21.社会のお荷物
今回のお話は「あかりの態度の変化」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
その日はその後さしたる会話もなくあかりとブルースは解散した。ブルースは阪急電車で帰ると言ってJR三宮駅で別れた。そのままノイズキャンセリングイヤホンをして普通電車に乗る。
働いてない、という言葉を思い出してぼうっとする。
そのまま停車駅に降りて、家路に向かう。自宅のマンションはもちろん飛び出た時のままで玄関をそっと開けて誰もいないことを確認すると自宅のドアへダッシュする。
ベッドに横たわると思った以上に疲れていたことに気が付いた。考えれば部屋を飛び出してから走るか泣くかしかしていなかったのだから疲れるわけだ。
《今日は自助会がなくなってしまうと誤解してとても疲れました》
寝転がったまま桃プリンにメッセージを送る。それから大丈夫だったことをメッセージで送るとスマホをぽいとベッドに放り出した。ブルースのことを書こうかと思ったが止める。
(ブルースさんも、働いてないんだ……)
その時のあかりに自覚はなかったがにぃと笑みを浮かべていた。
一ヶ月後のアジールは雪白の言う通り何事もなく開催していた。開催前はスタッフだけの設営時間だ。そこではまた異変が起きていた。
「ブルースさん、ブルースさん」
「ちょっとアカリ、なんか今日は距離近くない?」
「そんなことないですぉ、私たちたった二人のスタッフじゃないですか」
明らかにあかりのブルースへの距離が近くなっていた。前回まで可能な限り会話をしないようにしていたのに今は必要以上に話しかけてくる。
「お釣りはそろっていますよ♪」
「それはさっきも聞いたよ。あんた今日はおかしいよ」
「あんたって言わないって約束したじゃないですか〜♪」
「それは悪かったけど……近い、近い!」
何度もお釣りの残数と初回のしおりの位置を確認するあかりは明らかに舞い上がっていた。
雪白も不思議そうにあかりの変化を見て口元に手を当てていた。
「あらら、アカリさん、ブルースさんと仲良くなったの?」
「はい♪」
「いえいえ、そんなことないですから」
あかりにツッコミを入れるブルース。前回の騒動で若干仲良くなったように見えなくもない。
「〜♪」
鼻歌を歌って会場の備品を確認するあかり。ブルースから離れると一度彼女を振り返り、また椅子の位置を修正する。やっとアジールでも仲間が見つかったのだ。
(だってブルースさんも働いてない。私と同じ、社会のお荷物なんだ! 引け目を感じなくていいんだ!)
それはあかりの働いていないことがみっともないという、染みついた世間体とコンプレックスだった。自分の年齢でほとんど働いたことがないことが情けなくて仕方なかった。
アジールだって職場の悩みを話す人が多くて、そういう話を聞くたびにあかりは自分が無職だとバレないように小さくなっていた。だんだん仕事の話すをする人からは逃げるようになっていった。嫌っている母親と同じようにあかりは自分を無価値だと信じていた。
でもブルースにはそう思わなくていいのだ。だって同じなのだから。
(あれ? でもブルースさん、前働いてたって……辞めたのかな?)
チラと振り返る。コンプレックスが揺れる。あかりと同じ、実家で引きこもりなのだろうか。そうならいいなとわずかにズレたテーブルの位置を直す。時間を見て受付に戻る。徐々に参加者がまたやってきた。
アジールの自己紹介も中盤に差し掛かり、受付の仕事はなくなっていった。もちろん途中参加自由なので今からでも参加はあるが、大勢をさばく、ということはないと経験上理解し始めた。
「……ぶ、ブルースさんってすごいですね」
「なにそれ、やっぱりアカリおかしいよ。前のこと大袈裟に捉えてない?」
実際、ブルースはあかりの倍はさらりと働いていた。それであかりに恩を着せるということもちっとも考えていない、ごく当たり前といった様子だ。
まだ主に五百円玉を受け取るだけの仕事しかしていないあかりは焦りを感じた。
「ブルースさんってどういうお仕事していたんですか?」
受付が一通り終わるとあかりは思い切って聞いてみた。できればあまり立派じゃない、劣等感を刺激しないものであってほしいと願ってしまう。ブルースは参加者の名簿をクリアファイルにしまいながら答えてくれた。
「広告とかだよ。デザインとか好きだったな。でも大昔の話だよ」
ブルースは遠い目をした。広告、デザイン。オシャレな印象であかりは少し気後れした。でも昔の話だと言っていた。
「私は正規で働いたことなくて、バイトなんですけど、コンビニで働いてみました。さ、三ヶ月でクビになったけど」
「へえ。でもそれは仕方ないんじゃない? 発達障害って並行作業苦手なんでしょ。コンビニなんて並行作業だらけじゃない」
「で、ですよね〜、私には無理だったんです」
「働く業界によって向き不向きがあるのが発達障害だからね」
嬉しい気持ちに胸が弾む。アジールで雪白以外に仕事の話をしたのはこれが初めてだ。本当は誰かとあかりだって仕事の話をしたかった。でも今は働いていないと思うと、どうしても周囲に引け目を感じて自分のことはずっと沈黙していた。沈黙だけが弱い自意識を守る盾だった。
ブルースは少し華やいだ表情になった。
「デザインのことは本当に好きだったんだ。過集中っていうか、どうやったら良くするか考えることは何時間でもできた。あの頃は楽しかったな……」
あかりが何か口にする前にブルースの目はすっと暗くなった。秋の夕暮れが想像より早くやってくるみたいに。
「……昔の話だよ」
その時、ブルースは仕事の話はしたくないのだと感じた。
その後もあかりはお金を受け取るだけ、ブルースはその他を取り仕切るという状態が続いた。それも一通り終わると雪白があかりに笑いかけた。
「アカリさん、お疲れ様。ブルースさんとすっかり仲良くなったのね」
「雪白さん。はい、ブルースさんと話すのとっても楽しいです」
だって引け目を感じなくていいから。そうは口にせず、あかりも笑い返す。雪白はいつものように杖をついてあかりの隣の席に座った。そういえば雪白に何か聞きたいことがあった気がする。けれど浮かれた頭はそれを忘れていた。
「どういう心境の変化かしら? やっぱり前回、駆けつけてくれたのが嬉しかったの?」
「もちろん勘違いした私を助けてくれたことは感謝してます。それに……」
雪白相手だと口が滑った。
「それに教えてもらったんです。ブルースさんも私と同じだって」
「同じ? それはどういうところが?」
「ブルースさんも働いてないって……きっと私と同じ引きこもりなんです!」
あかりの笑顔があまりに明るく、対照的に雪白の顔はわずかに暗くなった。
「だからブルースさんと仲良くしたいの?」
「はい、だって私たちは同じ社会の落ちこぼれだから、本心が話せるんです!」
思わず大きな声を出してしまい、周囲を窺う。幸い誰も聞いていなかったようだ。
「アカリさん、それは違う」
「え?」
「働いているとか働いていないとか、そんなの人間の価値に関係ないわ。アカリさんは自分を社会の落ちこぼれだと思っているのね。でもそうじゃない、働いている方がえらい、働いてない方が落ちこぼれ、そんな価値観に染まる必要はないわ」
あかりは目を丸くして、雪白の言葉の意味を理解するまで十秒かかった。
「アカリさんはアカリさんのままでいいのよ」
「そんなの……そんなの綺麗事じゃないですか!」
雪白の目に責める光が見えて席を立つ。そんなものは建前だ。あかりがきっと睨みつけるが雪白はなにも感じないようだった。
「そうして自分を責めて、自分と他人を上だの下だのカテゴライズしているままじゃ、本当には解放されない」
「雪白さんには私の気持ちは分からない!」
「アカリさん、それにね……」
言葉を最後まで聞かず、あかりは雪白から離れていった。大好きな雪白からこんな風に立ち去ることがあかりは本当に悲しかった。
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次回は「雪白の過去」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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