13. また話ができた
今回のお話は「小百合の話」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
それからアジールまでの一ヶ月、あかりは雪白に言われたように「続ける」ことをやった。
二週間に一回の通院に行って、ちゃんと指定通りに寝る前に薬を飲む。医師に言われたように食事もお菓子メインではなく母の作った料理を冷蔵庫から拝借して食べた。
そして一番の日常になるキリンへできるだけ行った。毎日行けないことは悟ったので月水金と間に一日休みを設けて通うことにした。
まだ行くだけで疲れてしまうので、相変わらず行くとソファに寝転がっていたが、それでも多少余裕のある時は起き上がって椅子で本を読んでいた。
(雪白さんに約束したから)
いつも優しく迎えてくれるキリンのスタッフの優しさにも支えられた。
「よし」
あかりはキリンのテーブルにたんぽぽ柄のレターセットを置いた。新品のボールペンを取り出してたんぽぽの便せんを二枚取り出した。
(小百合に手紙を書こう)
避けられているならスタッフに渡してもらうように頼もう。
高校時代から二十年近く経っている。あかりも小百合もどんなことがあっても不思議ではない。顔を合わせたくない事情もあっておかしくないだろう。
それでもあかりはあの頃小百合に助けられて嬉しかったこと、どんな形でも再会できて嬉しかったと便せんに書いていく。
すると声をかけられた。
「……ここ、いい?」
「……小百合?」
あかりがペンを止めると小百合が現れた。今日も灰色のパーカー姿だったがフードは被っていない。近くで見る小百合の顔は昔のまま整っていたが、同時に昔あった生気がすっかり失われていた。
「も、もちろんいいよ! 座って、座って!」
あかりが慌てて手紙を隠して、自ら椅子を引いて手招きすると小百合は不思議そうにした。請われるまま座るとあかりは改めて向かいに座る。正面から見た小百合は少し様子が変わっていて、この前は背中まであった髪を肩まで切っている。
「……この前はごめんね」
「ううん、私もあの時は突然だったし」
「里中さんに相談したんだ。私はどうすればいいのかって」
小百合はキリンをやめるか相談したのだと語った。
昔を知る知人がいることに耐えられないというと相談室で里中はただ静かに聴いていた。「キリン以外の場所に行くことは桃田さんの自由です。しかし、それでは桃田さんはどこへ行くにも昔の知人を避けて暮らすしかないのですか?」。告げられた言葉にと小百合も考えてしまい「それじゃ、私、どこへも行けませんね」と口にしていた。
「違う地域活動支援センターに行くかも考えた。ここより遠いところに行けばあるから。でも……やっとここに慣れたのに、何してるんだろうって」
「小百合、そんな……小百合が辞めることないよ! 私が辞めるよ!」
「それこそ変でしょ……あかりは変わってないね。いつも陰にいるのに変なところで強情でさ」
初めて小百合はかすかに笑った。
「昔の私を知ってる人に会いたくなかった。……私さ、結構あかりにあった頃、元気そうだったんじゃん?」
「うん、私の知ってる小百合はいつも元気で、クラスの人気者だったよ」
「人気者かあ……そんな頃もあったね。私さ、うまくいってたんだ。勉強が好きで大学もいいとこ行って、会社も第一志望のところに入った。最初は楽しかったよ。同僚とも上司ともうまくいってた。
でも……ある日、上司が変わっちゃったら世界が壊れちゃった。その人はなんでか知らないけど、私を目の敵にしてた。理由なんて知る由もない。毎日怒鳴られて何度も必要ない仕事をやり直しさせられた」
「ひどい……」
「私はこう思った。こんなやつに負けちゃいけない。
私は戦わなきゃいけないんだって……でも二年もしないうちに夜眠れなくなった。その内、ご飯が食べられなくなった。戦うどころじゃなかった。何もかも不安になった。未来には絶望しかないって思って、病院に行って休職した。
それも二年で終わって、私は会社を辞めた。それからずっと実家に引きこもってた」
小百合は俯いて、苦しそうに呼吸を何度か繰り返した。
「小百合、話すのが苦しいなら、もういいって」
「聞いて……私、自分を過信してたんだ。私ならできる。今までだってできてたんだからって……変に勉強も運動もできたからさ。私ならどんな試練でも超えていけるって自分を信じてた。だってそれでずっとうまくいっていたから。あかりのことだってずっと忘れてた
結果がこのザマ。私はボロボロになった。キリンに来るのだって二年もかかった。私を誇りに思うって言ってくれた両親は今は私を腫れ物みたいにしか扱わない。働くなんてとても無理。それを考えるだけで身体が震える。
自分が信じられなかったよ。いつでも努力すればなんだってできていたのに、うつ病になるなんて、何にもできなくなるなんて……」
小百合は顔を上げるとじっとあかりを見た。
「ごめんね、なんでもできると信じてた頃の私を知ってる人には会いたくなかったんだ。馬鹿で元気で、未来を信じてた頃の私を知ってる人に変わり果てた自分を見られたくなかった」
「小百合……」
なんて言えばいいのだろう。あかりがキリンに来るのを辞めればいいのだろうか。それで小百合は満足するのだろうか。
「小百合は小百合だよ」
「……」
「小百合は自分は変わり果てたって思ってるかもしれないけど、私はそうは思わない。だって会ったらすぐ分かった。
高校の時にクラスで一人だった私に話しかけてくれた小百合だって。小百合は忘れてたかもしれないけど、小百合が時々そうしてくれたお陰で私は高校が少しだけ楽しかった。いつも学校が嫌いだった私がだよ」
「……そんなこと、あったね」
「小百合、再会した時、レースを編んでたよね。高校の頃も時々編んでた。変わってない小百合もきっといるんだと思う」
小百合は家に置いてきたレース編みを思い出した。昔からの手慰みで、うつ病になって、少し動けるようになってから編んでいた。あかりに再会する少し前はキリンの模様を編んでみようかと思っていて……昔の自分も残っているのだろうか。
「あのね、小百合。私は嬉しかった。どんな形でもまた小百合に会えて嬉しかったよ」
「……本当?」
その言葉で小百合の頬に静かに涙がこぼれ落ちた。
こうしてあかりは再び小百合と友人になれた。
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次回は「一年後の話」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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