22.雪白の過去
今回のお話は「雪白の過去」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
(そんなの理屈だ! そうは思えない! 正論ばっかり言って、みんな本心は働いてる方がえらいと思っている決まってるじゃないの! ……働いてない私はみんな駄目だと思うに決まってる)
まるで世界がぐちゃぐちゃになったようだった。雪白が大好きなのにこんなことになると想像もしていなかった。でも自分の方が正しいとあかりは思えて仕方なかった。
「大丈夫?」
会場の外でぼうっとしているとブルースに話しかけられた。センターの廊下には誰が座ってもいい椅子がいくつかある。あかりの隣の席にブルースは座ると軽く伸びをした。
「雪白さんと喧嘩でもした?」
「……見てたんですか?」
「そりゃ大声だったからねえ」
ブルースは一度タバコを取り出して慌ててまたしまった。館内は全面禁煙だ。
「雪白さんが大好きなアカリがまさか喧嘩とはね。どうしたの?」
「……それは」
告げることは躊躇われた。ブルースのことも社会のお荷物だからと言ってしまった。
あかりはうまくブルースのことだけは伏せてさっきのことを話した。するとブルースは軽やかにあははと笑った。
「なんで笑うんですか?」
「いやいや、どっちの気持ちも分かるなと思ってさ」
「どっちもって……そんなことってあります?」
「あるよ。アカリは働いてないってことが引け目なんだろう? まあ、それは仕方ない。人情ってやつだ。人間は皆平等って習ってもなかなか本心からはそう思えないもんさ。まして自分が下だと思ってる側だと特にね。
大抵の人間はね、自分が安全圏にいないと正論を言うのが難しいんだ。安心していないと本音もうまくいえない。人間は基本的に弱い生き物だから」
「そ、そうですよね……!」
嬉しくてあかりはブルースを振り返る。
「でもね、雪白さんの言うことも分かる。特にあの人は頑固だから譲れないことは譲れない。発達障害の特性だったりしてね。
人間の人生はそれぞれでさ、働けない時期もあるし、一生働けない人間もいる。発達障害に限らず障害者なら尚そうさ。それを細かく価値がある、価値がないって分類するのは間違ってるって言うのはいかにも雪白さんらしい。
どんな人間でも価値があるに決まってるって言うのが昔から雪白さんが言ってきたことだから」
「……そんなの納得できないです。ただの綺麗事じゃないですか、本当の現実じゃない」
「そんなことはないって昔から言い張ってきたのが雪白さんだからなあ」
ブルースは遠い目をして窓を見上げた。外はもう夕焼けが覗き始めていた。二人の影も少しずつ濃くなっていく。
「アカリは雪白さんの過去ってどんなか知ってる?」
「え? ……知らないです」
「雪白月絵で検索すれば少しは出てくるよ、気が向いたら調べてみるといい。……私が雪白さんを知ったのは二十年前。大阪の発達障害の講演会だった。雪白さんは発達障害の人は苦しんでいる、包括した社会を考えていくべきだって言ってた。そして自分自身、子供の頃からそれで苦しんでいたことを話した。大人になって診断されるまでその苦しみの正体が分からなかったって」
雪白の過去なんて考えたこともなかった。彼女はいつも朗らかで常に正しい道を知っている魔法使いのように見えた。けれども彼女にだって人間なのだから過去がある。
「私はその頃、雪白さんがやってる自助会を調べて会いにいった。高校の頃に診断されたキリだったしね。今のアジールと雰囲気そっくりだよ。
雪白さんは若いだけでそんなに今と変わらないけど、私は今とは結構違った。なんというか傲慢だった。仕事もうまくいってて人生が楽しかったから「発達障害なんて私には大したことない、みんなが何をそんなに悩んでいるのか分からない」って言ってた。雪白さんはああいう人だから「あなたが元気でよかった、そういう人が増えるといいんだけど」って笑ってた。私は三回だけ自助グループに通ったけど雪白さんの会にはそれきり行かなかった。
馬鹿な私はその後、発達障害を甘く見て大きく挫折した。……ひどい病気になって一生治らない」
「治らない? え、ブルースさんの病気ってそんなに酷いんですか?」
不安になりブルースに寄って近くで顔を見た。ブルースははっと目を見開くと閉じた。
「いや私の話はいいんだ。心配しないで、治らないと言ってもだいぶ落ち着いてる。一生付き合わないといけない病気なだけだよ。薬もあるし余裕もできてきた。だからアジールのスタッフだって始めたんだ」
「でも……」
「本当に大丈夫だって。とにかく雪白さんは本気で人間にはみんな価値があるって信じてるんだ。だからこそ発達障害の啓発の活動をしてきた。
発達障害は見えづらいハンデがあるけど、その価値は確かにある。だから社会が変わっていく必要があるって。あの人が何冊、発達障害の本を書いたか知ってる?
それだけ本気の人が働いてないから自分に価値がないって言う人を見たら多少怒るのは仕方ないさ」
「……」
「あかりは綺麗事だっていうけどさ、私もそれだけが人間の価値だと思わないよ。まあ、私も働いてないし、他人にあまり言わないけど、でもだから無価値だと思わないよ。もちろん、その後ろめたい気持ちも分かるけど」
(ブルースさん、病気なんだ。なんの病気なんだろう……)
アジールが終わって、片付けをして、自室で寝転がる。ブルースの顔色は特に悪くは見えなかったが、それは症状が落ち着いているからなのだろうか。病というものを急に身近に感じて少し怖い気がする。
あかりはまた桃プリンに「自助会に行きました」と報告メッセージを送ると起き上がった。
ノートパソコンの前に座り「雪白月絵」で検索した。すると雪白の著書が何冊も通販サイトからヒットした。どうやら「発達障害と生きる」という本が一番人気らしい。
さらに「雪白月絵 発達障害」で検索すると通販サイト以外にも雪白の過去の講演会の様子が出てきた。発達障害がテーマの講演会で医者や会社の社長も出ている。五年前ものだが東京の広いホールで開催されたものでゲストの一人として顔写真が載っている。
発達障害当事者で啓発のパイオニアだと紹介されていた。
(発達障害の講演会なんてあるんだ。というか講演会ってなんだろう?)
講演会という言葉を検索しつつ、雪白月絵の単語のあるページをできるだけ見ていく。自助会の活動の他に社会福祉士であり、カウンセラーであると分かる。そしてウィキペディアに似たサイトに彼女の活動記録が載っていた。大体、他のサイトで見た情報だが最後だけ知らない情報だった。
《20××年、高齢を理由に活動休止。著述活動からも引退を宣言》
(20××年って私が雪白さんに会う二年前だ)
あの時、彼女はチラシを配っていた。引退した後にも発達障害の人のために何かしようとしていたのだろうか。
(雪白さんってすごい人なんだな、ちっとも知らなかった)
調べ終わると一時間は過ぎていた。ぼふとベッドに倒れ込むとスマホをチェックする。予想通り桃プリンから「今日も楽しめたならよかったです」とメッセージが来ていたのでいいねを押す。
ベッドで伸びをして雪白のことを思い出す。喧嘩をしてしまった。綺麗事だとあかりは言ったが雪白はその綺麗事のためにずっと戦ってきたのだ。だからあかりが悪かったのだと次に会ったら謝ろう……。
(でも、やっぱり、心からそうは思えないよ……働いてないくても自分に価値があるなんて)
安定剤を飲むとその日はいつもより早く眠りについた。
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次回は「ブルースの戸惑い」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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