18. アジールの仕組み
今回のお話は「アジールの仕組み」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
(よし、がんばろう)
スタッフをやると言ったのだ。うまくやれないなら最初から洗い直してみよう。雪白なら辞めるといっても受け入れてくれるだろうがそれはやりたくなかった。さっきのメリーの言葉を無にしたくない。
あかりはノートを取り出してアジールの流れを書き出した。
(まずは設営。みんながリラックスして話せるように雪白さんの指示書通りに椅子とテーブルを並べる。この作業は雪白さんは苦手。足のことがあるから。
次に受付の準備。二つテーブルと椅子を並べるだけだけど参加費のお釣りがあるから大変。お金はなくしちゃいけないし、ちゃんとお釣りは渡さないといけない。千円を出されたらお釣りは五百円……)
そこであかりはまださっきの千円札を無くしたままだと暗い気持ちになる。
もう一度ブルースと雪白に言ったが「探しておく」「気にしないで」とだけ言われた。気を遣われている。やはり自分は役立たずだと暗い気持ちになるが書く手は止めない。
(設営が終わったら次は自己紹介……)
「次の人、メリーさん、お願いします」
今は自己紹介の時間だった。雪白は前方に置かれたホワイトボードの前に立ち、そこに書かれた通りに参加者一人一人に自己紹介をしてもらう。
書かれているのは「今日のニックネーム」「診断名(未診断でもOK)」「今日話したいこと」だ。ニックネームを使うのは本名を名乗ることに抵抗がある人がいるからだ。
「はい。メリーと言います。半年前、発達障害と診断されました。今日は他の発達障害の人がどんな風に暮らしているか知りたくてきました。後、働いてる方とお話しできたらと思います」
「ありがとうございます。それでは次は……」
そんな風に自己紹介の時間は流れていく。ここで参加者は他の参加者の名前や目的を共有する。それで自然と話したいことが被っている参加者同士が自己紹介の後に会話する流れになる……今までルールだからなんとなくやってきたことに意味があるのだとあかりは気付く。そしてその思惑の裏に感心した。
(よくできてるなあ)
自己紹介は人によっては長くなるので参加者が多いと一時間近くかかることもある。それでも上手く会話をするためにはこの時間が必要なのだと分かる。
(ニックネームはネットでしか発達障害の人同士が会えなかった名残でこの名前なんだっけ。本名を言いたくない人もいるからこのまま……と。
ええと、自己紹介の後は……自由に話す時間。自己紹介で来た理由を話すから自然とグループが分かれる。なんだかんだ盛り上がる。
そして、最後に告知の時間。基本的に次のアジールの日程のお知らせだけど、たまに他の会のことを知らせる時もある。全部ホワイトボードに書いて、自助グループの情報を共有する)
雪白があまり昔の知り合いにアジールのことを教えていないので、他の会の情報はそこまでないが、告知が終わるとみんなでホワイトボードをスマートフォンで撮影する。情報をまとめて保存する。
そしてそれが終わるとアジールは終わり、残ったメンバーで椅子やテーブルを片付けて、鍵を会場に返して帰る。
大体、これで終わりだ。細々としたことがまだあるが基本はこれでいい。
あかりはノートを見返して、自分がどこでつまづいたか考えた。
まず、最初だ。来る時間を間違えた。そこでパニックになり、いつもの自分ができることもできなくなった。ASDは予定外のことが起きるとパニックになると雪白の勧めてくれた本で読んだ気がする。
(じゃあ、次は……余裕を持って早く来る。ブルースさんは開始四十五分前に来たって言ってたから私は一時間先に来よう)
そこは対抗心のあるあかりだった。そこでふとそもそも会場の鍵の受け取り場所を知らないと思い当たる。
「あの……」
他の参加者と話している雪白に話しかける。手短に鍵の受け渡し場所だけを聞くとそれをメモして受付に戻る。これで一歩進んだはずだ。
嬉しくて少しスキップをしているとあかりはブルースに話しかけられた。何かを差し出される。
「千円、あったよ。初回のしおりのファイルに挟まってた」
それはメリーが渡してくれた参加費だった。どうやら探してくれたらしい。
「あ、ありがとう……私、受付に座っているからブルースさんみんなと話してきなよ」
受付は遅れてきた参加者を迎えるのでなかなか動けない。雪白もよく受付から動かないままあかりや参加者と話していた。十五時を過ぎると参加者も少なく割と自由にしていたが、待機していることが仕事ということがようやく理解できてきた。
ブルースは目を丸くしてこういった。
「え? いいよ、別に」
「今日は私は、設営も全然できなかったし、受付も失敗した。せめて待っているくらいはしたいの」
「……気にしてるの?」
「気にするよ、スタッフやるって言ったんだから」
あかりはそう言って受付から動こうとしなかった。ごめんなさいと言おうとする。しかし、言葉が喉の奥に挟まってうまく言えない。
ブルースへの反発もあるが、これは高校の頃にあるグループの反発を買って「謝れ」「謝れ」と何人にも責められた過去を思い出すことが大きい。
「……」
ブルースは言われた通り、一度受付を離れて交流している人の輪に混じったが三十分で帰ってきてじっとあかりの隣に座っていた。
あかりは受付で参加費の整理をしていた。
色んなお金がある。参加費をちょうど五百円で払ってくれる人が多いが千円札で払うとお釣りがいる。五百円を百円玉で払う人もいるので百円玉も結構ある。なんなら二枚セットの五十円玉もある。
コインケースでそれぞれの場所に硬貨とお札を収納するとホッとする。あかりだって落ち着けばできることもあるのだ。
「アカリさん、大丈夫?」
雪白が受付に来てそう話しかけてくれた。ブルースには言えなかったごめんなさいが彼女にはあかりは言えた。
雪白は理不尽にあかりを責めたりしない、そういう理屈ではない肌感覚での信頼がある。あかりの根底には他人は理不尽に自分を責めるという感覚があったので雪白はかなり特殊だ。
「雪白さん、ごめんなさい……スタッフ全然できなくて。今日もほとんどブルースさんがやてくれて」
「発達障害ってそういうものよ」
「……そうですか?」
「まあ、それだけじゃないけど。それでもすぐに思った通りにできるなら自助グループなんて来てない、そうじゃない?」
「そうかなあ」
発達障害でもブルースはできているじゃないか、と喉まで出かける。
「失敗も一つの経験よ。そう思わないと発達障害なんてやってられないし、気が保たないわ。私たちは一つの失敗に深く傷ついて動けなくなりがちだけど、その分気長に構えていきましょう」
「し、失敗したのに、どうして責めないんですか?」
あかりはずっと失敗が怖かった。失敗すると自分が無価値に思えたし、失敗が多くて他人に否定されてきた。
(それにお母さんは普通にできないとすごく怒った)
元々普通にしろとうるさい母だが失敗するといつも長く怒った。だから失敗だけは避けようとするがそれを雪白は肯定する。気楽にあかりの背中をポンポンと叩いた。
「だって失敗したってことは行動したってことでしょ。アカリさんはアジールのスタッフをやろうとしてくれた。それだけで私は一歩進んだって思う」
「雪白さん〜」
結局いつものように雪白に泣きついてしまうあかりだった。やっぱり雪白は他の人と違うのだ。進歩がないが、いつもの場所に戻ってきたようでホッとする。
「雪白さん、私、三十八歳になりました。雪白さんに会ってから一年経ちました。まだ家から出たいです。でも全然目処が立ってなくて、これからどうしたらいいですか?」
「年齢のことを気にしてるのね。そうね、このままスタッフも続けるっていうのはどうかしら?」
「それだけでいいんですか?」
言ってあかりは恥じた。ちっともそれだけではない。今日も全然出来ていなかった。今日無事に開催できたのはブルースのお陰だ。
「一つ、役割を持ってみるって成長すると思うわ。それって責任を持つことだから」
「責任」
苦手な言葉だ。むしろ責任から逃げることで十七年引きこもっていたとも言える。
でもアジールのためなら、できるかもしれない。むしろあかりがもう一度責任を持つことはアジールのためでないとできないかもしれない。
「む、難しいかもしれないけど、やってみます」
「よかった。それじゃ、このグループに入ってもらえる?」
雪白はあかりにスマートフォンの画面を見せた。液晶にはLINEが立ち上がっていて、そこに「アジールスタッフ」と名称が記入されていた。人数のところに「二」と書いてあっておそらく雪白とブルースのことなのだろう。
「入ります、入ります」
「お休みするときは遠慮なく伝えてね」
そしてあかりはスタッフグループに入ったのであった。こっそり雪白とも繋がったことに今日の失敗を忘れるほど嬉しいあかりだった。
今日のアジールは終わり、あかりは撤収を手伝うため折りたたみテーブルをいくつも片付ける。受付の書類やお金も口にチャックのついた丈夫な袋にしまう。今日知ったことだがこれを雪白はいつも家から運んでいるらしい。
(開催するって結構大変なんだな)
雪白を頼っていたのに何も知らなかった。これからは自分も頑張ろう。
片付くとスマホを見てにへらと笑う。雪白と繋がっている。もちろん、無闇に連絡などしないが、それでもアジール以外でも繋がっていることが嬉しい。本当に困ったら連絡していいだろうか……。
「あ……鍵」
だいぶ片付いた受付のテーブルの上にポツンとその鍵はあった。シリンダーの鍵が長く透明なプラスチックの板と鎖で繋がっている。
(これって、さっき聞いた場所に返せばいいんだよね?)
今度こそ自分で行こうとするとひょいと別の手が鍵を取り上げた。ブルースだった。
「これ返しておくから」
「い、いえいえ、今度は私が返しますから」
「……」
ブルースはじっとあかりの顔を見ると無表情で告げた。
「あんた、スタッフ辞めたら」
「え?」
「やってて辛いんでしょ。無理しててるの丸わかりだよ。それでもやろうとしてるのは私が嫌いだからでしょ? そこまですることない。最初はああ言ったけど、今後は私はあんたに関わらないし、無視してる。それでいいでしょ?」
「ち、違います」
「違わないでしょ、辞めた方がいい」
図星だった。スタッフを始めたのは嫌いなブルースが大好きなアジールの一部になることへの反発だ。
「私はアジールが好きだから……LINEグループにも入ったんです。今日は失敗したけど次からは役に立ちます」
「これくらいの規模の会なら設営なら私一人でもできる。無理しなくていい……あんただって辛いからここに来てるんでしょ。それなのに余計に辛くならなくていいでしょ」
確かに無理はしている。けれどその無理をあかりは選びたかった。
「大丈夫です……鍵の場所は聞いたので、これ返してきます! 私は辞めません!」
「ちょっと!」
ブルースの手から強い力で鍵を奪うとあかりはメモの場所への走る。
今日は助けてもらった。でもブルースのことはやはり嫌いだ。
アジールの仕組みは大体の関西の自助グループを参考にさせていただいています。
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次回は「あかりのコンプレックス」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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