17. やっぱり私には無理なんだ
今回のお話は「張り切るあかり」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
あかりは怒りに燃えていた。必ずブルースより上手くスタッフをやってみせる。そしてその仕事ぶりでブルースを追い出すのだ。もはやそれしか考えられなかった。
しかし。さらに一ヶ月後。
「あ、あれ……?」
「今頃きたんですか?」
ブルースの冷たい眼差しが刺さる。結局、前回はあかりは怒りに燃えるばかりでスタッフどころではなく、ブルースだけが静かに雪白と協働してアジールの運営をやった。
そしてあかりの初仕事になる。今回、早速ブルースよりも先に来て会場を完璧に設営して、その仕事ぶりを見せつけるつもりだったのだが……。
「く、来るの早いですね」
「別に、来るのを四十五分早くしただけですから。ああ、雪白さんは足も悪いし、開始の時に来てもらうように連絡しています」
さらりとした返答が悔しい。開始たった十分前にあかりが来た時には会場は完璧にテーブルも椅子もちょうどよく配置されて、受付のテーブルも準備されて、ブルースはお釣りの枚数を数えていた。完璧に設営されている。
(ま、マズイ、いつもの調子で来ちゃった。そういえばスタッフの仕事ってなにするんだっけ……時々、椅子を並べてたけど、お金には触ったことないし、なんだかんだ雪白さんがやってくれてたから)
そういえば前回に雪白があれこれ説明してくれていた気がした。まずい。全く何も覚えてない。
ブルースは露骨にため息をついて砕けた口調で指示を出した。
「ちょっとあんた、ここ座っててくれる? ホワイトボードの準備をしたいからお金を見ててくれる」
「な、なんで私が」
「スタッフやるんでしょう?」
ホワイトボードは自己紹介の時に使う。それは知っていたので立ち上がったブルースの受付の席に大人しく座る。何も起こりませんようにと祈っていると参加者がやってきた。
「参加一名です」
優しげな中年女性が千円札を差し出してくる。
「えっ!?!?」
ブルースは向こうを向いてホワイトボードに文字を書いていた。
どうしよう。何をすればいいかさっぱり分からない。千円札を差し出されているが受け取っていいのだろうか。もちろん、これは怪しいお金ではなく参加費だと分かっているのだがあかりは判断に自信がなかった。
それにこれはお釣りが必要なんじゃないだろうか。確か参加費は五百円の……はず。
「さ、参加は初めてですか?」
「ええ、そうですが?」
そういえば雪白がそんなことをよく参加者に聞いていたことを思い出して咄嗟に言う。さらに混乱する。あかりは初回の場合に何をすればいいのか思い出すことも怪しい。確か、初回参加のしおりがあったはず。
咄嗟にパッと千円札を引ったくるように受け取ったあかりは初回参加のしおりを入れたクリアファイルを探した。確かこの辺りだったと朧げな記憶をひっくり返してバタバタと物を漁る。あった。不意に発達障害はこういう並行作業が苦手だという知識をなんとなく思い出す。
「これ! これを初回の方には読んでもらってるんです!」
しおりを渡したものの中年女性はあかりの剣幕に困惑していた。
「あ、ありがとう。……そ、その、お釣りを」
「ご、ごめんなさい! 忘れてました!」
馬鹿正直に言ってしまうあかりであった。そういえば貰った千円札はどこに置いたっけ。まずはお釣りをと思い、青いプラスチックのコインケースを慌てて開けると落としてしまう。咄嗟に手を伸ばすが床で大量の五百円玉が音を立てて散らばっていく。
(どうしよう、失敗した! もう終わりだ!)
パニックで身体が固まる。棒立ちになり散らばっていく硬貨の音を聞くだけになったあかりに声が聞こえた。
「あんた、何してるの!?」
「ぶ、ブルースさん……」
あんなに憎かったのにその時は救世主に見えた。ブルースは怒ってはいるようだが心配もしているようだった。
「どうしました? ああ、お釣りを……いくらでしたか? 千円? それじゃこれを」
ブルースはテキパキと参加者の中年女性に向き直り、まず話を聞いた。そして床に散らばった五百円から一つを拾うとニコッと今までにない笑顔を向けると渡した。
あかりと比べようもないスムーズさだった。
「すいません、拾ったもので」
「いえいえ、慌てさせちゃったのかしら」
「この人、今日が初めてなんで、ごめんなさい」
席に向かう中年女性をぼうっと見送るとあかりにブルースが声をかけた。散らばった五百円を指差すとなぜかブルースは少し優しい声を出した。
「ほら、さっさと拾いましょう」
「う……うん」
あかりは目端に涙が浮かんでいることに気づいて手早く袖で拭う。失敗したというショックで上手く身体が動かず、結局あかりはブルースの半分も五百円玉が拾えなかった。
「え? 貰った千円札をどこに置いたのか分からない?」
五百円を回収した後、あかりは正直に告白した。もう恥はかけるだけかいた。後はせめて正直でいたい。
さぞブルースから冷たい皮肉を受けるだろうと身を固くする。
「もういいよ」
ブルースは柔らかい口調であかりを労った。
「……え」
「無理ならもういい。私一人でできるから、疲れただろうから後ろの席で座ってて」
あかりはそれが戦力外通告だと気付いた。
気を遣われることで傷つくこともあるのだと初めて知った。しばらくすると雪白がきたがあかりは見せる顔がなく、受付の隅でファンタオレンジを飲んでいた。
(うっすら知ってた。できないって……だからスタッフ断ったのに、なんでやるなんて言ったの私の馬鹿、私のアホ……役立たず)
視界の隅でブルースと雪白が何やら話しているがスタッフ一つ満足にできないあかりが話しかける資格があるとは思わなかった。さっきはなんなんだ。お釣り一つ満足に渡せないなんてみっともない。
(やっぱり働いて家を出るなんて絶対無理だ……ブルースさん、私のこと役立たずって思ってるに決まってる)
そんなことは言われていないのだが、あかりはクビになったバイト先でそう言われたことを思い出し決めつけた。
「大丈夫?」
声に顔を挙げると先ほどの中年女性だった。あかりは咄嗟に立ち上がる。
「さ、さっきはすみません。お釣り落としちゃって」
「いえいえ……なんだか悪くて」
あかりはひたすら頭を下げた。何もかも怖くて昔のバイト先での口癖を繰り返した。
「すみません、すみません」
「謝らないで……さっきはなんだが私みたいでね。放っておけなかったの」
「……?」
「前にパートでお釣りを落としてばかりでね。いつも怒られてばかりで辛くて……結局辞めてしまったの。発達障害があるとこうパパッとレジをするのがどうしても無理で……並行作業が苦手っていうんだっけ。あの頃はそんな言葉知らなかったけど今のあなたみたいにいつもすみませんって言ってた」
あかりは顔を上げた。中年女性の胸には「メリー」というハンドルネームが書かれていた。さっきもこの人は一言もあかりを責めなかったのは自分と同じだと思っていたからなのか。
「メリーさん、さっきはすみません……ありがとうございます」
「うん、頑張って。初めてだから、余計に難しいわよね」
あかりは過去の自分と同じ人がいたという実感で目端に涙が滲むのを隠すことで精一杯だった。
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次回は「アジールの仕組み」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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