って、全てを告白したんだ。仲間たちは思いとどまったことを褒めてくれた。私はなんだかずっと泣いていた」
「……よかった」
あかりにはアルコール依存症のことは名前しか分からない。それでも昨日のブルースに仲間がいて、寄り添ってくれていたのだと知ると嬉しかった。ブルースは顔を上げてあかりの目をまっすぐに見た。
「アカリはさ、なんだか最初からぶつかって、でも意外と面白いやつで計算障害のことも依存症のこともなんだか言えなかった。雪白さんには再会した日に全て話したのに、他の人にはどうしても言えなかった。
はは、私もアカリのこと言えないね。私も雪白さんにしか話せないと思っていた」
あかりもブルースの目をまっすぐ見返した。雪白の言葉を思い出す。
ブルースは社会のお荷物だろうか。こんなに懸命に自分と戦っている人が本当に落ちこぼれだろうか。誰にでもそれぞれ事情がある。それぞれの戦いがある。それを本当にわかっていなかったのはあかりの方じゃないか?
「ブルースさん、本当にごめんなさい。私も思い込んでた。ブルースさんはできる人だって、だからあの場を任せてもいいって思ってしまった」
「それは私が雪白さんに黙っているように言ったから……」
「違うの! ……わ、私、ブルースさんが私と同じように働いてないことを喜んでた。みんなみたいに引け目を感じなくて済むと思ってた! ブルースさんはこんなに戦ってるのに! ごめ、ごめんなさい!」
あかりの目端に涙が浮かぶとブルースは一度目を見開くと緊張が解けたような笑みを浮かべた。
「そんなこと思ってたんだね。いいんだよ……誰にでもそれぞれ黙っていたいことがある。言い換えれば弱み、コンプレックス、自分でも忘れていたいことがあるんだよ。私には計算障害と依存症がそうだった。……ただね」
窓から日差しが差し込んで二人を照らした。
「あかり、自分のことをそんなに責めなくていいんだよ」
「違うよ、頑張っているブルースさんと私は全然違う!」
「同じだよ。ほら、働いてない仲間じゃん、そう泣くな」
「な、泣いてないよ」
目端に浮かんでいるだけだ。いたずらっぽく笑うとブルースはあかりにハンカチを差し出した。
「……雪白さんには謝っておいて。黙って辞めるなんて本当に悪いけど」
「どうしても、スタッフを辞めるしかないんですか?」
「今の私はさ、酒をやめることが一番なんだ。月一の自助グループのスタッフなら、負担にならないと思っていた。けど意固地のせいで結局飲酒するところだった。やはり今は少しでもストレスを遠ざけないといけないんだ。自分で決めたことなのに悪いけど」
「じゃあ……スタッフじゃなくていいです。またアジールに来てくださいよ、ブルースさん。時々でいいからただの参加者として」
「……考えておく」
ブルースは困ったように笑うと立ち上がった。あかりの席に膝立ちになるとそっと耳打ちした。
「最後ってわけじゃないけど、あかりに言いたいことがあるんだ。ずっと言いたかったんだけど実は……」
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次回は「あかりの価値観の変化」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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