19. あかりのコンプレックス
今回のお話は「あかりのコンプレックス」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
次のアジールで雪白は受付で首を傾げていた。
「なんでうまくいかないのかしらね」
あかりとブルースはギスギスし続けていた。受付にも冷たい空気が漂うので緩和剤として雪白は間に座っていた。
今回はあかりは一時間前に会場に辿り着くことができた。そして鍵をもらう場所も分かっていたが、鍵を受け取る書類の書き方が分からず、受付センターで右往左往した。
結局、四十五分前に来たブルースが書類を書き、無言で一緒に会場の設営をした。今度は特にあかりも失敗はない。
しかし、どうしてもギスギスした空気になってしまう。開始とともに雪白がきて、あかりは、そしておそらくブルースもホッとした。
「アカリさん、どうしてこうなったのかしら?」
なんでもないです、と言いかけてあかりは雪白には嘘を言いたくないと正直に告げる。
「……ブルースさんは私がスタッフなのがイヤみたいです」
「そうなの?」
雪白がブルースを振り返ると彼女は若干戸惑った。
「イヤなんじゃないですよ。ただ、無理をして見えたからそこまでしてやらなくていいと言っただけです。でも出過ぎたことでした。主催者の雪白さんが決めたことですから」
ブルースはできるだけあかりを見ずにそう答えた。雪白は午後の紅茶の入った紙コップをテーブルに置いた。
「確かにアカリさんは無理をしているかもね。でもね、今のアカリさんにはそれが必要なの」
「……自助グループなのにですか?」
「確かに自助グループは無理をする場所じゃない、共感と傾聴の場よ。でも、今のアカリさんには少し背伸びをする場所が必要なの」
「そうですか……」
「それにブルースさんにもアカリさんが必要だと思うけど?」
(私が?)
横であかりははてなという顔をした。
「私に? 昔、仕事をしていたのでこれくらいなら大丈夫ですよ」
仕事という言葉にあかりは地味に傷付く。この歳になってあんな失態をしたことはろくに仕事をしてこなかったからなのか。
「そうかしら〜」
雪白がにこやかにそういうと最初の参加者がやってきた。すると自然と三人は開催に向けてチームとしてスムーズに動いていた。
「雪白さん」
「はいはい」
参加者の列が長くなるとブルースは雪白に受付を交代してもらった。ブルースが何度も雪白にすみませんというのであかりは初回のしおりを参加者に渡しながらそちらを見た。
(どうかしたのかな?)
この前はとても頼りになるように見えたブルースの自信のない様子が不思議だった。
「ちょっとあんた、前から思ってたけど話が長すぎるわよ」
「ええ?」
アジールも中盤。いつものように雪白に話を聞いてもらっていたあかりは声に振り返った。ブルースだった。
今はもう参加者もほとんど来ないので三人とも受付を離れている。受付には「ただいま受付も参加者と談笑しています。途中で来られた方はお声をお掛けください」というラミネートされたA4用紙が置いてある。
「雪白さんとずっと話しているでしょ。他にも話したい人がいるんだから多少は遠慮しなさい」
若干心当たりがあったあかりは声がうわずった。
「そ、そんな長くは話してないでしょう」
「もう一時間も話しているわよ、雪白さんに話したい人は他にもいるんだからいい加減にして。遠くから来てる人もいるのよ」
ブルースの後ろには一人の女性がいた。年頃はあかりと同じくらいだろうか。
確か自己紹介で岡山県から来たと言っていた。ここは神戸だからかなりの遠方から雪白に会うために来たと言える。胸に雪白の著書を持っている。
「で、でも、私、雪白さんに聞いてもらいたいこといっぱいあって」
「あんたも色々あるんでしょうけど、他の人にも事情があるのよ」
それはあかりのくせになっていた。アジールの初回から参加していたあかりは数回は雪白と二人きりで参加した。だからずっと二人だけのように話すことがくせになっていた。
(でも、でも、雪白さんに支えられながらここまで来たのに! 雪白さんがいなければ誰を頼ればいいの!?)
ブルースの言ってることは正論だ。けれど、人を信じることが難しいあかりは雪白以外にはうまく心を開けず、他の参加者ともうまく打ち解けられない。
雪白はパンパンと手を打った。
「ストップ、ストップ。確かに話が少し長かったかもね。でも私たちはうまく話せないことが多い。
もう少し話したらエリリンさんとお話しするから、ブルースさんちょっと言い過ぎよ。自分で言ってたでしょ、キツく言いすぎて後悔するって。あんた、という呼び方もどうかと思うわ」
「……いえ、いいです。私、ちょっと風に当たってきます」
あかりはその場から離れ、廊下を歩いた。
確かに気付いていた。アジールに参加したばかりの頃は何時間も雪白に話を聞いてもらっても違和感がなかった。
けれどアジールは開始から一年以上が経過して、参加者が十人を超えることも珍しくなくなった。だんだん他の人を押し退けて自分の話ばかりしていることをうっすら感じていた。
(でも、しょうがないじゃん。私、引きこもりだよ? 雪白さん以外の人には話せないよ。他の人は職場の悩みとか話してるのに、そもそも働いてないなんて言えるわけない……)
他の人と話す、ということがあかりのハードルになっていた。自分を恥だという母親の言葉と同じように、自分を恥として隠していた。だから孤独なままで雪白だけしか頼れかなかった。
(ダメだ、雪白さん以外には私は話せないんだ。アジールがなくなったら私は終わりなんだ)
あかりの心は歪つだった。誰にも心を開けないと頑なな一方で雪白には何もかも話してしまう。
孤独に逃げ込みたい一方で、何もかも理解してくれる誰かを求めていた。
一ヶ月後、あかりの歪さは終わりを迎えた。
それはアジールスタッフのLINEグループから始まった。
「え……?」
それはアジールの日の午前十一時。あかりはいつもより早く起きて、行く準備をしているときだった。スマートフォンにLINEの通知がある。アジールスタッフのLINEグループで雪白がおはようのスタンプの後にメッセージが送られる。
《ごめんなさいね、今日は特に足が痛くて、アジールを辞めようと思います》
「辞める」という言葉に頭をハンマーで殴られたような衝撃があかりを襲う。全身から血の気が失せて指先が冷たくなった気がした。
(アジールがなくなっちゃう?)
「嘘ですよね?」「絶対嫌です」とメッセージを送るとあかりの手からスマートフォンがこぼれ落ちた。ぽつと一滴の涙がLINE画面に落ちた。
ずっと心の支えだったのに、こんなあっさりと失ってしまうなんて。
(いやだ!)
あかりは荷物をまとめると玄関へ向かった。ドアを開ける時には何度も通知音がなったがあかりの耳にはもう何も入っていなかった。
「あんた、何やってんの?」
「……え?」
ぼうっとしていたあかりに声をかけたのはブルースだった。あかりは会場に向かい、センター受付でアジールの会場の鍵を受け取ろうとしたが何か理解できないことを言われて、鍵がもらえなかった。何度も泣いて抗議したが「規則ですから」と言われて冷たく扱われた。
そして、納得できずいつもの会場の前の開かないドアの前で泣いて、膝をついていた。そうしているとブルースに声をかけられた。
「あんたさ、LINE見てないでしょ。雪白さん、心配してたよ。既読もついてないし、ちょっとは周りのことを考えなさい」
「……ちゃう」
「あのね、あんた、雪白さんが言いたかったのは……」
「アジールがなくなっちゃう! どうしよう、どうしようブルースさん!?」
ブルースに振り返ったあかりの顔はグチャグチャに涙に塗れていた。その目の絶望の色があまりに濃くてブルースは返す言葉をなくした。
「雪白さんがいなくなっちゃう! どうしよう、どうしよう、私これからどうやって生きればいいの!?」
「……落ち着いて。念の為、来てみてよかった。あんた今おかしい」
「あんたって言わないで!」
あかりはまたドアを開けようとしたが鍵がかかっていて開かない。それにパニックを起こしてあかりはまた叫んだ。
「ブルースさんには分からない! 私はここにこなかったら何にもできなかった! でも、雪白さんが辞めるって言ったから何もかも終わりだ!」
開かないドアに床に崩れ落ちて泣き叫ぶ。ブルースが手を差し伸べたがあかりは無視してただ泣いていた。
心を開くのは怖いことです。まして心を開ける人を増やすのはまた難しい。
それでも心を開ける人を増やすのは必要なことです。
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次回は「働いていない」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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