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20.ブルースの裏事情

今回のお話は「ブルースの事情」について。

同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。


「落ち着いた?」

「……ううん」


 ドアの前から動かないあかりはブルースに連れられて会場近くのファミリーレストランに連れてこられた。


 あかりはずっと泣き止まず、ファミレスの店員に妙な目で見られたがもう知ったことではない。全ては終わったのだ。


(アジール、なくなっちゃうんだ。なんで? 私ばっかり話してたから? 雪白さん、ごめんなさい……)


 あかりが涙も拭かないのでブルースはポケットティッシュを差し出すが無視する。悲しいのに泣いて何が悪いのだ。ほんのちょっとだけ三十八歳という年齢で、と恥ずかしい。


「だから、あんた、誤解してるって。スマホ開いてLINE見れば誤解も解けるって」

「あんたって言わないでください。雪白さんだって言ってたじゃないですか」


 ブルースは目を少し開くとため息をつき、しばらくするとやってきたホットコーヒーにミルクを混ぜた。


「それは悪い、私はいつも口が悪いんだ。もうあんたって言わないようにするよ、アカリ」


 アカリと呼ばれたことで身体の緊張が少し解ける。


「これからはちゃんとアカリって呼ぶよ」


 返事をせず、あかりは俯く。すると頬にまた涙が落ちて、ブルースのくれたポケットティッシュで頬を拭い、鼻を噛んだ。すると少し落ち着いた。涙には悲しみを溶かす力があるのだろうか。


「どうしてLINE開かないの?」

「いやです……だって、雪白さん辞めるって言ってるんでしょう?」


 恐ろしくて開けるはずもない。ブルースはため息をつくとコーヒーを一口飲んだ。


「まずはっきり言うけど、アジールはなくならないよ。今日は休みになっただけ、来月は何事もなかったかのように開催するよ」

「え……ええ!?」


 全く想像もしなかった回答にあかりは席を立ち上がった。そんな、辞めると書いてあったではないか。


「それは雪白さんが今月は足の調子が悪いから休むってだけ。今月止めるってのを今月辞めるって言っただけ。今月お休みするの、それだけ」

「そ、そ、そんな〜……嘘だ、嘘……」


 またポロポロと涙が出てきた。まだ心から信じられないが、それでも安心した時にも涙って出るんだとまたポケットティッシュで涙を拭く。


「……嘘だ、信じられない」

「だから、その後に雪白さんがちゃんとフォロー入れてるのに見てないんでしょうが」


 あかりはやっとスマートフォンを起動することができた。あかりが「嘘ですよね?」「絶対嫌です」とメッセージを書いたあとはこう続いていた。


雪白《今日は足がとても痛いのでもう会場にキャンセルの電話を掛けました。スタッフの皆さん、当日キャンセルしてごめんなさい。参加者さんのためにもホームページも書かないと》

雪白《アカリさん? ごめんなさいね。辞めるじゃなくて止めると書こうと思ったの》

雪白《もちろんアジールは来月から普通に開催するわ》

ブルース《雪白さん、大丈夫ですか? 具合が悪いなら私が代理で開催しますが》

雪白《ううん、今日はもういいの。キャンセルしちゃったしね》

雪白《アカリさん、ずっと連絡がないけど、大丈夫? スタンプだけでも押してください》

ブルース《まさか会場に行ったんじゃ……私、電話してみます》


 そこには雪白だけでなくブルースの心配もメッセージとして残っていた。そしてブルースだけではなく、雪白からも何度も通話の履歴があった。


 あかりが「辞める」という言葉を「アジールがなくなる」と結びつけて絶望してスマートフォンを決して開こうとしなかったから思いこみは解けなかった。


「アジール、本当になくならないの……?」

「そうよ」


 ガクッと疲れが襲ってきた。電車は乗ったものの家から会場まで全力疾走して、受付センターで話も聞かずに、会場のドアの前でずっと泣いていたのだ。


「発達障害、というかASDの症状に「言葉を間に受けすぎる」「一度思い込んだら修正が効かない」ってあるらしいけど、今回のアカリはまさにそうかもね」

「は、発達障害は関係ないです、こんなの……!」

「そうかもね、でも特性が思い込みを促進したようには見えるよ」


 ブルースの言葉はよく聞こえずあかりは顔を真っ赤にした。


(恥ずかしい! 恥ずかしい!)


 確かめれば一発で分かったことなのに思いこみで現実を見ようとしなかった。現実は優しかったのに辛いものだと決めつけて暴走した。


「ぶ、ブルースさん、私のこと馬鹿だって思いましたよね……?」

「少し」

「やっぱり思ってたんじゃないですかぁ!」

「私も昔はこんなだったかなあと思っただけ」


 アカリの目の前にはオレンジジュースをウェイトレスが運んできた。ブルースが頼んでくれたらしい。オレンジジュースが好きなんて言ってなかったのに。あかりはストローも刺さずにジュースを一気飲みした。


「まさか……私のこと、心配してくれたんですか?」


 わざわざ会場前まで駆けつけてくれたと思うと気まずい。


「心配というか、まあ用事もなかったし、気になったんだ」


 恩に着せる様子はない。ブルースはもしかしてそんなに怖い人ではないのだろうか。


「そんなにアジールが大切なの?」

「……あなたには分からない」

「私だって大切って言われても分かんないかな。なにせアカリはさっきは世界の全てが終わったと思ってたみたいだし」

「私のことは雪白さんしか分からない」


 それがあかりの本音だった。桃プリンとも小百合ともキリンのスタッフとも違う。母に拒絶されたことを受け入れたのは雪白だけなのだ。母親にすら認めてもらえなかった自分が本当に存在を許されるのはアジールだけなのだ。


「分かるよ」


 ポツリとブルースが言った言葉にあかりはカチンときた。仕事をして社会に居場所があるブルースに分かるわけがない。


「そんな目されてもね。私も別の自助グループに行ってるから。もしそこがなくなったらそう思うかも」

「……別の自助グループ?」


 そんなものがあるのか、とあかりは顔を上げてブルースを見た。いつもより柔らかい雰囲気に見える。


「そんなのあるの?」

「あるよ。自助グループってのは全てのマイノリティのためにマイノリティ自身が開催するものだから、見えづらいだけで日本中にたくさんある」

「そうなんだ……発達障害のグループ?」

「ううん、違う病気のグループ。生まれた時は発達障害だけだったのに、色々あるうちに二次障害ってやつになっちゃった。アカリも同じだろうけど」


 あかりは不思議に思った。自分以外にそんなに苦しんでいる人が世の中にいるのだろうか。ニュースで見る戦場で苦しむ子供達のように現実感がない。そうは見えないがブルースも苦しんでいるのだろうか。


「なんだか不思議、アジール以外にも自助グループがあるなんて」


 オレンジジュースの残りをストローで啜りながら見たことのない自助グループに想像を巡らせる。他の発達障害の自助グループもあるのか。全然違う雰囲気なんだろうか、それともアジールと似たグループもあるのだろうか。


(でも私にとってアジールは一つだけだ)


 あの時、母親に見捨てられたあかりを助けてくれたのは雪白だけなのだ。


「タバコ、いい?」


 ブルースが尋ねてきたので頷く。父が家で吸うのでタバコの匂いは慣れている。ブルースはタバコに火をつけて細く煙を吐いた。


「もう一度聞くけど、なんで雪白さんとしか話さないの? というかアカリは他の人を無視してるように見える。ちょっと異様に見えるよ」

「……だって私、働いてないから」


 気が緩んだのだろうか。雪白以外には言うまいと思っていたことを言ってしまう。


「アジールのみんなは職場の悩みの話をするでしょ。その度、辛かった。だって私はそもそも家でぬくぬくして、働いてもいないんだもん」


 自分がいつも恥ずかしくて本心を言えない。最初から境界線を引いているのはあかりだ。それでも恥だと、外では言ってはいけないのだと、どこか母親と同じことしていた。


「なぁんだ、そんなこと」

「そんなことじゃないです! 私にとっては深刻で……」

「今、目の前に一人いるよ」


 あかりは周囲をぐるりと見回した。ブルース以外は誰も知っている人はいない。


 ブルースは携帯灰皿にタバコを押し込むと自嘲した。わずかに下を向いた目がまるで教会で罪を告白するようだ。


「私も今、働いてないんだ」


感想・ご意見など気軽にお寄せください。

次回は「あかりの変化」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。


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お疲れ様です。 あああこういうの好きなんですぅううう だんだんと打ち解けてきたというか……理解できてきたというか…… すごく続きが楽しみです……です……!
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